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猟犬系女子、山から出勤する

 

 春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山際に――。

 ――目を凝らすと山中を疾駆する人影があった。

 茂る木々の間を縫い、崖から跳躍する。まるで猿のような機敏さであった。

 崖上からスタンと綺麗に着地し、その勢いのままわき目もふらず疾駆する。

 ようやく明るくなった太陽がその顔を照らした。

 ――若い女性だ。

「遅刻遅刻ぅ―☆」

 パン一枚をくわえたスーツ姿の小柄な女性が、鬼の形相で春の野山を駆けていた。会社に遅刻しそうだからだ!

 彼女はとある事情を抱え、山から通勤する山伏系女子であった。

 名を佐倉眠子さくらねむりこ。わけありの超能力者でもある。


 眠子は走り続けていた。

 ストッキングは、木々の隙間を駆ける内にあちこち破けてしまっている。パンプスもヒールががたついてきたが、構っている暇はない。

 足場がおぼつかないところは、木の上に昇り、枝を飛び渡って下山口へひた走る。

 社畜に遅刻は許されぬのだ。


 眠子が素早くクヌギの木の枝に飛び移った時、……下から叫び声が聞こえた。

 犬まで吠え猛っている。

「手負いのクマっこだ!だんれだぁ、仕留め損ねたやつぁ!」

 見下ろすと脂汗を流しながら、年かさの猟師が二人、熊と対峙している。

 突きつけた猟銃の先には黒々とした熊がずんぐりと立ち上がって威嚇していた。怪我をしているせいで気が立っている。

 猟犬達が、主人から熊を遠ざけようと必死に吠えている。

 猟犬が熊に飛びかかる。熊は犬を前足で振り払うと、猟師たちの方にぐんぐん駆け迫ってきた。

 ヒトに襲われて手傷を負ったために、人間につよい憎しみがあるらしい。

「くっ!」

 猟師が銃を撃つが、狙いが逸れる。

 もう一人は撃ち尽くした猟銃を握りしめて、熊に向けて振りかぶった。

 熊は目前に迫る。大きく前脚が閃めいた。

「くっそおおおぉおお!」

 二人とも死を覚悟しながら、一矢報いようと気勢を上げた時――。

 ――二人に迫るクマが吹き飛んだ!


「人様を襲うんじゃねぇクマ公!!」

 真上から強襲した眠子が、熊の脳天に強烈な踵落としを叩きこんだのだ!

 右足のパンプスのヒールは寸分たがわず、熊の頭頂部に突き刺さる。山駆けですり減ったヒールは、ピンヒールのごとく、一本の鋭い針となっていた。

 眠子は、パンプスを足から振り落とし、片手で着地すると、続けざま体勢を崩した熊の顎を、真下から蹴り上げた。

 足の指の間にはいつの間に抜いたのか、お弁当箱の鉄箸が挟み込まれていた。

 熊は、顎下から鉄の箸、脳天からパンプスのヒールをを突きさされ、脳を串刺しにされてしまった。

 怒りと痛みの咆哮を上げようとして、熊は口を開こうとした。

 だが、口蓋を貫通した二本の杭がその口を縫い留めている。開こうと力を込めるたびに、杭は脳の中をずたずたに引き裂いていった。

「おっさま、早よ撃て!」

「おう! サク、クマっこから離れ!」

 眠子が、一足飛びで素早く退く。入れ替わるように猟銃が火を噴いた!

 熊の正中ど真ん中を銃弾が引き裂き、熊が声にならない断末魔を上げる。

 ぐら、と巨体が揺らめき、地響きを立てて地に沈んだ。

 猟師は油断せず、倒れ伏した熊に止めの一撃をくれてやった。


「何もんだ、あの娘っ子」

「あン、サクか? 山さ住んでる企業戦士だべ」

 猟師二人は、仕留めた熊の側で、呆けるように眠子が去った獣道を見つめていた。

 遅刻はだめなんで、じゃあ、ここいらで……とものすごく簡単に挨拶して眠子は去った。

 まるで天狗に化かされたような早業だったが、猟師の内一人は慣れたものなのか、その背中に「後で、熊肉ば届けっからなー!待っちょれよー」と声をかけていた。

 熊を捌きにかかる相方を横目に、もう一人はひたすら首をかしげている。

「なんで、山さ住んでるンだ? 若けぇ娘っ子が住めるとこじゃねぇべ、こン山は」

 イノシシも出るし、猿もでる。止めには、今仕留めたばかりの熊もいる。

「街じゃ住めねぇ理由があンだとよ。俺にゃあ、わからん。ま、触らぬ神さんになんとやらってナ。こうして、命助けてもらって、狩りば手伝ってくれるええ娘じゃ。俺ぁ、サクが、河童だろうが天狗だろうがどンでもええ」

「狩りば手伝いぃ? んなあぶねぇマネ、なんで止めねえ!」

「平気だ。あンの動き見たベ? 熊犬にも勝るはしっこい娘だ。サクが熊ば引きつけて、足止めて、俺らが撃つ。猟犬の動きまんまだ。あれで何年もやってきた。俺らン中じゃ、サクは山神さんよ」

「山神ねぇ……俺にゃ、わからん」 

 もう一人も首を振りつつ、腰から山刀を取り出し熊肉の切り分けにかかった。

 昔からサクという娘は、狩りに参加していた。そして、今でも壮健で山を駆け巡っている。

 色々言いたいことはあるが、今でも山犬のように元気ならもうそれでいい気がした。

 女だてらに、山に愛されているなら、何があっても山が守るだろう。山の不文律とは理屈ではないのである。


 □ □ □


 眠子はようやく登山口から転がり出てきた。

 あちこち破けたストッキング。パンプスは片方を熊との戦いで失い、裸足になっていた。

 まるで山の中で遭難したような酷い有様である。

 登山口で靴紐を締めていた登山客が、唖然とした顔で眠子を凝視していた。

 一方の眠子はどこ吹く風で、腕時計とにらめっこしていた。

「後はバスに1時間乗って、途中で靴買って……。んー、ぎりぎり間に合うか」

 息も切れておらず、悲壮感もない。あっけらかんとした雰囲気は、こういう事態に異様に慣れていることを示していた。

「問題があるとすれば、……疲れてバスの中で寝ないかだな。久々に熊とバトルしたから、結構体力使ったし。バスの中で能力発動したらどないしよ」

 眠子は、乾いた笑いと共に呟く。 

 眠子が山の中に住む羽目になった超能力は、彼女の名前の通り『眠ることで発動する』のであった。

「あぁ、寝たら、また私がバスのハンドル握ることになるのか。眠ってても働くなんて、私、社畜の鏡だわ」

 半ば魚のような死んだ眼になって、眠子はとぼとぼとバス停に向かって歩き始めた。

 この後、起こることをを半ば確信しながら。


 □ □ □


『やっぱり眠気には勝てなかったよ……』

 山のふもとから発車したバスのアナウンス。運転手の男性の声は妙にすさんでいた。

 その目はまるで眠子の様に、死んだ魚の眼になっている。

 バスの中には、座席に着きつつ、眠りこけている乗客が四人。それと眠子も意識を飛ばしていた。

『熊と格闘したのが効いたなー。いや、おっさま達を助けるには必要だったんだけどさ』

 眠子しか知らない情報を、運転手はブツブツ呟きながらハンドルを切る。

 彼は勤続数十年をバスの運転に捧げたベテランであった。腕もマナーも一流である。

 しかし、今日はなぜかアナウンスによる愚痴を止めようとしない。

 普段の彼にとっては驚天動地の出来事で、もし意識があったなら恥で苦悶をしてしまうほどの恥辱だった。

 だが、運転手に罪はない。

 なにせ、運転手は眠子に意識と身体を乗っ取られていた。不可抗力だった。


 眠子が山に住む羽目になった能力とは、これである。

 つまり、

『眠りにつくと、周囲50m以内のランダムで選ばれた5人の人間も、同時に眠ってしまう能力』

 そして、

『眠らせた者の身体と精神を操る能力』


 今朝、山のふもとを出発した時、バスの中には、運転手と眠子を含めて丁度6人の人間が乗っていた。

 そして10分ほど前、眠子が疲れて思わずうとうとし始めた時、能力が発動。

 バスの運転手、そして4人の乗客たち、――計5人は否応なしに眠らされてしまった。

 勿論、このままではコントロールを失ったバスが暴走してしまう。

 眠子は慌てず、眠ながら運転手の意識と身体を乗っ取り、バスを運転し始めた。

 悲しい程慣れた事態だった。

 運転方法は、運転手の頭の中の情報と経験を引き出している。万が一にでも失敗はしない。

 眠子は、次のバス停で乗客を乗せると、愛想よく笑ってアナウンスをした。

『ご乗車ありがとうございます。本職はお客様を安全に終点までお運びしますが、道中は山道ゆえ振動も多くございます。どうかご注意願います』

 新しく乗った乗客は、全員が眠ったまま走行しているバスに違和感を覚えることもなく、頷いて空いた座席に座った。

 眠子は、やさぐれていたが、それでも最低限の人間性を失ってはいなかった。

 少なくとも、何の罪もないバスの運転手のフォローに徹しようとするぐらいには。

 ただでさえ、ランダム眠らせる能力なんて、危なすぎて街中じゃとても暮らせない。

 だから人様に迷惑を掛けざるを得ない以上、人間性だけは失ってはいけないと思ったのである。

 この先、能力ゆえのどんな理不尽が降りかかってきても、ちゃんと乗り切ろうと心に決めた。

 しかしその決心が、脆くも崩れさるのは、なんと決心した当日であった。

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