囲碁はこの時代にはほぼ完成されていたゲームです。
屋敷にはいると、質素だが暖かな雰囲気をまとった雰囲気が漂う。
「あ、そうだ! そーしゅ!」
てててっと奥から何かを持ってきた広は、妹に差し出す。
「はい! 僕たちがね、選んだんだよ。皆で遊ぼうと思っているんだ!」
「これはなぁに?」
「囲碁だよ」
「囲碁? んっと……」
滄珠は、戸惑うように言うと、
「これさぁ、今、僕がにーちゃんたちに教えて貰ってるんだ。この間、滄珠が出来ないとか馬鹿にしてたって言う、髭じじいがいたからな。僕もちゃんと習い始めてるんだ。一緒に習おうよ! 滄珠と広兄ちゃん、どっちが強くなるか頑張ろう!」
「しょうしゅ……ちゅよくなれましゅか?」
「「「「「なれるよ!」」」」」
兄弟の声が揃う。
「滄珠はお利口だから、絶対に上手くなるよ」
長兄の金剛は自分と同じふわふわの髪の妹の頭を撫で、次兄の循は頬に唇を寄せる様に、真顔で4兄の統が、
「循お兄ちゃん。それ以上やったら、僕たちと月季お姉ちゃんに滅多うち」
「……月季にだけは言わないで! 浮気じゃないよ! 滄珠は妹だから!」
「滄珠! お兄ちゃんと遊ぼう? お兄ちゃんが、滄珠に教えてあげる。お父さんにも教えて貰おうね?」
喬は父親に瓜二つの顔でにこにこ笑う。
「きょうおにいしゃま。そーしゅ、おにいしゃまだいしゅきでしゅ!」
「僕もだよ! 滄珠が大好きだよ! 仲良し兄弟だね? お兄ちゃんと滄珠は」
「あぁ! お父さんも仲間に入れて! ひどいよ! お父さんを忘れるなんて!」
孔明は訴える。
公式では、銀色の髪を結い上げた、スッとした年よりも落ち着いた印象の参謀兼内政担当の孔明は、物静かで言葉をほとんど発しない。
それなのに、お家ではコロコロと表情を変えて、笑顔や今のように拗ねた顔になるのに、滄珠はクスクス笑い出す。
「ガーン……お父さん笑われちゃったよ~!」
「ちがうでしゅよ! おとうしゃまのお顔、しゅごくだいしゅきでしゅ! おとうしゃまの笑っているお顔、しょうしゅだいしゅきでしゅ! しょうしゅは、おとうしゃまとおかあしゃま、おにいしゃまたちと桃花ちゃんがだいしゅきでしゅ!」
必死に訴える娘を抱き締め、孔明は、
「解っているよ。滄珠はお父さんとお母さんの可愛い可愛い娘で、金剛たちの妹で、桃花のお姉ちゃんだからね?」
「おとうしゃま……だいしゅきでしゅ。だから……ここのお家に戻りたいでしゅ……」
滄珠の声が鼻声になる。
「おとうしゃまといたいでしゅ……おかあしゃまとお話ししたいでしゅ。あっちのお屋敷、いやでしゅ……ふわぁぁぁん!」
泣きじゃくる滄珠の髪に頬を寄せ、こちらも瞳が潤みそうになるのを堪える。
「ごめんね……ごめんね! お父さんが悪いんだ……ごめんね……ごめんね!」
「違うぞ! 滄珠! 兄ちゃんは悪くないぞ! 悪いのは髭おっさんと、関平っておばさんだ! それと……殿もだ!!」
苞の一言に、何かを言いかけた索の鳩尾に蹴りをかまして悶絶させた弟の興が、苞の弟の紹と共に、
「姉ちゃん! 滄珠姉ちゃんは将来苞兄ちゃんのお嫁さんだぞ! だから泣いてると、あの美玲おばちゃんに頭突きかまされるぞ! 俺と苞兄ちゃんはいっつもゴーンだぞ!」
「それにお姉ちゃんは、可愛い女の子なんだから笑ってないと駄目だよ? 母さん言ってたよ? 琉璃お姉ちゃんと、滄珠姉ちゃんが笑うと本当に美人母娘。桃花もいると本当に眼福! あの可愛さをうちの娘に身に付けさせたいのに! 何で? 何で二人共お転婆に育ったのかしら! 貴方ね? って、とーちゃん殴り飛ばしてたよ」
その言葉に、孔明は娘を抱き締め、頬を寄せながらクスクス笑う。
その姿が容易に思い浮かんだのである。
「まぁ、あの二人ははっきりいって、循お兄ちゃんみたいに美人になりたいだって! なれる訳ないのにね。あ、根性だけはなったら困る!」
興の一言に、ピキンっと表情を強ばらせる循に、
「わぁぁ! 索! あれ、何とかしてくれ! お前の弟だろう! 循が自分の顔に嫌だって言ってるのは知ってるだろう! 美人顔で女装させたいとか、変態男に襲われかけたとか……いうな!」
金剛の言葉に、循の表情が強ばっていくのだが、当人は、
「索! 自分の弟だろう? 一言多いんだと説教しろ!」
「い、いや……興も一言多いが、お前も一言多いと思うんだが……」
顔をひきつらせる索に、
「そうなのか? 余計なことを言ったか? 循」
「……そうですねぇ……」
「いつもの顔だ。気にしてないぞ」
金剛の笑顔に腕を組み、冷たい笑みで循は、
「兄さんも! 索兄さんも、興も、特別訓練を後でさせてあげるから……待ってろ!」
「笑ってる……お父さん! 循お兄ちゃんが、怖いよ~!」
「循。滄珠の前ではやめなさい。じゃぁ、囲碁の名手の喬に教えて貰いながら、循とやってご覧? 滄珠? 勝ったら、お父さんから贈り物。負けた循は兵士部隊に入って特訓!」
父の言葉に慌てる循。
「お父さん! 僕が負けるとでも言いたいんですか?」
食って掛かろうとする少年に、孔明は統にこそっと囁き、クスクス笑った統は、次兄に耳打ちする。
妹の顔をちらっと見て、目をそらせた循は見る間に青ざめる……。
その様子に、
「おとうしゃま? 循おにいしゃまはどうしたのでしゅか?」
滄珠の言葉ににっこり笑った孔明は、
「元々ね? 循は喬と囲碁をするのは苦手なんだよ。だから、負けちゃったら兵士と同じ訓練は嫌だなぁ……だって」
「循おにいしゃまは、しょう言えば、剣の稽古いないでしゅ」
「喬も苦手だけど頑張っているのにね? だから、負けちゃったら統たちと同じ訓練! 滄珠を守る為なら頑張るよ! だって。ね?循」
「……お、お父さん! い、い、意地悪だぁぁ!」
循は叫ぶ。
正統な囲碁を得意とするのは喬であり、策略を巡らすのは循が得意である。
それなのに、可愛い妹の前でそんなことができる訳がない。
「さて、行こうかなぁ? お父さんは楽しみだよ」
「……あぁぁ! 地獄だ……」
嬉しそうな父に、泣きそうな息子が追いかけていくのだった。