季常さんは関平さんと結婚していたようです。
わいわいと騒いでいると、
「あ、あの……」
小声がして振り返ると、益徳の巨体の前に、息子の苞と紹と手を繋いでいる小さい子供がいる。
「あぁ、ようこそ。益徳どのに苞くん、紹くん、そして……お帰り。滄珠」
孔明が、息子たちを下ろすと微笑む。
その言葉に、ぱぁぁっと顔を赤くして、てててっと駆け寄る。
「おとーしゃま!」
「滄珠! 元気そうでよかった。お利口にしていた?」
抱き上げた孔明は微笑む。
「あい、おとーしゃま。しょうしゅはおいこうしゃんでしゅよ」
えへへ、とはにかむように笑う姿は、母親そっくりである。
「そうだねぇ。お利口だね~……でも、この傷は?」
滄珠の可愛いポッチャリとした頬に、唇の端の傷に気がつき、眉を寄せる。
「……あ、だいじょうぶでしゅよ。しょうしゅはちゅよいこなのれしゅ」
「孔明師匠! 大丈夫だぞ! あの、関平が殴ってたから、俺と紹でぶん投げといた」
「ついでに、季常どのをお父さんが殴ってました」
苞と紹の一言に、父の腕から滄珠をだっこした金剛は、
「二人とも、ありがとうな! 俺が、もっと滄珠に近いところに配属されれば……」
「僕も同じ」
「僕も」
循に喬も唇を噛むと、統が、
「僕、公祐さまのつてを頼って、滄珠の警護に任命されました。それに、玉蘭お姉ちゃんと月季お姉ちゃんも同じです」
「はぁぁ? いつの間に?」
金剛の問いかけに、統は、
「趙子竜の孫と言うことが強いんでしょう。それに、関平どのはあれだし、苞はまだだと思う」
「何でだよ!」
むかー!
食って掛かる苞に、統は穏やかに、滄珠の頭を撫でながら答える。
「冷静沈着、かっとなっては前が見えないよ」
「うっ……」
「それに、武力だけじゃなく、ある程度知略を持たなくちゃ。金剛お兄ちゃんはその点優秀だから、だから、黄漢升さまに着かれているものね。漢升さまは本当に強弓を扱うだけあって膂力もお強いし、羨ましいよ」
統の言葉に金剛は、
「まぁなぁ……お前、運が悪いよなぁ……上司があの叔父上と関平どのだろう?……って、うわっ?」
口を押さえる金剛。
益徳の後ろから現れたのは、馬季常本人である。
「お久しぶりです。敬兄、そして琉璃どの。そして皆……元気そうですね」
「交渉は?」
庇うように金剛から娘を抱き取り、表情を消したまま孔明は問いかける。
それを寂しく思いつつ、自らの過ちの為に作り出した溝を無くすことの出来ない、才能のない自分を心の奥で嘲笑いつつ……。
「上手く……出来ました。これから効力を産み出す為に、さらに動くつもりですので、しばし、お会いできない旨をお伝えしに参りました」
「遅い! それに、これは何?」
冷たい口調で、孔明は滄珠の頬を示す。
季常は顔を歪め、
「申し訳ありません。わが妻女が目を離した隙に……。あれを連れていくと問題多発で、連れていかないと倍増で……」
「でも、娶ったからには、責任は夫である季常にある。上司である私が命ずる。このようなことが次あれば、杖刑に処すと。信賞必罰を徹底しなくては、乱れるのが政治であり、軍であり、全て! 今回は罪に咎めない。しかし次はない!解ったね?」
「は、はい! では、行って参ります!」
帰っていった季常の背を見送った後、
「滄珠?お母さんと一緒に、赤ちゃんの桃花と遊んでおいで」
「良いのでしゅか? 阿斗……」
「滄珠? ここのお家では、お父さんとお母さんとお兄ちゃんたちと、お姉ちゃんと家族だよって言ったでしょう? お兄ちゃん。特に、はーい、喬? 統お兄ちゃんと手を繋いで行っておいで」
喬と統と手を繋いで貰い、共に母の元に向かう。
「お帰りなさい。滄珠」
「おかーしゃま、ただいまかえりましゅた。喬おにーしゃま、桃花ちゃんみたいでしゅ」
「いいよ。はい。桃花? お姉ちゃんが来たよ?」
喬は抱っこして、赤ん坊を見せる。
「可愛いでしゅ! お目目、おかーしゃまとしょうしゅと同じでしゅ」
「そうね。桃花? お姉ちゃんよ?」
にこにこと笑っていた赤ん坊は、滄珠を見るときゃっきゃっと小さな手を差し出す。
「滄珠が大好きなんだねぇ? 桃花は。滄珠? お手々握ってあげようね?」
「あい! 桃花ちゃん。おねーしゃまでしゅよ~。ぎゅってしましょうね」
握手と言いたげに、すると、滄珠の指をぎゅっと握りきゃぁぁと喜ぶ。
「桃花は、滄珠が大好きなのね。お姉ちゃん大好きよって言ってるわね」
「又、阿斗さまを勝手に連れ去るのは、止めていただけないかしら!」
キンキン声で入ってきたのは、だらしない格好で姿を見せた関平である。
「勝手にしないで頂戴! こっちが迷惑だわ!」
つかつかと近づいてきた関平に、益徳が間に立ちふさがる。
「うるせぇ! 俺が阿斗さまの守役だ!お前ら夫婦が全く仕事をしねぇから、俺と美玲が、面倒見ているんだろうが! 役目を果たさないのはお前らであり、職務放棄を責任転嫁するな!」
「阿斗さまを呼び捨てして、何考えている訳? 何してるのよ! 仕事もしないで!」
「申し訳ありませんが、職務放棄は関平どのの方が多いかと思いますが?」
統がゆっくりと近づき、仮の上司を見上げる。
「武器の手入れ、訓練もせず、勝手に城内をフラフラするのは、仮にも上の立場としてあり得ないかと思いますが? 今日は、母……趙子竜将軍は休暇、諸葛参謀もです。私たちも休暇を頂いております。職務にお戻り下さい」
丁寧と言うよりも慇懃無礼そのものの仕草で頭を下げる。
統は基本的に5人兄弟の中で一番大人しく、基本おっとり型だが怒らせると厄介である。
それなのに……。
「何ですって! この、今年入ったばかりの若造が!」
「じゃぁ、仕事そっちのけで遊んでいるただのおばさん、出ていって下さい。人の家に勝手に入ってこないで下さい。大迷惑です」
「お、お、おばさん……! この私を!」
柳眉を吊り上げる関平に、異母弟の興が、
「索お兄ちゃん! あのおばさん、こわい!」
とべそをかきながら、兄に抱きつく。
本当に怖いらしく怯える弟を索は抱き上げ、よしよしとあやすと、
「おばさん。出ていけよ。ここは、孔明師匠の屋敷であり、益徳親父がちゃんと護衛として連れてきているんだ! 仕事をしないあんたを、誰が信用する? 出ていけよ! ちい姫の護衛とか言いながら、あんたは、又何をしてるんだ! 怯えてるじゃねぇか!」
怯える滄珠を兄弟が、苞に紹がかばい睨み付ける。
「帰れ! あんたがこの家にいる理由はない! 早く帰って、自分の亭主や親父に泣きついたらどうだ!」
「くっ!……」
悔しげに唇を噛むと、立ち去る。
「全く、いい加減にしやがれ! 迷惑だ!」
舌打ちをした索は、はっとしたように、
「す、すみません……失礼な態度を……」
頭を下げる。
「索は良いよなぁ……お前のその厳しさ、強さは俺も尊敬するよ。見習わなきゃな」
金剛の言葉に、索は苦しげに笑う。
「いや、俺は……余り出来た人間じゃ……」
「そうか? 普通、出来た人間っていないと思うぞ? そこまで考えることが出来るのは強いからだ。西涼の親父なんて母上に甘えて、全くアホだぞ? 父さんや均叔父さんやおばあさまにぶん殴られて、ようやく動いたからな」
「そうだったのか……」
「そうだよ。アホ。でも、自分を律するのは良いことだと俺は思うよ。前に話を聞いたけど、次しないぞと自分に言い聞かせて、努力できるのが良いところだと思う。もっと自信をもてよ」
年の変わらない少年の言葉に、表情を緩ませると、喬が突っ込む。
「でも、気を抜くと失敗するからね。索兄さんは」
「そうだそうだ! 索にいは失敗する。金剛にい、あんまり喜ばせるなよ。図に乗るぞ!」
広の一言に、
「広!」
「抜けてる索にいは、循にいの命令にちゃんと従うんだぞ! 幾ら黒くても、一応参謀見習いだからな」
「……ほーぉ。広は僕をそんな風に思ってるんだ~?」
循がにっこり笑う、その恐ろしさに喬の後ろに逃げ込む。
「喬にい! 助けて!」
「えっと……循お兄ちゃん怒らせると駄目だよ? 広」
ちなみに喬は、糜子仲に着いて、内政の官僚を目指している。
循は参謀見習いとして、勉強中である。
「はいはい。じゃぁ、中に入って、皆で遊ぼう」
「囲碁しようよ! 循お兄ちゃん」
喬はにこにこ笑う。
「そうだね。ぼくも喬とやりたいな」
「僕も僕も!」
「統は次ね?」
「うん!」
暖かな一時……子供たちに囲まれ琉璃は入っていき、孔明は微笑みながら、
「益徳どのに士元も、皆もどうぞ。休憩もいいでしょう?」
主が客を招き入れる……ここは、暖かなお屋敷……。
しかし、皆、戦いが始まることを理解していたのだった。