裏話 目覚める者
世界のどこかに存在するとある場所。
人から忘れられたその場所で、今一つの影が浮かび上がった。
「…私は…目覚めたのか」
一見して女性のように見えるその影は、とても美しい容姿をしていた。
金色の長髪、白に金糸で飾り付けられた簡素な服。
女性の周りには煌く羽衣が浮き、神秘性を醸し出している。
「…前に起きてから…300年という所かの?」
女性の声を聞く者は誰もいない。
と、思われていた。
ジャリという砂の動く音が背後から聞こえる。
女性が振り向くと、そこに立つ白衣を着た男の姿を認める。
黒髪に眼鏡をかけ、袖の下より覗く手には黒の手袋をしている。
白衣の下は、昔通りであるならやはり黒を纏っているのであろう。
「お主か…まったく、あれから長き年月が経つというのに変わらぬその姿。もはや人の範疇であるまい」
「これはこれは、手厳しい。今回は遅いお目覚めでしたね、裁きの女神よ」
「妾は半神の身。女神と呼ぶでない」
裁きの女神。
この世界にある伝説の一つ。
自在に動く羽衣で人を縛り、左手に持つ天秤で人の罪を測り、右手によって罰を与える。
美しき姿をしたその女神は、騒乱の世に現れるという。
「して、遅い目覚めと申したな?何ぞあったかえ?」
「ええ。既に色々と。どうやら魔神が目覚めようとしているようで」
「難儀のことよな」
女性はそう呟きため息をつく。
そのあまりに人らしい仕草に、男は思わず笑みを浮かべた。
その笑みを見咎め、眉を不機嫌そうに歪めながらも、女性はそのことに触れず話を続ける。
「お主は此度どのように動く?」
「さて。その時になってみねばわかりませぬな。私がここに来たのは、女神に挨拶をしようと思っただけのこと」
「それだけの理由でこのような世界の果てまで来る者がいるなど、妾は信じたくなかったよ。まぁよい。お主が変なのは昔からじゃ」
男の言葉に、さすがの女性も呆れる他ない。
本来、人がここに来るには相当な苦労が必要だ。
その苦労をした所で辿り着ける保証はないのだ。
にも関わらず、男の白衣には汚れ一つ付いておらず、乱れた様子もない。
通常ならば有り得ないと切って捨てる言い分を、飲んでしまう程にこの男は異常であった。
これで本人はまだ人のつもりでいるというから恐れ入る。
半神の自分から見ても、十分化物の部類に入るというのに。
思えば出会った当初。
この人間がまだ老いを知る只人であった時から、この男は変だった。
半神たる自分に表面では敬意を表しておきながら、その実内面で何を考えているかは全く悟らせない。
今ここにいる理由とて、先ほどの言葉が全て真実であるとは感じなかったが、さりとて真たる理由はわからない。
不明。
この男に対する自分の見立ては、今も昔も、そしてこれからもそうであるのだろう。
悪ではないが、かと言って善であるとも言えぬ。
もし自分がこの男を裁かねばならなくなったとき、果たして裁くことはできるのか。
神より力を授かり、人を裁く使命を与えられ、今まで何千、何万と人に罰を与えてきた自分が、この男だけはどう裁けばいいか見当も付かない。
故に、できればそもそも関わりたくもない存在であるのだが、どうやらこの男は世界の流れの中心を、その傍で眺めることを好んでいるようなのだ。
それはまるで自分のようだ。
男もそう思って、自分に接触してきているのかもしれない。
「まぁよい。妾が眠っておった間のことを聞かせよ」
「仰せのままに、我が君」
白々しく礼をして見せる男に、女性はもう何度目かわからぬため息をつく。
あるいは自分をこうして疲れさせることが、この男の目的なのかもしれなかった。
それをして、錬金術師と名乗るこの変人に、何か益があるとも思えぬが。




