第71ページ 指名依頼
事件は冬に起きた。
その日、俺はいつものようにアステールと朝風呂を楽しんでいた。
先の事件の報酬により、アキホの温泉入り放題な俺は(料金はアタミ男爵が払っている)朝と夜の二回、アステールと温泉に入ることが日課となっていた。
だがその日は、温泉からいつもとは違う何かを感じる。
俺だけなら気のせいかとも思うが、どうやらアステールも何か感じているようだ。
「…湯に魔力が混ざっている?」
俺の疑問は、その後すぐに裏付けられた。
---
「アキホ全体の温泉でなのですか?」
「ええ、どうやらそのようで」
翌日。
アキホをぶらついていた俺は、どこからか現れたマテウスにアタミ伯爵が呼んでいると言われ伯爵家まで足を運んだ。
そこで聞かされたのは、昨日俺が疑問に思った現象。
即ち、温泉の湯に魔力が混ざっている現象が俺が泊まっている「友の湯」だけでなく町全部の自然温泉で起きているということだった。
俺が気づいたのは昨日であるが、その前から微量な魔力は帯びていたようで、疑問に思った本職の魔法師達が調査した所、発覚。
原因は今のところ不明。
「その真相を突き止めろと言うことですか?」
「そうだね。それが今回の指名依頼ということになるかな」
「…何故私に?」
魔力を帯びた湯の原因を突き止めるなら、もっと適任の人がいるように思えた。
視ることはできるだろうが、それで原因がわかるかはわからない。
「温泉の仕組みを知っているかい?」
「詳しくはありませんが…アキホは火山性温泉ですよね?」
温泉には火山性温泉と非火山性温泉がある。
アキホは火山性温泉で、これは地下水がマグマ溜まりによって温められ、地上に湧き出した温泉のことだ。
「その通り。しかし、アキホ付近の山は、火山ではない」
ハッとした。
言われてみればそうだ。
今まで疑問に思わなかったのも不思議だが、アキホから見える山々は火山ではない。
火山であるならばあのように鮮やかな紅葉が見れるはずがない。
「では、アキホの湯はどこから来ているのか。それはあの山々を超えた所だよ」
「…」
「あの山々を超えた先は海になっている。その海に浮かぶ火山島。そこの地下で熱せられた地下水がアキホへと流れている。アキホの湯に異常があった場合、そこに何かあったとしか思えない」
「わかっているのでしたらそこに調査を派遣すればいいのでは?」
「問題が一つだけあるんだ。唯一にして最大の問題が」
そこでアタミ伯爵は、何故か笑顔を向けてくる。
「あの島はね、竜の住処なんだよ」
「…は?」
「ギラヴェイア火山島。別名、竜達の棲む島」
いやいや、竜の住処に一人で突っ込めと?
無理無理無理無理。
「君ならできる!」
「無理です」
単体ならまだしも何匹もいるんだろ?
いや無理だろう。
「魔神さえ両断したのに何を怖がるんだ!」
あの魔神動いてなかったし。
戦ってたら勝てるとは思えなかったぞ?
「このままでは温泉に入れなくなるかもしれないよ?」
「なにっ!?」
思わず反応してしまう俺。
ニヤッとした伯爵を見て、しまったと思うがもう遅い。
「当然だろう。あの魔力にどんな作用があるかわからないんだから。調査が終わるまで温泉は閉鎖だね」
「ぐぬ」
「私としても嫌なのだよ。アキホの名物は何と言っても温泉だからね。でも仕方ないよね。唯一調査に行けそうな人間が断るんだから」
「ぐぬぬ」
「温泉の再開はいつになるかわからないなぁ。調査員は相応の戦力を確保しないといけないけれど戦力と調査能力を兼ね備える人なんてなかなか見つからないからなぁ」
「ぐぬぬぬ」
「…行ってくれるかい?」
「行かせて頂きます」
くそっなんて見事な手腕だ!!
思わず了承してしまった!
伯爵は満面の笑みだ。
後ろにいる執事長は困ったような顔で俺を見てる。
なんだその目は、決して温泉に入れないことに耐えられないわけではないんだぞ?
アキホの為に一肌脱いでやろうと言っているのだ。
「それじゃよろしく頼むよ」
俺の肩にポンと手を置く伯爵が悪魔に見えた。
---
「よく引き受けてくれましたね」
ディランが呆れ気味で声をかけてくる。
まさかあんな脅しで引き受けてくれるとは思っていなかったと、その口調が雄弁に言っている。
「引き受けるに決まっている温泉がかかっているのだからな」
彼の温泉好きは想像以上だった。
先の一件の報酬を温泉入り放題などで本当にいいのかと思っていたが、今となっては納得した。
この二月ほどで彼はアキホ全ての温泉を回り尽くしたのではないだろうか。
それでも飽きもせずにまだ朝と夜の二回も温泉に入っているという。
「異世界人の温泉好きはもはや病気だな」
証拠はない。
だが、私は彼が異世界人であることを確信していた。
魔神さえ屠る強さ。
神より賜った神刀。
何故か人の心を惹きつける。
そして何より温泉好き。
今でこそ商業目的であるが、アキホの温泉は異世界人であった初代アタミ伯爵が自分が入るためだけに掘り起こしたのだ。
伯爵家には今なお、温泉が設備されている。
「ですが、一人で大丈夫でしょうか?」
ディランの声に心配が混ざる。
「大丈夫だ。むしろ、伴など連れて行っては邪魔になるだけであろうよ」
彼自身の強さに釣り合う人がいないということもあるが、過去に一度だけ初代アタミ伯爵が友である初代勇者と件の火山島に行ったという記録が残っている。
それによると、火山島にいる竜たちの長は、気性が激しいこともあり人を良く思っていないが相応の力を示せば害されることはないという。
相応の力というのがどれほどのものかはわからないが、彼なら大丈夫だろう。
何せ彼は竜殺しなのだから。
彼が手に入れたという神刀は、邪竜を両断した刀だと言われているものだ。
初代アタミ伯爵が当時好き勝手暴れていた邪竜を斬ったと言われており、この町の神社に奉納されていた。
初代も元々は神から賜ったようで、あそこに奉納しておくのも神の意向だったことを考えれば、全ては初めから決まっていたことのように思える。
「何、問題はない。その気になれば一瞬で帰って来るさ」
私は胸に湧いた一抹の不安を表に出さないようにして口を閉じた。
彼は竜殺し。
それは竜たちにとって最も忌避すべき存在。
出会い頭に攻撃してくることもありうるのでは?という不安を。




