第302ページ 逗留
「先生、どうなんです?」
あのあと、俺の声に気づいて王樹の兵が出てきてくれ、ひとまずアステールを王樹内へと運び入れてくれた。
そして王医である羊人のマルタ医師がアステールを診てくれている。
アステールは相変わらず意識を失っており、心配してか獣王も様子を見に来てくれていた。
「ふむ、これは『羽替わり』ですな!」
「羽替わり?」
「左様。魔物の種によっては生じる現象です。蛹の羽化や、蛇の脱皮のように新たなステージへとあがるための儀式のようなものですな」
「つまり命に係わるようなものでは…」
「ありませぬな。しかしながら、羽替わりは膨大なエネルギーを用いると言われています。羽替わりが終わるまで、個体差もありますが2か月ほど、それまでアステール殿は自ら動くこともままならないでしょう」
2か月…かなり長い足止めにはなるが、アステールの成長だ。
空間魔法で家に戻るか、それとも獣大陸で過ごすか…
「幸いにしてメェには羽替わりの魔物を診た経験もあります。お役に立てるかと思いますぞ」
「そうですか…わかりました、よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、マルタ医師は任せなさいというように自分の胸を叩いた。
毛が深すぎて何も音は鳴らなかったが。
「ひとまず大事がなかったようで何よりだ」
「獣王にもご心配をおかけしました。ありがとうございます」
「良い。万が一があり、其方に暴れられては目も当てられんからな」
「アステール殿はしばらくしたら目を覚まされるでしょう」
「ありがとうございます」
俺はアステールが目を覚ます前に宿へと帰ることにする。
マルタ医師は宿へと問診に来てくれると約束をしてくれ、何かあればすぐに来るようにとまで言ってくれた。
獣王もマルタ医師に対し、全面的に協力してくれるように依頼してくれていた。
本当に感謝しかない。
アステールを担ぎ上げた俺は、そのまま宿へと向かう。
大通りを歩いていくと騒ぎになりそうだったので、空を駆けながらそのまま箱舟へと運び入れた。
アステールをベッドへと横たえ、俺は近くにあったソファへと座る。
モフっとした感触のそれは、ベッドと同じく最高級品であることがわかったが、今の俺にはその感触を堪能することもできなかった。
「まったく、生きた心地がしなかったぞ」
呼吸も落ち着き、まるでただ眠っているだけのように見えるアステールを見る。
羽替わりは、アステールの成長には必要不可欠だったのだろう。
だが、これまで俺がアステールに無理をさせていたのも事実。
今までの蓄積された疲労や、けがの後遺症などがあったのではと焦り、治癒の魔法をかけることさえ忘れていた。
「不甲斐ない主ですまないな」
俺は少し急ぎ過ぎたのかもしれない。
アステールの動けない2か月。
獣大陸で、地道に働いてみるのもいいかもしれない。
「クルゥ」
「アステール!」
そんなことを考えていると、いつの間に目覚めていたのかアステールが鳴き、まるで甘えるように顔を摺り寄せてくる。
「慰めてくれてるのか?」
「クル!」
「はは、そうか…ありがとうな」
俺はアステールを撫でながら、その羽毛を堪能する。
だがやはり、ベッドから動くことはできないようだった。
マルタ先生は数日おきに来てくれるのだが、獣大陸で仕事をするにしてもアステールにつきっきりというわけにはいかない。
ここはやはり呼ぶしかないだろう。
「アステール、少し待っててくれな」
「クル」
アステールに確認をし、空間魔法を発動する。
転移先は懐かしき我が家だ。
多くの魔力が消費されるのを感じながら、一瞬で我が家に到着する。
「久しぶりだなぁ」
「まったくでございますな」
「よ、よぉウィリアム。久しぶりだな」
家の中へ入ると、後ろから声をかけられる。
油断していたとはいえ、俺の背後を取れるとは。
「腕をあげたな」
「四か月も主がいない間、屋敷の掃除と鍛錬くらいしかやることがありませんでしたからな」
顔は笑顔でありながら人に恐れを抱かせるとは、さすがだ…
「それで、放蕩癖のあるらしき主よ。何故、南の港町に行ったあなたが魔大陸に行き、マジェスタ国王と魔王が友誼を結ぶ橋渡しをすることになったのでしょうな?」
「な、成り行きで?」
「…まったくあなたという方は。本当に面白い方だ」
フッと笑い、ウィリアムから威圧感が消える。
そのまま優雅な仕草でこちらに礼を取った。
「おかえりなさいませ、シュウ様」
「ああ、ただいま」
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「なるほど、アステール殿の羽替わりですか」
「知っているのか?」
「本で読んだ程度の知識ですが。それで、私に獣大陸へ来てほしいと?」
「そうだ。頼めるか?」
「もちろんです」
「ありがとう」
ウィリアムに今までの流れを説明し、アステールの介抱を頼む。
幸いなことに快く引き受けてくれたが、ここで一つ問題に気付いた。
「2か月この家を放置することになるのか。帰ってきたら荒れてそうだな…」
家を大きくし過ぎた為にそれを放置した時が怖い。
結界を敷いているため魔物に破壊されたり、野盗が住み着いたりすることはないだろうが、それでも人がいない家というのは徐々に朽ちていくものだ。
「ご心配には及びません。シュウ様のいない間に、もう一人ここに住みたいと申してきた者がおります」
「へー?珍しいな、ウィリアムが俺に連絡もなく誰かを家に住まわせるなんて。あんたが信頼する相手か?」
「ええ、こと家の世話という点においてはこの方以上はいないでしょう」
「ほう?紹介してくれるか?」
「もちろんですとも。出ていらっしゃい」
ウィリアムが後ろに向かって声をかける。
すると、今までの何も気配がなかったにもかかわらずウィリアムの後ろにはいつの間にか小さな女の子の姿があった。
「この子は…」
「ブラウニーです。またの名を家妖精とも言い、素晴らしい家に住み着く妖精です。戦闘能力等は一切ありませんが、家との親和性を高め家事を行ってくれることもあります。滅多に姿は見せないのですが、この家はとても環境がいいらしく全面的な協力をしてくれるそうです。それを条件にここに住まわせて欲しいと」
「は、はじめまして。ご主人様のいない間に家に入る無作法な真似をお許しください…どうしても、我慢できなくなってしまい…」
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[ブラウニー]ランクD
別名を家妖精。
家に住み着き、家人の手伝いをする妖精。
家人であろうと姿を見ることは稀であるため、その姿を見た者には幸運が訪れると言われている。
―・―・―・―・―・―
「ふーん、それで俺たちがいない間はこの子に任せておけば大丈夫だと?」
「シュウ様の、家長の許可があればブラウニーは正式に家に就くことができ、揮える力も大きく変わるとのことです。この屋敷であっても一人で管理できるほど」
「それはすごいな。俺たちはこれからも留守にすることがあるかもしれないし…君はそれでいいのか?」
「ぜ、ぜひお願いします!」
「そうか、歓迎しよう」
「あ、ありがとうございます!」
こうして俺の屋敷には、もう一人家族が増えた。




