第293ページ 歴史が変わる時
近づいてくる暗黒竜。
クイナは持ち前の敏捷性によってそれを回避しようとして、気づいた。
自らの右足につけられた焼け跡を。
(あの時に!?)
暗黒竜のブレスは、痛みがない。
それは決して優しさではなく、密かにしかし確かにダメージを与える為。
こうして自らの限界に気づかなかった相手の生を確実に止める為に。
「これは…避けれませんね」
クイナは迫る牙を前に目を閉じる。
これまでも死を覚悟したことはあるが、今回はどうにも切り抜けようがなかった。
「クイナァァァァァ!!」
後ろからイザークの悲鳴が聞こえてくるが、恐怖はなかった。
自分が死んだあと、うまく逃げてくれればいいなと考えた。
だが、いくら経っても想像していた衝撃はこない。
気づけば暗黒竜の足音も途絶えていた。
クイナは閉じた時と同様に、ゆっくりと目を開ける。
信じられない光景が、目の前には広がっていた。
「よぉ、久しぶりだな」
光を放つ神剣を肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべる冒険者。
その後ろには、首を綺麗に両断され胴と頭が離れた暗黒竜の死体が転がっていた。
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消えていく氷雪を少しだけもったいなく思いながら、メーアは更なる闇を生み出した。
先ほどの協調魔法は、限界である二人が力を振り絞り成功させた奇跡。
もう起こることはないだろう。
気づけば、自身の胸の内に広がっていた怒りは収まっている。
それでも、自分が魔族であって、眼前の敵が人族である限り、戦いを止めることはないだろう。
そう思っていた。
「そこまでだ、メーア」
この場で聞く筈のない声が耳元で聞こえる。
慌てて振り返ると、そこにいたのは予想通りの相手。
この場にいる筈のない相手。
「ま、魔法陛下!?」
メーアの叫びに、ポラリスとシリカの顔が変わる。
あの男が魔族の王。
その情報に抱く感情は様々、怒り、恐れ、絶望。
ポラリスでさえ敵わぬと思わせるだけの覇気をその男は発していた。
どういうわけか、上半身は裸で、その胸には一目で重症とわかる跡があるにもかかわらず。
「ど、どうしてここに!?」
「連れてきてもらったのだ。メーア、其方の力を借りたい」
「は、はぁ…?」
意味も分からずうなずくメーアに、魔王はニヤリと笑った。
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その日、マジェスタ王国王都に住む人々は、歴史の変わる瞬間を目撃した。
『傾聴せよ』
声が響く。
次いで、王都上空にその姿が映し出された。
黒と金の装飾を身にまとい、金色の髪をオールバックにしたまだ若い人物。
蒼い目は美しく、魅了された女も中にはいたほどだ。
しかし、青年の次の発言でその印象はガラリと変わる。
『我が名はヴァントゥース・シングレイブ・アッカーサー。ルビアンナ魔国。其方たちが魔族の国と呼ぶ場国の王だ』
その言葉は、宣言したのだ。
自分は魔王だと。
魔王がここにいるのだと。
その言葉に、国民は恐怖する。
魔族が攻めてきているのは知っていた。
しかし、ついに王都は魔王の手に墜ちてしまったのかと。
けれどそこに、予想外の登場人物が加わった。
『私のことは知っているだろうが、名乗っておこう。エドガー・アルクトス・マジェスタ・フォン・アッシュフォード。マジェスタ王国21代目国王だ』
それは自分たちの王。
この国に住む者ならば誰もが知っているマジェスタの国王だった。
マジェスタ王国21代目国王エドガーは、目立った功績はないものの暗君ではなくその人柄から良き王として知られている。
しかし、その娘や第一王妃とは違って、自身の戦闘力が強いとは聞いたことがなかった。
そんな王に、国民は一瞬の心配を、そしてすぐに疑問を浮かべる。
自分たちの国王が魔王と肩を並べ、戦闘に入る気配もなければその身に一つの傷もない。
どちらの顔も落ち着いており、何らかの決意を持った顔だ。
次に何を言うのかと、国民全員が耳を澄ました。
『我が何故ここにいるのか、疑問にそして不安に思っている者も多いことだろう。我がマジェスタ王と共に其方らの前に現れた理由はただ一つ。ルビアンナ魔国は、マジェスタ王国に対し停戦協定を申し入れた!』
魔王の言葉に、国民たちは我が耳を疑った。
何を言っているのかがわからなかった。
『マジェスタ国王として、私はその協定を受け入れることにした』
国王から発せられたのは魔族との停戦を受け入れるというもの。
太古の昔より争っていた人族と魔族の戦を終戦させるというものだった。
それに対する反応は様々。
歓喜の声を上げるもの、喜びにむせび泣く者もいれば、ふざけるなと怒声を上げる者、信じられないと首を振る者、面白いと口角を上げる者もいる。
『これよりマジェスタ王国が国としてルビアンナ魔国と敵対することはない!』
『同じくルビアンナ魔国はマジェスタ王国に対し国として攻撃することはないと約束しよう』
二人の王が宣言し、互いに向き合う。
そして二人は同時に右手を差し出し、その手を握った。
国民たちはその光景に争いが終わったことを実感した。
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「はっ、だってよ爺さん」
かき消えゆく2人の王の像を見ながらダルバインは面白そうに今まで戦っていた相手を見る。
その相手も満足そうに笑っているところだった。
「どういうことかは愚かな私にはまるでわかりません。しかし、あの方の関与を疑わざるをえませんねぇ」
「ははっ!もしかしたら俺も、あんたと同じ奴を思い浮かべてるかもな!」
「そうかもしれませんねぇ」
二人は互いに傷を負っている。
ダルバインの魔人兵装は無残に壊れているし、ジェームズの右肩は外れその身のあちこちに怪我を負っている。
それでも二人は笑っていた。
今まで戦っていた相手と、まるで友達同士であったかのように。
そして二人は互いを見てからそれぞれの主の元へと向かう為、何もためらわずに相手へ背を向けた。
そしてゆっくりと歩いていく。
見守っていた冒険者は、未だ何が起きたかわからず呆けていた。
一足先に我に返った冒険者は、魔物の死体で埋まるこの惨状をどうすればいいのかともう一度途方に暮れた。
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「まさかこんなことが…」
西の戦場。
そこは既に戦場ではなかった。
地を埋め尽くさんばかりに、魔物の死体が転がっている。
東の死体が無傷であるのに比べ、こちらは凄惨な様子となっていた。
騎士団の中にもその光景に耐えられぬ者がおり、それを作り出した男には味方であるにもかかららず恐怖の視線が向けられていた。
「魔族と停戦とは…面白い…」
男、イーヴァ・バビュロニカは笑う。
自分の予想の斜め上をいった決着に満足しながら。
「そういえばあの人はどこに行ったんでしょうかね?」
そして、自分が出てきた瞬間に早々と姿をくらませた魔族のことに首を傾げながら。




