第273ページ 吸血鬼の事情
「気がついたようだな」
「ああ、エリュトロス。心配かけたようだ…なっ!?お前、何故まだここにいる!?」
部屋に入ってきたのは、人形態のエリュトロス。
その後ろから現れたのは、ウルデルコ配下の吸血鬼、ヴァレンテと呼ばれていた男だ。
「其方が起きるのを待っていたのだ。一言言う為にな」
「復讐なら、いつでもいいぞ?」
近づいてくるヴァレンテに対し、誰も何も言わない。
視線を向けるだけだ。
ジャックも何も警戒している様子はない。
エリュトロスは、油断していないといった様子だな。
「礼を、言う為だ」
「…礼だと?」
「ああ、我が主人、ウルデルコ様を満足させてくれて礼を言う」
ウルデルコは、永い生に飽いていたそうだ。
刺激を求め、強者を求めていた。
しかし、ウルデルコは世界最強クラス。
その相手ができるものなど限られている。
そんな時、目を付けたのが魔国ルビアンナ。
魔王と呼ばれる者ならば、自分の相手として足るかもしれないと。
だが、魔王に用があるからと言ってウルデルコクラスの猛者が来て、はいそうですかとすんなりいくわけがない。
仕方なく、ウルデルコは国を相手取ることにした。
本来、ビアッジョ・ハイレーンはおろか魔王以外の誰にも、手を出す気はなかった。
誤算だったのは、ビアッジョ・ハイレーンの勇気と力。
ハイレーン領主であったビアッジョの力はウルデルコの想定を超えており、興が乗ってしまったウルデルコは、つい、やりすぎた。
「…おい」
「マスターも反省はしていた」
視線を逸らしながらヴァレンテが話を続ける。
治癒魔法など使うことができない吸血鬼には、回復させる為の手段は一つしかなかった。
「それが」
「変血。人を吸血鬼へと変える力だ」
ただし、ウルデルコはハイレーン領主を吸血鬼へと変えることを是としなかった。
彼と拳を交えたからこそ、彼がそれを望まないことが容易にわかっていたからだ。
そこに現れたのが、エルデミルト・ギスターブ。
俺がこの街について初めて会った吸血鬼だ。
「あの愚か者は、マスターの葛藤も知らず、ヴィアッジョ・ハイレーンに牙を立てた」
強引に変血を受けたハイレーン領主は、苦悶の表情を浮かべながらも必死にそれに抗い、グールとなった。
チラリとビビアーナに顔を向けると、悲痛な表情を浮かべながらもどこか納得していた。
父親が最後まで人とあろうとしたことを誇りに思っているのか。
「お父様は、既に弔ったわ。グールから元には戻れない。せめてその生を止めてあげることしかできなかった。それをやったのも私ではない。私にはそんな力は無かった…あなたの従魔の力を借りたわ」
ビビアーナがエリュトロスとジャックに目を向ける。
二人が頷くところを見ると、つまりそういうことなのだろう。
「そういえば、そのエルデミルトはどうなった?外で死んでいたのか?」
「そいつは、私達が突入する前、ウルデルコによって制裁されたそうよ」
「制裁?」
説明を求めるようにヴァレンテを見ると、思い出したくもないというように露骨に顔をしかめてから口を開く。
先程も言ったように、本来ならばハイレーン領主はグールとなる予定ではなかった。
にも拘らず、変血を行ったエルデミルトに対し、ウルデルコはもはや怒気さえわかなかったらしい。
ギスターブとは、ウルデルコの性であり、ウルデルコが変血した一族に連なる者ということになる。
吸血鬼は子を産むことができない。
始祖吸血鬼同士ならば生むことも可能であるようだが、始祖吸血鬼はウルデルコが最後だったのではないかとヴァレンテは言う。
よって吸血鬼は変血でしか増えず、ウルデルコを頂点とした変血による繋がりをギスターブ一派と称するそうだ。
この一派はギスターブ以外にも存在するが、頂点が在命だったのはギスターブだけらしい。
今回のことでギスターブ一派は頂点を喪った。
他の者は、ヴァレンテ以外まだまだ下っ端な者だったので、損失はウルデルコだけらしいが。
ただし、吸血鬼エルデミルトは、三代目の吸血鬼。
ウルデルコからすれば孫世代にあたるそうで、古参という扱いになる。
そして、増長していた。
自らの立場を、権力を、自身で勝ち取った物だと。
思いあがった。
「市民から金銭を巻き上げるような行いも、マスターは軽蔑の視線を向けていた。しかし、既にマスターはエルデミルトに対する興味を失っていた為、好きにさせていた。が」
俺に吹っ飛ばされたエルデミルトは、ウルデルコにそのことを報告し泣きついた。
自分の代わりに、俺を殺してくれと。
それで、ウルデルコがブチ切れた。
「マスターの力さえも自分の力と勘違いした愚かな男は、その身でその報いを受けた」
痛苦の中泣き詫びるエルデミルトに対し、ウルデルコは容赦なくその命を奪い、灰へと変えた。
あの執務室にあった灰の山が、元エルデミルトであったらしい。
「そして、其方が現れた」
ウルデルコは、何百年ぶりかに全力で闘い、そして満足して逝った。
「だから礼を。マスターを満足させてくれて、ありがとう」
あいつもまた、死に場所を探していたということなのだろうか。
簡単には死ねないくらい力を付けた、付けてしまった自分を、終わらせてくれる者を。
「…其方から、マスターの力を感じるな」
「ああ、死に際に祝福を受けたようだ」
「ふっ、祝福か。あのマスターが…一派の同胞達が聞いたら、驚いて目を剥くだろうな。そうか…」
そう言って笑うヴァレンテはどこか寂しそうだった。
「では、私はこれで失礼する」
「これからどうするんだ?」
「どうもせぬ。吸血鬼はまた、闇へと戻るのみ。では、さらばだ。シュウ・クロバ」
「ああ、じゃあな」
バッとヴァレンテがマントを広げ自身を覆うと、その姿が一瞬にして無数の蝙蝠へと変わり、窓から飛び出して行った。
まさに、吸血鬼らしい退場の仕方だ。
「いいのか、ビビアーナ?あいつも一応、親父さんの仇ということになるのでは?」
「いいの。お父様は、街の為に闘った。そして、ご自身の誇りを守って死んだ。仇は、むしろエルデミルト一人で、その仇はもういない。彼を恨む理由は…まぁ少しはあるけれど、でもいいの」
「そうか」
少し見ないうちに、彼女は自身の感情にケリをつけていたようだ。
そんな彼女を、グレイが誇らしそうに、その成長を少し寂しそうに見ていた。




