第259ページ あの夜
「この街は今、吸血鬼によって支配されているのよ」
少女とその仲間たちは、「付いてきて」と言いマンホールを開け始め、ためらいなくその中へ降りていった。
エシルと顔を見合わせ俺達もそのあとに続く。
アステールはその場にいてもらい、下に降りてから従魔法の<召喚>で呼び寄せる。
中は広々としており、下水特有の臭さもない。
魔道具を使って分解し消臭しているそうだ。
「こっちよ」
少女は慣れた様子で下水道を進んでいく。
この下水道の地図が頭に入っているようだ。
何度も何度も使っている道なんだろう。
やがて下水道の様子が変わってきた。
薄明かりで暗かった下水道から、きちんと整備された通路になる。
灯りもきちんとあり、下水道ではなく地下道といった感じだ。
「この通路は、領主の一族が何かあった時に脱出できるようにした秘密の抜け道よ。領主館の中から下水道を経由すれば街の外まで出れるようになっているわ」
そのまま付いて行くと少しして広い場所に出た。
明るく照らされたその場には、武装した魔族が十何人とおり、食糧なんかの物資が壁際に置かれている。
「自己紹介がまだだったわね、私はビビアーナ・ハイレーン。領主の娘よ」
「シュウ・クロバ。組合員だ。そっちは相棒のアステール」
「…念のためタグを見せてもらってもいいかしら?」
「ああ」
「!?銀タグ…」
銀タグは冒険者ランクでいうとB、A程度の証。
ちなみに配達の仕事で「配達人組合」のタグは銅になっている。
そちらのタグが銀になるには、街間の配達、つまりは危険な街外へと出る必要があるそうだ。
「実力は確かなようね」
「説明してくれるか?」
「…いいわ。あの男が現れたのは、半月前よ。あの日は私の誕生日で…」
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『ははは、ビビは今年で何歳になるんだったか?』
『ちょうど140になりますわ、お父様』
『そうか、もうそんなになるか!はっはは』
『もう、娘の歳を忘れるなんてどうなんですの?』
『魔族に歳などあってないようなものではないか』
『それはそうですわね。こうしてお祝いしていただけるだけで幸せですわ』
幼い頃に母を亡くした私をお父様は一人で育ててくれた。
魔都に近く魔王陛下の後見をしていたお父様は多忙で、そんな中でも私の誕生日を忘れたことはなかったわ。
けれどあの日…
『やぁやぁ歓談中失礼するよ、ビアッジョ・ハイレーン殿』
カッと窓の外が光り、屋敷の灯りが一時的に消えた。
その一瞬で、どこから入ったのかお父様の対面の席に一人の男が座っていたわ。
『何者だっ!?』
『ここがどこだかわかってらっしゃいますの!?』
お父様の背に庇われながら私はその男を観察した。
男は金髪をオールバックにし、白のシャツに裏地が赤の黒マントを身につけていた。
服の上からでも、その筋肉がはっきりとわかったわ。
そして、男の放つ魔力が私やお父様さえ比べ物にならないものだということも。
『私はウルデルコ・ギスターブ』
『ウルデルコ…』
『ギスターブだと!?』
その名前は有名だったわ。
貴方は知らなかったようだけど。
吸血鬼の始祖にして彼らの王。
かつて一夜にして一国を滅ぼしたと言われるほどの魔物。
ただそれは伝説で、最近はその実在すらも怪しいと言われていたわ。
死んだとも封印されたのだとも言われていたけど、どちらにしろその名を聞くことは無かった。
それが、まさか直接聞くことになるなんてね。
『…吸血鬼の王が、私に何用だ』
『何簡単なことだ。少し国を頂こうと思ってね』
『なんだと!?』
ギスターブはまるで食事にでも行くかのように軽い口調でそう言い放ったわ。
あまりに軽く、私にはそれが本当だとは思えなかったけどお父様は違った。
その言葉が紛うことなき真実であると直感していた。
だから
『逃げろ、ビビ!お前だけでも!』
『お父様!』
『ほう?』
誕生会で武器の携帯などしていない。
お父様は得意の剣術も使えない状況で、それでも何重に魔法を発動させギスターブに立ち向かいになった。
『お嬢様!こちらへ!』
『やっ!嫌です!お父様!』
『生きなさい、ビビ!グレイ、ビビを頼んだぞ』
『お父様っ…』
『…主命必ずや、お館様』
『私と闘おうというのか、面白い。前菜を味わうもまた一興。少しは愉しませてくれたまえよ?』
私は使用人たちに連れられ、お父様の執務室へ、そこから抜け道から地下へと急いだ。
その途中背後から轟音が鳴り響き、私にはお父様の魔力がどんどん小さくなっていくのがわかったわ。
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「お父様は、おそらくもう…」
沈痛に顔を伏せるビビアーナ、その後ろでギリッと悔しそうに歯を噛みしめている男が、話しに出てきたグレイという使用人だろう。
その他にもこの場には領主の使用人だった者たちが何人かいるようだ。
「私は、街の外へ出ないことを選択したわ」
使用人によって一端は街外へと連れ出されたビビアーナは使用人のうちの何人かを魔都へと走らせ、自分はこの街で機会を待つことにした。
ギスターブを討ち、街を取り戻す機会を。
「知ってるかもしれないけど、この街は不昼と言われるほど陽が差さない。吸血鬼にとっては居心地がいいでしょうね」
なるほど。
ギスターブがこの街を狙ったのはそれが理由か。
「それに魔都に一番近いこの街は魔国転覆の足がかりには最も適している。それを防ぐために、魔王陛下から全幅の信頼を置かれているお父様がここを任されていたのよ」
「その魔王は何をしている?ここの現状は伝えたんだろう?」
「…使用人たちは帰ってきていないわ。伝わっているかどうか…」
ビビアーナには伝わった上で魔王が何もしないという考えは微塵もないようだ。
ここから魔都まで人の足で一週間程だという。
報せが届いていれば、そろそろ助けが来てもいい頃か。
「…今日この街に来た人に頼むようなことじゃない。それでも、恥を忍んでお願いがあるわ」
「聞こうか」
「貴方に依頼を」
「内容は?」
「吸血鬼ウルデルコ・ギスターブの討伐を」
「報酬は?」
「なんでもいい!私にできることならなんでもするわ!だからお願い…これ以上あいつらの好きにさせたくないの…」
ビビアーナの瞳から涙が流れ、地面へと落ちる。
そのままバッと頭を下げた。
「お願いします!」
エシルにチラリと目を向けると、彼女も沈痛な顔をして「お願い」と呟いた。
「…引き受けよう」




