第228ページ 怒りの斬撃
目をぬぐい、俺は踵を返す。
「随分やられたな、アステール」
「クルゥ」
アステールの美しい毛並みのあちこちに傷があり、赤い血がついている。
スケルトンは出血などしないのでこれは全てアステールのものだということだ。
アステールがこれ程傷ついたのを見るのは深淵の森以来か。
「あいつらは強かったか」
「クル」
今のアステールに傷をつけるのは簡単なことではない。
俺の影響によって竜の鱗並みとは言わないがそれに近い羽毛となっている。
そのアステールにこれ程の傷を負わせた。
アルケアニス号の船乗りたちは、キャプテン以外も歴戦の船乗りたちであったということか。
「メガハイヒール」
滅多に使わない光魔法の治癒術でアステールを癒す。
これで傷は癒えたはずだが、傷つけられた羽毛や付着した血が痛々しく見える。
労うように一撫でし、俺は船室へ。
キャプテンの私室へと入る。
この一室はキャプテンが死後も使っていたようで埃が積もっていない。
その机の上に、数冊の書物と羊皮紙、木製の箱が置かれていた。
「これがキャプテンの言っていたものか…」
俺はその存在だけを確認し、船室を出る。
今はそれがなんであるかよりもアトランティカの防衛が優先だ。
キャプテンがいなくなろうと、まだ大本がいやがる。
アノマウスを排除するまで、終わったとは言えないだろう。
「アステールお前はここでこの船を守っていてくれ」
「…グルゥ」
不満だと言うように唸るアステール。
だが、この船の動かし方などわからないし、水圧の変化はアステールに多大な負荷をかける。
どれほど文句を言われようと、今連れていく気はない。
「頼んだぞ」
「グル」
アステールが不承不承というように頷くのを見たあと、俺は海へと潜ろうと空を蹴る。
「…なんだ?」
しかし、空に浮かんだ状態で俺は動きを停止した。
海の様子が何やらおかしい。
何がどうおかしいのかはわからないが、何か違和感が…
「!?」
そう思っている間にも違和感は現実のものへと変わる。
青く輝いていた海が、黒く濁っていき同時に渦を巻き始める。
渦潮はどんどんその規模を大きくしていき、ついにはオルケアノス号をも巻き込み始めた。
渦の真ん中は空洞になり、海底まで続くようなトンネルが生まれる。
そしてそこから、巨大な女が姿を現した。
「アァァァァァァア!!」
「アノマウス!?」
海底で見たアノマウスをそのまま巨大化させたような姿。
「おいおい、嘘だろう?」
「それが嘘ではないんだな」
「マーリンさん!?これは一体…」
一度完全回復したはずのアノマウスはその身に多大な傷を負っていた。
やったのは間違いなくマーリンさんだろう。
だが、マーリンさんも無傷というわけにはいかなかったようだ。
平静を装っているがその身は既に満身創痍といった具合だろう。
「私の渾身の魔法をぶち込んでやったらああなったのさ。おそらく君がキャプテンたちを斃したことも関係しているのだろうがね」
マーリンさんは甲板の上をちらりと見て言う。
彼女が戦っている時にアマノウスが急に激昂したそうだ。
それはおそらくキャプテンの浄化を感じ取ったからだろう。
「んで、ああなったと」
「的が大きくなっただけだと思うがね。『サンダーレイン』」
マーリンさんが手を掲げ振り下ろすと、雷が雨となってアノマウスに降り注ぐ。
「ギァァァァァァ!」
アノマウスの絶叫が響くが、それほどダメージを受けているようには思えない。
マーリンさんが使ったサンダーレインは上級魔法に分類されるものだが、おそらく今の彼女では本来の力を出し切れないのだろう。
魔力がまるで通っていなかった。
「マーリンさん、あれは任せてくれるか」
「…私も珍しく怒っていたんだが、見誤ったみたいだ。君に任せよう」
「ああ、ありがとう」
全身から魔力が迸る。
「お前はまったく美しくないな」
斬鬼をしまい、天羽々斬を取り出す。
「何が海の女王だ。どこが女神だ。妄執に捕らわれた破壊神の使い風情が、お前のせいでどれだけの運命が狂わされたと思う」
アマンダの顔が、キャプテンの顔が、ムーレミアの顔が、この国で出会った者の顔が思い浮かぶ。
「醜く太ったその姿、これ以上俺の前に晒すな。見るに堪えん!」
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私がその光景を忘れることはないだろう。
国を侮辱され、私は確かに怒っていた。
しかし、彼は私以上の怒りをその身に宿していたようだ。
彼が手にした長刀は白銀に光り、彼の魔力を取り込みその輝きだけで混沌海女の邪悪なオーラを打ち返していた。
あれはおそらく神剣と言われる類のものだ。
彼の怒りの声は私の耳まで届き、彼の叫びと同時に神剣が一際輝く。
まるで彼の怒りに神剣が呼応しているかのようだ。
その神剣が一気に刀身を伸ばしたかと思うと、彼はその刀を一閃した。
それだけで、混沌海女の巨体が真っ二つに裂ける。
「ギョァァァァァァァァァァ!!」
咄嗟に耳を覆ってしまうような絶叫をあげ、混沌海女はその目から力を失った。
海へと倒れこむ身体が、だんだんと黒い霧となり空に溶けていく。
太陽が雲間から差し込み、真っ赤に燃えるような夕日が姿を現す。
彼に当たった日の光は、彼の外套を赤く染めた。
その姿は、もういないあの偉大な海賊の姿とかぶって見えた。




