第227ページ 悲しき決着
「キャプテン…」
「Guruooooooooo!!!」
理性の消えた咆哮をあげ、キャプテンがこちらへ向かってくる。
「くっ!」
気圧の変化による影響がまだ残っている。
内臓に負荷がかかっている現状、あまり激しく動くことはできない。
斬鬼で受け止めるが、その力は今までの比ではなかった。
「目を覚ませ、キャプテン!」
ムーレミアが纏っていたのと同じ闇色のオーラを纏うキャプテン。
その瞳から知性は消え去り、目の前の相手、俺を屠ることを考えるだけの人形と化している。
「おおぉっ!」
斬鬼を振るい、キャプテンを押し返す。
だが、キャプテンは既に俺以外目にないようで、着地した瞬間地を蹴ってこちらへ突撃してくる。
もう一度受け止めようと斬鬼を構えた俺は、キャプテンの左手にある短銃が俺へと向いていることに気づき、慌ててその身を捻る。
「くっ!?」
パンッという乾いた音が聞こえ、先ほどまで俺の胸があった場所を銃弾が通り抜ける。
と、俺が身を捻った方向から、剣が振られてくる。
このままだと顔面に直撃する剣身を、強引に回避するために地を蹴る。
無理やり宙返りをするような感覚で、なんとか回避には成功したが、空中に浮かんでいる俺に対し至近距離から二発目の弾丸が飛んできた。
「ちっ!」
舌打ちし、宙を蹴ることでその弾丸も回避。
だが、攻撃は止まらない。
「砲身転回」
キャプテンが呟くと同時に、甲板の大砲がすべて一人でにこちらを向く。
船を声で浮上させたことからも、この船にはキャプテンさえいればどうにでもなるのだろう。
「放て」
不自然に感情の抜けた声がそれでも確かに響く。
轟音を立て、クラーケンさえ押し留めた砲撃が俺に向かって放たれる。
「はぁ!!」
魔法を構築する暇もなく、魔力を変換し突風を作り出すことで一瞬だけ砲弾を押し返す。
しかし、魔法というわけでもないただの突風で跳ね返せるほど軟な攻撃ではなく、押し返した一瞬で砲弾が通るラインを抜けた俺の後ろで爆音が鳴り響いた。
「Gioooooooo!」
地面へと降り立った俺にキャプテンが迫る。
だがそれは想定内だ。
「ウイングアロー!」
風の矢がキャプテンへと向かい、四肢へと突き刺さる。
それでもキャプテンは止まらない。
おそらくは痛みを感じていない。
「厄介な!」
方法はある。
<魔法>を習得し、スキルを十全に使える俺には簡単にキャプテンを滅することができる。
だが、それは余りに残酷だ。
死した後も海のために生きたキャプテンに対し、そんな方法を取ることは俺の美学が許さない。
「友よ、其方は優しいな」
「キャプテン!?」
理性の戻った声が聞こえた。
俺の前で不自然に動きを止めたキャプテンがこちらを見ていた。
その瞳は怪しい光が揺らめいているが、そこには確かにキャプテンがいた。
「使えるのだろう?神聖魔法を」
「…ああ」
確かに使える。
空間魔法などの特殊な魔法は使えなくなっているが、神聖魔法は光魔法の発展。
問題なく使うことができるのは確認済みだ。
そして神聖魔法は聖なる魔法。
アンデッドなど邪なる魔物に対し絶大な効果を発揮する。
「使いたまえ」
「…だがそれでは」
俺の呟きにキャプテンが首を振る。
「我はもう駄目だ。今この時もアノマウス様に何かがあった為に一時的に支配に抵抗できているだけのこと。いつ我を失うかもわからぬ」
アノマウスというのはあの混沌海女の名前なのだろう。
その言葉通りキャプテンの体は小刻みに震え、その意思に反し俺に攻撃を加えようとしていることがわかる。
「せめて我が意識がある内に」
「キャプテン…」
俺はそれ以上何も言えなかった。
ここで何か言うのは野暮だ。
それこそ俺の美学は許さない。
他者に支配されることを良しとしない、海の王は俺に最後を託そうとしている。
それに応えてやることが俺にできることだろう。
「サンクチュアリ」
魔法陣を併用し、船全体に神聖魔法をかける。
邪なる者の存在を赦さない聖なる結界が幽霊船を包んだ。
後ろからガラガラと何かが転がる音がする。
キャプテンの部下たちが浄化されているのだろう。
「クル」
声に振り向くと、多数の傷を負ったアステールが転がった骨に対し悼むように頭を寄せている。
キャプテン・ショーンを支え続けた船乗りたちが、その生涯を終える。
「ご苦労だった諸君。我がここまで来れたのも諸君らの働き故である」
キャプテンが崩れた部下、まだかろうじて立っている部下達に向け胸に手を当て敬礼する。
その動きからキャプテンの体の支配が消えていることもわかった。
船乗りたちはそのキャプテンの姿に安堵したように敬礼を返し、崩れていった。
「次はあの世の海に繰り出そうぞ」
悲しさを感じさせず、遺骨に向かいそう告げたキャプテンは、自らの体の変化にも気づいているだろう。
その身から闇色のオーラは消え去り、無数の藤壺も剥がれ落ちていく。
ところどころ青くなっていた骨は白さを取り戻し、それどころか生前の肉体が戻ってき始めていた。
「これは…」
「俺のスキルだ」
本来の使い方とは全く異なるが、<優しき死者達>と魔法による幻影を用いてその身を作り出している。
あっという間にキャプテンは生前の姿を取り戻した。
それも、あと少しの間だが。
銀色の短髪に褐色の肌。
切れ長の目と穏やかに笑む口元が印象的な30代の男。
その肉体は服の上からでも筋肉がうかがえ、背に靡くマントがよく似合っている。
「最後くらいはな…」
俺がそう言うと、キャプテンはフッとほほ笑む。
「礼を言う、友よ。其方は我らの矜持を取り戻してくれた。遥か昔に失ったものを」
キャプテンの伝説に偽りはなく、契約した相手が女神ではなく破壊神の眷属であったことだけが違う。
だがその一点の違いがこうも大きい。
蘇生の呪いは一体彼らのどれほどの苦痛をもたらしていたのか。
「キャプテン、貴方は死んだ後も海を守り続けた」
「アノマウス様と利害が一致していた為に見逃されていたに過ぎぬよ」
「それでも、海に生きる人々にとって貴方は間違いなく英雄だった」
トウナールで守護神と崇められ、感謝されていた姿を俺は忘れることができないだろう。
あの光景は俺の心に間違いなく刻まれている。
「…感謝する、友よ。やはり其方を連れてきてよかった」
「キャプテン…まさか最初から俺に自分を殺させる気で…」
「それは違う。我はすでに死んでいる。友は我を救ってくれただけだ」
だがキャプテンは、俺の言葉の内容までは否定しなかった。
この国に一緒に連れてきたのは、アノマウスの復活が近く、そうなった時キャプテンに対抗できる存在が必要だったから。
キャプテンを屠ることができる存在が必要だったから。
そう考えると色々なことが腑に落ちる。
キャプテンはクラーケンを倒したあの日から、こうなることがわかっていたのだろうか。
「我が友、シュウよ。この海は広大である」
キャプテンが静かに語りだす。
その身はすでに足先から、指先から、光の粒子となって崩れ始めている。
キャプテンの部下であるスケルトンは魂だけが浄化されたが、キャプテンの場合はその身のすべてが浄化されるようだ。
つまり、遺骨も残らない。
「この広大な海で心の合う友人に出会えたことのなんと素晴らしいことか」
笑うキャプテンに、俺は言葉が出ない。
胸が締め付けられるように痛む。
期間は短かったが、一緒に過ごしたのは確かで、その時間が楽しかったのも確か。
「シュウ、我の部屋の机に其方へ送りたい物がある。きっと気に入るだろう、受けとってくれ」
「…ああ」
言葉を絞り出す。
キャプテンの身はすでに胸より上しか残っていない。
「用が済めば、この船オルケアニス号は燃やしてくれると嬉しい。この船も長き航海を共にした仲間だ。我が送ってやれぬのが心苦しいが」
「…ああ」
キャプテンの肩がピクリと動く。
船に手を置こうとして、腕がもうないことを思い出し苦笑している。
視界が曇る。
しかし、涙は流せない。
「よくわかっているではないか、シュウ。それでこそ男だ」
ほほ笑み、また肩が動く。
その時俺は確かに、キャプテンの手が俺の頭にのせられていることを感じた。
「さらばだ、我が友シュウ。我が最後の航海の仲間よ」
「さよならだ、俺の友人、偉大なる海の王キャプテン・ショーン。貴方の生き様を俺は生涯忘れない」
満足そうに笑うキャプテンが何度か頷く。
「ああ、我が航海に悔いはなし。雄大な母なる海よ、我が胸を震わせ滾らせた海よ、全ての出会いに感謝する」
ありがとう
そう言ってキャプテンの姿が消える。
その姿がなくなってから、俺の頬を一滴の水が滑り落ちた。




