閑話 港の夜明け(ダン視点)
「行ってきまーす!」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい、あなた、カイリ」
妻のハイリに見送られながらカイリと家を出る。
まだ日も昇っていない時間であるが、子どものカイリも眠気を感じさせず嬉しそうに走っていく。
「おい、転ぶなよ」
「転ばないよ!子どもじゃないんだから!」
いや、子どもだろうと思いつつそれは言わない。
カイリのこんなに楽しそうな表情を見たのはあいつが死んで以来初めてだ。
そして俺もこんなに弾んだ気分でまた漁に行けるとは思っていなかった。
クラーケンという化物はトウナールの住民に絶望を齎した。
友人・知人が死んだ者も多く、更には海に出れず漁ができない。
漁業だけで成り立ってきたようなこの町にとってその影響は計り知れなかった。
俺とカイリにとっても。
父親を殺されたカイリ。
親友を殺された俺。
だが俺は被害者であると同時に加害者だ。
俺には全員を守る義務があった。
だがいいわけだ。
俺は自分が怖かっただけだ。
自分が怖かったから、あいつを見捨てて逃げた。
俺がすぐに助けに行けば…
いいや、俺が行っても二人とも死んでいたことはわかる。だが…
「ダンおじさん!早く!」
はっとして見るとカイリがかなり先まで行ってしまっている。
久しぶりの漁がそんなに楽しみなのか。
いや、それは俺もか。
これも全部シュウのおかげだな。
初めてあいつを見た時はその若さもあってまた役立たずの冒険者が来たと思った。
だがあいつは俺に腕相撲で勝ちやがった。
この町の誰も、俺には勝てないのにあいつには完敗だった。
さすがSランク冒険者というのか。
あいつがSランクだと聞いた時は驚いたな。
信じられなかったが。
昨日の光景を俺は忘れることができないだろう。
キャプテンの船とシュウ達は海中で戦闘しているというのに、その余波で海は荒れ、空気が揺れた。
どれだけ激しい戦いが行われていたのか、知るには十分な光景だった。
親父は言っていた。
キャプテンではおそらくクラーケンに勝つことはできないだろうと。
それは相性の問題でだ。
キャプテンの話は、俺達漁業組合の長の家系にだけ詳しく語り継がれている。
領主にも伝えていない。
それはキャプテンの話があまりに悲しく救いの無い話しであるからだ。
俺達の先祖は、キャプテンの船に乗っていた。
だがキャプテンとその仲間たちが死んだ時、先祖は町に残っていたそうだ。
そして、死んだあとの仲間に会った。
先祖は誓った。
キャプテン達の真実を語り継ぐと。
そしてそれを広めないと。
キャプテンがこの町の住人を、海の平和を守ってくれていることを。
それだけを知っていればいいのだと言った。
俺もそう思う。
そう思うからこそ、キャプテンが勝てないかもしれないなどと言うことは口が裂けても言うわけにはいかなかった。
そんな思いが町を充満していることは知っていたが、それを肯定なんてできる筈がない。
それが、キャプテンと共闘しシュウがあの化物を討伐してくれた。
キャプテンが他者の不干渉を求めた為にこじれた話を、解決してくれた。
それもシュピーツが言うには海の生態系を乱さないようにあいつはあれでも力を押さえて戦っていたのだそうだ。
漁獲量のことなんて考えていなかったらもっと楽にクラーケンを倒していたのだろう。
俺達トウナールの住人は、もうシュウに頭があがらねぇな。
聞けばシュウはキャプテンに秘密の場所へ連れて行ってもらえるという。
それはあの島のことだろう。
俺も行きたいが、あの場所を知るのはキャプテンとキャプテンが認めた者だけ。
勝手に付いていけるわけもない。
諦めるしかないのだ。
そんな考えをしていると港に着いた。
沖には既に何隻かの船が浮いている。
久しぶりの漁に気持ちが逸ったのは全員同じらしい。
「おい、お前等!今日は大量に獲るぞ!夜は宴だ!この町の救世主に美味い魚をたらふく食わせてやろうぜー!!」
「「「おお!!!」」」
シュウはキャプテンを待つこともありもう何日か滞在するそうだ。
キャプテンに連れて行ってもらったあとはそのまま場所によってはそのまま帰るかもしれないと言っていた。
領主に聞いたがシュウが報酬として要望したのは魚介。
そんなにこの町の魚を食べたいって言うのなら食わせてやるしかあるまいよ!
待ってろよ、シュウ。
親友が遺した形見に笑顔を取り戻してくれた礼も、この町に活気を取り戻してくれた礼も、ちょっとやそっとじゃ返せねェんだからな!
少しずつ昇って来た日に向かって、俺達は今日も船を出す。
キラキラと輝き始めた海面を見てはしゃぐカイリの声を聞きながら海の神に今日の豊漁を願った。




