第102ページ 第二王女
ここは任せろというように、俺に一瞬だけ目くばせしてから、俺と醜男の間に身を入れる。
それを見て少し落ち着いた俺は、ダガーをキーに戻し、ポンとアステールの首に手を当て落ち着かせてやる。
だが、斬鬼は腰に差したままであり、いつでも抜けるように手をかける。
「なんだお前は!関係ないであろう!」
…こいつ自分の国の王女の顔を知らないのか?
さっきの王女の感じからして、ずっと王城に引っ込んでいるというわけではなさそうだった。
それどころか頻繁に王城から来ているような印象を受けたのだが…
「関係ないことはありませんわ。同じ貴族としてあなたの行為は見過ごせません」
「なにをっ!?お前俺を誰だと思っているんだっ!やってしまえザルメ!」
「ぼ、坊っちゃま!」
昨日も見た細い初老執事が慌てて声を上げる。
この執事は王女が出てきたあたりから顔色を変えていたからな。
王女の顔を知っていたのだろう。
「ええい、どうした!役立たずめ!こうなれば余が直々にっ!」
醜男の手が腰に伸びる。
そこには無駄に飾り立てられた剣が差してあり、俺はそれを装飾品だと思っていた。
どうやら飾りではなかったようだ。
醜男の剣の腕がどれくらいかは知らないが、最底辺だろうと思われる。
相手との力量差もわからないのだから。
醜男が剣を抜くことはできなかった。
男の首にいつの間にか二本の細剣が当てられている。
男は何が起きたのかまるでわかっていないようだ。
俺でも目で追うのがやっとだった。
注視していれば反応することもできるだろうがなんという早業。
強いことはわかっていた。
馬車を降りてからの体運びを見ればその力量は窺えるというものだ。
俺が見ていたのはそこだった。
二本の銀に輝く細剣を握るのは、可憐な少女。
どこから取り出したのかもわからないが、確かに少女は今、男の命を握っている。
ようやく現実に思考が追いついたのか、自分の首元を目だけ動かし確認した男は、その醜い顔を青ざめさせ、大粒の汗を流し始めた。
「剣を抜くというのであれば、私も応じなくてはなりません。私とここで仕合ますか?」
男は憎々しげに少女を見る。
だが、この少女にはどう足掻いても自分が勝てないことをようやく理解したのか、腰に向かって伸びていた手をゆっくり下ろす。
少女はそれを見てニッコリと微笑むと、細剣を引いてての中でクルッと回した。
キンッという音がして細剣が鞘に仕舞われたことがわかったが、どこにいったのかはわからなかった。
というかホントどこから出したのだろうか?
少女の格好で仕舞えるような場所はスカートの中くらいしかないが、そんな所に仕舞っていたのではあれほど素早く取り出せないし、戻せないはずだ。
謎だ。
「懸命なご判断です。私としましても守るべき国民の血を流すことは不本意でしたので」
「ま、守るべき?国民?お、お前一体…」
「申し遅れました。フィオナ・ジェンティーレ・マジェスタ・フォン・アッシュフォードと申します。以後、お見知り置きを」
その言葉で、男はようやく目の前の相手が誰なのかを正しく認識したようだ。
顔色を白くさせ、唇をワナワナと震わせる。
滝のように汗が出始めていた。
「フィ、フィオナ第二王女殿下…」
「はい」
「し、失礼しましたー!!」
ニコリと微笑むフィオナ王女。
どうやらその笑顔が止めだったようだ。
ガバッと頭を下げ踵を返し走り出す。
正に脱兎の如くだ。
慌てて老執事も走り去るが、なかなか速い。
その後ろ姿が見えなくなってから、フィオナ王女が振り向きこちらを見る。
「差し出がましいことをしました。申し訳ありません」
「いいえ助かりました。殿下が間に入ってくれなければ私はあの男を斬っていたでしょう」
その言葉に一瞬王女はキョトンとして、次いで笑い始める。
「どうかなされましたか?」
「い、いいえ。申し訳ありません。ただおかしくて、ふふふ」
「何がでしょう?」
「ふふ、私にはダガーを構えて相手を脅しているだけに見えたものですから、斬るつもりなどなかったのでしょう?」
首を傾げながら上目遣いにこちらを見てくる。
その慧眼に、俺は心の中でに舌を巻く。
確かに、俺にはあれを斬るつもりはなかった。
斬ってもいいかなとは思ったが、俺の覇気とアステールの威圧で逃げるならそれでいいと思っていたのだ。
何の反応も見せなかったあの鈍感さには本当にどうしようかと思った。
だが、それをここで認めるのも恥ずかしい。
ここは惚けておこう。
「さて、何のことやら」
「ふふ、面白い人ですね、貴方は。改めまして、マジェスタ王国第二王女フィオナ・ジェンティーレ・マジェスタ・フォン・アッシュフォードです」
「これはご丁寧に。冒険者をしております、シュウ・クロバと申します。名乗りが遅れた非礼をお詫び申しあげます。この度はあのような些事に殿下のお手を煩わせまして、申し訳ありません。また、感謝致します」
「シュウ・クロバ様…それでは、お爺様が仰っていたのは貴方のことなのですね!」
お爺様?
……ああ爺さんか。
そういえば王族だったなあの人。
「魔神さえ寄せ付けぬ剣術の使い手にして、義勇に厚い御仁だとか!」
あのクソジジイ…
孫にどういう紹介してやがる!!
「前王陛下は、少し私のことを買い被っておられるようですね。私はしがない冒険者でございます」
「ふふ、謙虚なのですね。ベンからも聞いておりますよ。これまで、数々の危難よりマジェスタを救ってくださったこと、この国に住まう1人としてお礼申し上げます」
軽くではあるが、頭を下げるフィオナ王女に、驚いてしまった。
王族がこんな衆目の中頭を下げるとは思わなかったのだ。
現に、こちらを注目していた者たちが、あいつは何者だとざわつき始めている。
「よろしいのですか?王族が平民に頭など下げて」
「王女として頭を下げたわけではありませんから。もっとも、私個人としましては、救国の英雄に感謝も伝えられない王家に何の意味があるのかと思いますが」
そう言って笑うフィオナ王女に、ああ、あの爺さんの孫なんだな、と思った。




