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ひとかけらの雲が浮かんだりするが、すぐに蒸発してしまうから雨を召喚するのはむずかしい。
ここいらは草が疎らに生える、砂礫でいっぱいの平原だ。
カンガルーの男の子がひとり、平原にいた。お母さんカンガルーの袋から顔だけを覗かせ、一日じゅう風のゆくえを追っている。
風には色々なタイプがある。
長いこと旅をしてきた風もあるし、ここで生まれ、死んでいった風もある。
或いはさらに旅をつづける風も。
カンガルーの棲息する平原から出発し、風のひとつが砂漠を吹き抜けていった。
そうしてやがては大陸のはじっことおぼしきところ、切り立った断崖へと辿りつく。
と、カンガルーの男の子の瞳に真っ青な海がたぷたぷうつる。
どうして、お母さんの袋にいるはずの彼に海がみえるのだろう?
それは、彼が風だから。
男の子の意識は風に乗り、いや、乗るばかりではなく風そのものになって旅をすることができたから。
ここいらはとても乾燥している。
それでも近くには小さな森があったし、川は涸れることがなかった。
雨にまったく縁のない土地というわけではない。
しかし、風となって旅をするカンガルーの男の子は目撃する。
ここよりも、もっとふんだんに水があり、息苦しいほどに草が密生する場所がたくさんあることを。
袋の中にいて顔をだしているだけなのに知っている。
水の潤沢な地域では空気はしっとりと濡れ、雲の山々をつくりだし、おびただしい雨を降らすことだってあることを。
そして雲をつくり雨が降ったなら、新たな風を巻き起こし、さらに旅をつづける男の子なのだった。
なぜ、旅をしているのかわからなかったし、知ろうともしない。
ただ、全地球的なおおきさでもって流れる風となるばかり。
彼はカンガルーの男の子だったにもかかわらず、人工衛星のとぶ高度からブルーの涙滴みたいな地球を見下ろしていることさえあった。
そのうちに彼自身も雨となって降下をはじめる。
湾曲する地平線のまるいかなたにむかって氷じみた林が延々とつづいている。
林は巨大な塔にみえなくもない。フロアは半透明になっていて、そこにおびたたしい数のホモ・サピエンスが群がっている。
サイダーを満たしたみたいに明るいガラスの塔。それは人工的な建築群だった。
カンガルーの男の子はいま風となり、はかなげな雲となり雨となり、さらにはこまかな雫となって、その塔の一つへと落下してゆく。