⑤お花畑の友人視点。更科 香の二年間。
祥子は、私の憧れ。
凛とした立ち姿、綺麗に通る低めのアルトボイス。
何事にも動じない姿は、いつもいつも落ち着きがなく子供っぽいとみんなに言われていた私にとって、あこがれの存在以外の何者でもなかった。
中学生の頃に抱いた憧憬は、大学に入った今でも変わらない。
冷たいとか無表情とかそんなことをいう人もいるけれど、それは祥子の人となりを知らないから。
一緒にいればわかる、心の機微。
それを見つけた時の嬉しさは、今でも覚えてる。
祥子になりたくて、祥子みたいな大人の女性になりたくて、一生懸命纏わりついた。
本当は迷惑だったのかもしれない。
でも、それでも私は彼女を見つければまるで母親を見つけた子供のように、駆け寄って纏わりついた。
その関係は、中学生から変わらない。
眉を潜める祥子だけど、仕方ないな……って内心思ってくれてるの分かってる。
態度は冷めていても、目がそういってるもの。
強くて優しくて綺麗な祥子、私の憧れ。
「初めまして、藪坂です」
憧れの祥子が選んだ、憧れの祥子の恋人。
同じ大学に行けることに喜んだけれど恋人を紹介するといわれて、少し面白くない気持ちになったのはホント。
だって、憧れの存在を私から奪った人だから。
でも、同じくらい興味を惹いた。
憧れの祥子が選んだ男の人。
初めて会った彼の印象は、一体何が祥子の気を惹いたんだろうって疑問だった。
いたってフツーの平凡を絵に描いたような、なんでもない人。
私の憧れの祥子をこんなフツーの人にとられたと思うと、なんだかすごく悔しくなった。
祥子のいく高校なんて中学の私の成績じゃまったく引っ掛かりもしなくて、あまりしつこいと嫌がられるかと思って友人を交えてたまに会うことしかできなかったのに。
私の知らない祥子を知ってる人。
私の知らないうちに、祥子の横に立つことを許された人。
……悔しくて悔しくて、最初から印象悪かった。
「あ、更科さん」
同じ講義を取ってるから二人と会う機会は多くて、そういう時はなんのためらいもなく一緒に座った。
もちろん、祥子を挟んでだけど。
なのに藪坂君は祥子の口数が少ない分を補おうとでもいうのか、いろいろ話しかけてくる。
私は祥子と過ごしたいのに、一緒に話そうとする藪坂君が正直邪魔だった。
分かってる、周囲から見れば私が邪魔してるなんてことくらい。
でもそれでも、大学以外でも一緒にいられるんだから、少しくらい私に譲ってくれてもいいのにって思ってた。
「ね、いいじゃん。少しくらい話してもさー」
「あの、こ、困ります……っ」
「学食でお茶飲むくらい、そんなに警戒しないでよー」
大学一年の終わり、図書館に向かおうと学部棟の裏を歩いていた時に変な人に絡まれた。
基本的に地味な場所に建つこの大学に、軽薄そうな人は少ない。
それでも全くいないわけではなく、いきなり話しかけられて困惑することもなくはない。
「あの、私行くところがあるので」
ぎゅっと肩から掛けたトートバッグの肩紐を両手で握りしめながらなんとかそう言うと、目の前の男の人達はポケットからスマートフォンを取り出して私に向けた。
「じゃあさ、俺ら学食で待ってるからー。アドレス教えて? 番号と」
「え……」
突き出されたスマートフォンと男の人を交互に見ていたら、ざりっと一歩距離を詰められた。
「早くしてよ、ほら携帯出して」
そういいながら私のトートバッグに伸ばしたその腕を、横から出てきた手が掴み上げた。
「はい、ここまでね」
その声は……
「藪坂、くん」
いつも祥子の横にいる、平凡彼氏。
その人のはずなのに……。
腕を掴まれた男の人は苛立たしげに手を振りほどくと、藪坂君を睨み上げた。
「なんだよお前、横から出てきて!」
「うん、彼女俺の知り合いなんで。怯えてるからやめてあげて」
竦みあがりそうな怒号にも、少しも動じない藪坂君。
男の人の声にびくりと震えた私に気付いてくれたのか、体をずらして背中にかばってくれた。
その時、藪坂君がどういう顔をしていたのかよく分からなかったけれど、男の人達は何か言い捨てると踵を返して向こうへと行ってしまった。
足音が遠ざかっていくとともに、強張っていた体から力が抜けて思わず座り込む。
「香ちゃん、大丈夫?」
焦ったようにしゃがみこんでくれた藪坂君が、心配そうな瞳を私に向けている。
どくり
鼓動が、ひときわ大きく体中に響いた。
祥子、私の憧れの人。
彼女が藪坂君を選んだ理由を、やっと理解できた。
理解できたけど、それは私には苦しい日々の始まりだった。
「香ちゃん、一人?」
声をかけられて、顔を上げる。
一限の講義を取っていた私は、ドキドキしながら教室で待っていた。
「う、うん。藪坂君も?」
「そ。一限は眠いよなー」
そういいながら、なんでもなく当たり前のように私の隣に座る。
知ってた。
藪坂君が、このコマを取っていたこと。
知ってた、そこに祥子がいないこと。
だから、私、この講義を取ったんだもの。
あの男の人達から助けてくれた時に交換したアドレスで、メールのやり取りをして聞いていたから。
またこういうことがあったら祥子が悲しむからって言われて、渋々なフリをして……差し出したスマートフォン。
それに登録された藪坂君のアドレスは、今、着信履歴にいくつも並んでる。
「祥子とは、お昼に会うの?」
震えそうになる声でそう問いかければ、藪坂君は頷きながら私を見た。
「香ちゃんも来る? 学食で待ち合わせてんだ」
「あ、でも……お邪魔なんじゃ……」
そう口ごもると、少し驚いたように目を丸くした藪坂君は、口元を綻ばせて笑いながら私の頭を軽くぽんぽんとたたいた。
「香ちゃん、一緒に食べよう?」
ね? と笑いかけられて、私の心臓はばくばくと高鳴った。
「うん……!」
祥子の彼氏だから、絶対に好きになったことは気づかれちゃいけないって自分に言い聞かせてた。
それでも、好きになり始めていた……正確にはあの時に恋に落ちてしまった自分を、止めることができなかった。
好きでいるのだけは……こうやって小さな幸せに浸るだけなら……祥子だって許してくれるよね……、そう自分勝手に思い込んでた。
「……ねぇ、香。藪坂の事、好きなの?」
二人と共通の友達に、そう指摘されるまでは。
ただ、好きでいるだけでいいのに。
私の想いは、持っていてはいけないものなの?