9 女子サッカー部会議
休み時間。
それは勉学にいそしむ学生にとって、心身を安らげるための貴重な時間。そのわずかな時間を無駄にせぬよう、生徒たちは思い思いに羽を伸ばす。
教室の中では、仲の良い者同士が集まって島をつくり、それぞれの話題に花を咲かせていた。
「昨日のドラマ見た?」
「ああ、○○が出てるヤツでしょ。見た見た」
「○○ってカッコイイよねえ。あたし好きなんだー」
「えーっ、あたしは××のがイイなあ。ちょっと渋めじゃない?」
「そーお?」
机の上に広げた雑誌を眺めつつ、昨夜のドラマの話をする。まあ、どこにでもある風景であろう。
だが、そこからちょっとばかり離れた島で繰り広げられている会話はどうだろう。
「この間のJリーグ見た?」
「ああ、△△がハットトリック決めたヤツでしょ。見た見た」
「△△ってカッコイイよねえ。あたし好きなんだー」
「えーっ、あたしは☆☆のがイイなあ。プレイが渋いじゃない」
「そーお?」
一般の女子高生からは少しばかりずれているが、それでも健全な話題であるといえよう。
場所は一年E組の教室、小泉りな子の席。そこに彼方、りな子、荻野、それからC組のやはり女子サッカー部員である杉田が集っていた。りな子の机の上にサッカー雑誌を広げて、サッカー談義に興じている。
もちろんサッカー初心者の彼方は、他三名の話を聞いているだけであった。つい最近までまったくといっていいほどにサッカーに興味のなかった彼方は、選手の名前を言われたところでさっぱり分からないのである。
ちなみに杉田は、この間の勝負の際、荻野と組んで彼方と戦ったあの名もなき女子サッカー部員である。もう女子サッカー部の一員となってしまった彼方は、部員の名前をすべて覚えていた。まだ顔と名前が一致していないが。それでも杉田は直接戦った相手なので、すぐに覚えることが出来た。
杉田と荻野は同じ中学出身で、やはり中学でもサッカーをしていたらしい。この間の勝負で荻野と組んだのも、二人の仲が良いからであった。
あの勝負のあと、彼方はりな子だけでなく、荻野や杉田とも一緒にいることが多くなった。荻野とはまだいろいろと性格面で衝突することもあったが、おなじ部活のメンバーということで、なんとなく連帯感が生まれたのも事実なのである。それに初心者である彼方に、少しでもサッカーのことを教えるようにキャプテン城野や双海に言われているらしい。杉田などはクラスが違うというのに、休み時間の度にE組を訪れてサッカーの話をしているくらいだ。
「あっほら、見て見て彼方ちゃん! 水城晃だよ!」
パラリと雑誌のページを繰ったとたん、りな子が珍しく興奮した声をあげた。
「何? 誰?」
サッカー選手と言えば、日本代表の有名どころぐらいしか知らない彼方は、当然ながらりな子が示す選手を知らなかった。
『期待の超新星! 水城晃!』
雑誌のアオリ文句にはそう書いてあった。載っている写真はまだ若い選手、彼方たちよりもほんの少しだけ年上、といった感じの少年だ。
「白鳳学園の司令塔だよ。U-17日本代表にも選ばれてるし、近い将来にA代表入りするんじゃないかって言われてる選手」
「ふーん」
U-17日本代表ってのは、十七歳以下の日本代表ってことで、A代表ってのは、年齢関係なしの一番強い日本選手を集めた代表のこと。彼方はついこの間、それを教わった。ついでに「そんなことも知らないのか……」と遠い目をされたりもした。
「ちなみに、白鳳学園ってのはサッカーの名門中の名門で、去年は全国優勝してる学校よ。そんでもって、水城晃は去年のMVP。去年は水城さん、一年生だったのにMVPよ。スゴイよねぇ……」
うっとり、とりな子は目を細める。その顔がわずかに上気していた。
彼方もその雑誌に目を落とす。雑誌の中の少年は、彫りの深い顔立ちを厳しさで埋めつつ、味方に指示を出している。少年……というには少し大人びているかもしれない。精悍で、汗でユニフォームがビショビショになっているくらいなのに、汗臭さを感じさせない。一目見て、好感を持てる、そんな若者であった。
「へえー、りな子はこーゆーのが好み?」
「やっ、やだっ、彼方ちゃん。そういうんじゃなってば!」
りな子はブンブンと首を横に振って否定するが、顔が真っ赤だ。否定しているうちに入らない。
その時背後でガタガタッと派手が音がした。振り返ると、りな子の斜め後ろの席に座る小山が椅子から転げ落ちているところだった。
(あ、そうか……)
小山はりな子のことが好きなんだっけ。ほんの数日前、勘違い告白を受けたことを思い出す。
雑誌の中の若者は、将来有望なサッカー選手。かたや小山は勉強は出来るものの、運動のほうはさっぱりのハズだった。
(う~ん、分が悪いよ小山……)
この間思い切り殴り倒したクラスメイトに、少しだけ同情の気持ちが湧く。りな子は「サッカー命」なだけあって、サッカー以外のものにはあまり興味を示さない。小山もりな子に好かれたいと思うなら、サッカーを始めたほうがいい。ただそれだけでかなりのポイントアップとなるはずだ。
(でもま、少しだけフォローしておいてやるか)
彼方はりな子に向かって声を張り上げた。
「でもさ、こういうのに限ってサッカー以外は何にも出来ないヤツだったりするんだよ。きっとコイツも脳みそツルツルよ! きっとそう! やっぱさ、カレシにするんだったら、もうちょっと頭も良くないと! いくらカッコよくてもバカは駄目よ、バカは!」
ファンの目の前で選手を罵倒する。それが逆効果に過ぎないことを、彼方は理解していない。
だが、りな子が怒り出すことはなかった。その前に、勝手な発言をした彼方に制裁がくわえられたからだ。
ドゴォ!
鈍い音がする。彼方の後頭部から。そして強烈な痛み。目の前に星がちらついた。痛みが走った後頭部を両手で押さえて彼方は机に突っ伏した。
「いっ、いっ……、痛いじゃないのよっ!」
それから自分にその痛みを与えた人物に報復するために振り返った。が、そこにいた予想外の人物に、彼方はたじろぐ。
そこにいたのは右の拳を固めた双海。
「げっ、双海……!」
一年の教室に突如現れた二年生。しかもその二年生は生徒どころか先生にも恐れられているという双海司季その人だ。そこにいる女子サッカー部の面々だけでなく、一年E組全体がその存在に慄いている。
「何よぅ! 何でいきなり殴るワケ?」
しかし先生にまで恐れられているからといって、彼方は恐れたりはしない。堂々と食ってかかった。何せなんの前触れもなく、いきなり殴られたのだから、文句を言うぐらいは許されるであろうと思ったのだ。
「いや、何となく」
双海も双海で、彼方に負けず劣らずの堂々たる態度。人を殴っておいて、その態度はないと思う。その時、一年E組の教室内にいた生徒たち全員がそう思ったという。
「双海先輩、どうしてここに?」
荻野が至極当然なことを聞いた。上級生が下級生の教室に来ることなんて、あまりないことだ。
「ああ、そうそう、お前ら今日の昼休み、部室に集合な。今度の試合について色々話すことがあるから。それだけ。他の一年にも伝えとけよ」
言うだけ言うと、双海はさっさと踵を返す。結局、何で彼方が殴られなくてはならなかったのか、その理由は分からない。「何となく」なんていう理由、彼方は認めない。
「なんだよ、双海もあの水城ってヤツのファンなのか……?」
「よし、全員集まったわね」
長テーブルを囲むようにして座っている女子サッカー部の面々を見回しながら、城野キャプテンが声を張り上げた。
決して広いとは言えない部室に十一人が揃うとさすがに窮屈だが、こればかりは我慢するしかない。人数ギリギリの弱小部では、広い部室を確保することも出来ないのだ。今、部員のみんなが座っている椅子も本当は足りていなかった。いくら折りたたみ式のパイプ椅子とはいえ、この狭い部室に十一脚もの椅子を置いておけるほどスペースは余っていない。足りない椅子は城野キャプテンが隣の女子バレー部から借り受けてきたものなのである。
「昼休みにわざわざすまないわね。でも、放課後はなるべく練習に使いたいから、口で済むことはそれまでにやっておきたかったの」
十一脚目の椅子に座ることもせず、城野キャプテンはホワイトボードの前に立っている。
「口で済むことって?」
部員の間から質問が飛んだ。
「戦術とそれぞれの役割分担について。これから先の二試合、新入部員の織原さんには、早速試合に出てもらうことになるわ」
人数ギリギリなのだ。仕方がないことである。
「そこで、この新戦力の織原さんをより良く生かすために、システムを変えていきます」
部員たちが少しだけざわついた。声を上げていないのは、城野キャプテンの両隣に座る副キャプテンエリカと双海だけだ。エリカはいつもどおり何を考えているのか分からない無表情でテーブルに両肘をついている。双海は手と足を組んで、ふんぞりかえるようにして座っていた。何だかキャプテンよりも偉そうに見える。
「とまあ、その前に、織原さんは入部したてで分からないだろうから、試合について説明するわね」
城野キャプテンはホワイトボードに四つの学校名を書いていく。
「県大会はまず、出場校を四校ずつに分けて予選リーグを戦います」
蓬原、方川、峰女、それから白鳳。
「これら四つが予選Aグループ。あたしたちと、他三校。この四つの学校で総当たり戦をするわけ」
白鳳? 彼方は首をひねる。どこかで聞いた名前だ。
「そして試合の結果によって勝ち点を得ていく。勝てば三点、引き分けで一点、負ければゼロ。そして三試合終わった時点で一番勝ち点の多いチームと、二位のチームが、決勝トーナメントに進めるわけ。分かる?」
彼方はあいまいに頷いた。それよりも白鳳という学校名をどこで聞いたかが気になった。
「で、あたしたちはこの間、方川高校と試合をしてスコアレスドロー。つまり引き分けたわけよ。白鳳と峰女は四対ゼロで白鳳が勝ってるから、今のところあたしたち蓬原は方川と同率二位ってこと。そして今度の日曜にあたしたちと峰女、白鳳と方川の試合があって、その次の日曜には峰女と方川、あたしたちと白鳳の試合。白鳳はきっと方川にも勝つだろうし、予選通過はまず間違いないでしょう。あたしたちは予選突破のもう一つの席を狙っていくわ。そのためには、次の峰女戦、絶対に負けられないわけよ」
「あっ!」
思い出した。
「白鳳って、アレだ。水城ナントカがいる学校!」
休み時間に見た雑誌に載っていた若者。あの若者がいる学校が白鳳学園だったはずだ。
ふと、我に返ると部員全員が、突然叫び声をあげた彼方に注目していた。
「そう、その通り」
城野キャプテンは神妙な顔で頷いた。
「白鳳はサッカーの名門校。当然ながら女子部も強いのよ」
「ちなみに、去年白鳳は女子も全国優勝」
彼方の右隣でりな子がボソッと言った。
「全国優勝……? そんなチームと、県大会のしかも予選で当たっちゃうワケ?」
彼方以外のみんなが一斉にウンウンと頷く。
「ちなみに、ウチは去年も県大会の予選で白鳳と当たってる」
彼方の左隣で荻野が呟いた。
「……で、勝ったの?」
「負けたよ」
双海が一言だけ率直な答えを示した。
「だからこそ!」
城野キャプテンがグワッと拳を握る。
「今年は勝つ! 白鳳にも峰女にも勝って、予選突破! そのために、チームを改革します!」
「でもキャプテン……、次の試合まで間がないけど、間に合うんですか?」
りな子が心配そうに聞く。
「だいじょーぶ! 間に合わせます!」
そう言うと、城野キャプテンはホワイトボードに丸を書いていった。
小さな丸を四つ横に並べて、その少し上に三つの丸を、さらに上に一つの丸、そして最後、一番上に二つの丸。
「新しいシステムは4-4-2のトリプルボランチ。とにかく守備を固めてカウンター狙いで行きます」
またもや部室が騒がしくなる。キャプテン城野は持っていた黒ペンでテーブルを叩くことで、みんなを静めた。
「まあ、あんまり美しい戦法じゃないし、みんなが気乗りしないってのは分かるわ。でも、今の戦力を考えて、これがベストだと判断しました」
「はいっ、質問!」
彼方は立ち上がりつつ、挙手した。
「どうしたの?」
「えーと、『よん、よん、に』とか『トリプルなんとか』とか『カウンター』とかって何?」
またもや全員の視線が彼方に集まる。ものすごーく白い視線が。
「教育係!」
双海が力強い声で言う。教育係というのは、りな子、荻野、杉田のことだ。双海の視線が「そのくらい教えておけ」と語っている。さすがに先生にも恐れられている女。やけにプレッシャーのこもった視線だ。
「あのね、彼方ちゃん、『4-4-2』っいうのは、サッカーのシステムの一つで、キーパー以外のフィールドプレーヤーをどういう風に配置するか表しているものなの。この場合、DFが四人、MFが四人、FWが二人ってこと」
りな子が丁寧に説明する。その後に続けて荻野が言う。
「『ボランチ』ってのは、『守備的ミッドフィルダー』のこと。まあ、正確に言うとちょっと違うんだけど、そういう風に覚えておいていいよ。だから『トリプルボランチ』は『守備的MFが三人』ていう意味。この場合はMF四人のうち、三人がボランチだってことよ」
そして畳み掛けるように杉田が口を開く。
「『カウンター』は戦術の一つで、後方でボールを奪ったら大きく前線へ出して、相手の守備が整わないうちに攻撃するっていう戦法。……まあ主に、格下のチームが格上のチームと戦うときに使う戦法ね」
「格下……。それじゃ、ウチって弱いの?」
彼方の遠慮のない質問に、城野キャプテンが喉にものを詰まらせたような声を出した。そんなキャプテンに代わって答えたのは双海だ。
「あのな、弱いとか弱くねえとかの問題じゃないんだ、この場合。オマエがいるからこの戦術を選んだんだよ」
「あたし?」
彼方は自分自身を指差した。
「そうだ。ろくにドリブルも出来ないお前に、サイド攻撃だの中央突破だの、やれって言ったって無理だろ。だからお前はとにかく前線でボールか来るのを待って、ボールが来たらゴールの中に叩き込め」
「叩き込めって言ったって……」
「ドリブルだけじゃなくて、シュートだって上手くないことぐらいは分かってる」
ひどい言い草だが、それは彼方自身にも不安なところだった。双海と初めて会ったとき、公園で蹴ったボールは見事なほどに狙った場所に飛ばなかった。
「だから、お前は日曜まで徹底的にシュート練習だ。せめて十本中五本は枠に飛ぶようになれ」
なれ、って命令形ですかい。彼方はそう思ったが、本当にそのぐらいにはならないと、お荷物になってしまう。初心者だからといって、足手まといになることだけは避けたかった。そんなことになってしまえば、「それ見たことか」と双海に鼻で笑われること間違いなしだ。双海を超えると宣言した以上、それに見合った結果を出していかなければならないのだ。
「まあ、そういうことです。とにかくボランチとDFは守備に専念、ツートップは攻撃に専念ということで。じゃあ、ポジション発表します」
城野キャプテンがテーブルの上に置いてあったノートを取り上げ、そこに書かれているであろう、ポジションとメンバーの名前を読み上げていく。
「まずはGK、大道寺エリカ」
「ウス」
珍しく副キャプテンエリカが声を発した。
「センターバック、双海司季。それから久保木亜矢」
双海は黙ったまま頷き、その隣に座った一年の久保木は、かすかな声で返事をする。
「サイドバック、村上麻美と荻野由佳」
顔を覚えたての二年生と、左隣の荻野が続いて「ハイ」と言った。
「ボランチ、藤岡美里」
眼鏡をかけた三年生だ。
「同じくボランチ、青木満智子。それと小泉りな子」
青木というのはポニーテールの二年生。それから彼方が一番良く知る相手であるりな子。
「トップ下はこのあたし、城野幸子」
キャプテン城野は自らの胸に手を当てた。
「それからFWは杉田小夜と織原彼方」
教育係の一人である杉田は、名前を呼ばれると彼方と顔を見合わせ、微笑んだ。
「放課後はポジションの確認をやって、それからボランチとDFは守備の連係を。あたしとFWの二人はシュート練習。いいわね」
「ハイ」
部員一堂の声が重なった。
「では以上! 解散!」