7 初心者はつらいよ
「試合は十分ハーフの二十分勝負。ハーフタイムは五分ね。三人のうち一人がキーパーで、残りの二人がフィールドプレーヤーになってもらうわ。とにかく点数を多く取ったほうが勝ち。審判はこのあたし、城野幸子が務めさせてもらいます。いいわね」
ピッチの真ん中で向き合う荻野チームと彼方チーム。その間に立った城野キャプテンがそう宣言した。とうとう勝負が始まる。
城野キャプテンの合図で両チームが礼をする。それからキーパーがゴール前へと移動していった。荻野チームのキーパーだけが。
「彼方ちゃん、どうする? キーパー誰がやろうか?」
彼方チームはまだそれすら決まっていなかった。何事も大雑把な彼方は、それも勝負が始まる前に決めればいいや、ぐらいにしか思っていなかったのだ。これで試合に勝つ気まんまんだったのだから、サッカーを舐めているとしか思えない。荻野が怒るのも無理はないと言えよう。
りな子の問いに、彼方からの返事はなかった。彼方はまだショックから立ち直れないでいたのだ。立ち直りが早いのが美点の彼方にしては珍しい。よほど双海が女だったことがこたえたようだ。顔を青くしたまま、項垂れている。
「仕方ない、とりあえず小泉、お前がキーパーやってくれ」
浮上してこない彼方を見かねて、双海がそう指示する。
「え……? でも……」
りな子は戸惑った。サッカー経験が長いりな子だが、キーパーだけはやったことがないのだ。それなのにいきなり「やれ」と言われても出来るわけがない。
「大丈夫。あたしがディフェンスするんだ。心配しなくてもボールを枠に入れさせやしない」
当然だ。とでも言いたげな口調で双海が言う。りな子は頷いた。双海のその言葉だけで何故か安心出来るのだから不思議だ。
双海のいつものポジションはセンターバック。つまりディフェンスはお手の物というわけだ。しかもただのセンターバックではない。かなり能力の高いセンターバックなのだ。
蓬原高校女子サッカー部で一番サッカーが上手い人物は誰か?
もしそのような問いかけをされたなら、りな子はためらうことなく双海の名を挙げるだろう。きっと、サッカー部のほかのメンバーだってそう答えるに違いない。双海の技術は、この学校の中においてずば抜けていた。
だからディフェンスに関しては心配はいらない。問題なのは、オフェンスの方だ。
りな子がキーパーをやって、双海がディフェンスをするなら、当たり前のことだが点を取りにいくのは彼方の役目ということになる。
しかし彼方はサッカーに関してはまったくの素人。初心者なのだ。いくら彼方が運動神経の権化であろうとも、つい昨日までサッカーボールに触ったこともなかった彼方が、いったいどれだけ出来るのか。
「おい、織原」
双海が彼方に声をかける。彼方はぐるりと双海へ体を向けると、上目遣いに双海の顔を見やり、それから大きくため息をついた。
「お前な、人の顔見てため息をつくな」
「だって……、サギだ……」
「うるせえ。あたしは一言も『男だ』なんて言ってないだろ。勝手に勘違いしたお前が悪い」
「そんなこと言ったってぇ……」
彼方はますます項垂れた。
「いいからしっかりしろ。これはお前の勝負なんだからな。お前がしっかり点を取れ。いいな」
「はぁ~い……」
気のない返事をして、ハーフウェーライン(つまり真ん中の線)へとぼとぼ歩いていく彼方。背中が寂しい。
「じゃんけんでキックオフがどっちか決めて」
ボールを手にした城野キャプテンが言った。本当ならばコイントスで決めるのだが、ここは簡略化したようだった。ハーフウェーラインまで出てきていた彼方と荻野がそれぞれの代表としてじゃんけんをする。勝ったのは彼方。
「ふん、いくら双海先輩を仲間に引き入れたからって、それだけで勝てると思うなよ。アンタみたいな初心者に、あたしたちが負けるわけないっつーの」
荻野の不遜な言葉に、彼方は項垂れていた顔をキッとあげ、荻野を睨みつける。
「あたしをただの初心者と侮るなかれ。初心者は初心者でも、あたしはスーパー初心者だ!」
なんだそれ。
後方でその会話を聞いていたりな子は、そう思わずにはいられなかった。
キックオフの権利を得た彼方と双海は、ピッチの中央に置かれたボールを挟むようにして立つ。
キャプテン城野が試合開始の笛を吹いた。
彼方はチョンとボールを前へ蹴り出す。それをすぐに双海が受け、また彼方へとボールを返す。
「行け!」
という言葉と共に。
「言われるまでもなく!」
彼方は意気揚々と相手ゴールへ向かってドリブルを開始した。……つもりだった。
「こらこらこらこらーっ! ボールを置いていくなーっ!」
背後から双海の怒鳴り声。
あれっ? と思って足元を見ると、そこにあるはずのボールがない。どうもボールが転がる速度と彼方が走る速度に差があったようだ。
置いてけぼりをくったボールを双海がキープし、また彼方へ送ってよこす。それを受けた彼方は、またドリブルを始めた。今度は慎重に。
だがこれが上手くいかない。自分が走る速度にあわせてボールを蹴ると、ボールがあさっての方向に飛んでいってしまう。だからといって丁寧にボールを蹴ると、今度は思い切り走れずにモタモタしてしまう。
背中に双海とりな子の不安そうな視線を感じる。
(ああ、いやこれはだな。まだあたしがボールに慣れていないせいであって、もう少しすればそりゃあもう華麗なドリブルを披露できる予定なのだ。そうなのだ!)
別に何を言われたわけではないが、彼方は必死に心の中で弁解していた。
そうこうしているうちに、前方を相手チームの二人にさえぎられた。二人とも、彼方が進もうとするコースを確実に消してくる。彼方が右へ行こうとすれば、右側に体を寄せ、左に行こうとすれば、左側をふさぐ。
ただでさえ、ボールの扱いにもたついていた彼方は、進みたいところへ進むことも出来ずにイライラを増幅させていった。
「どうした、スーパー初心者」
ニヤニヤと荻野が笑う。もともとイラついていた上に、こんなことを言われては、あらかじめ低く設定されている彼方の沸点などあっという間に突破してしまう。
「くぬーっ!」
彼方は八つ当たりするかのように、ボールを思い切り蹴りつけた。それでも何の考えもなしに蹴ったわけじゃない。前を通せんぼする二人の間を狙ったのだ。ボールをそこに通し、それから自慢の俊足で二人を振り切ってやろうと思ったのだ。
発想は悪くない。しかし現実とは厳しいものだ。
二人の間を狙ったはずのボールは、何故か荻野の足元へと転がった。
これには荻野もわずかながら戸惑った顔をした。それはそうだろう、敵がわざわざ自分にパスをしてくれたのだから。
「ナイスパス」
イヤミとも取れる言葉を残し、荻野はドリブルで彼方を抜きさって行った。そして荻野がボールをキープしたと同時に前線へ走りこんでいたもう一人の女子サッカー部員へと、大きくパスを出す。荻野チームは早くも得点のチャンスをつかんだ。
だが、荻野チームもまた現実の厳しさを味わうことになる。
名も知らぬサッカー部員が荻野からのロングパスを受けようとしたその時、双海がパスコースに割り込んできたのだ。
双海は飛んできたボールをジャンプしながらインターセプト(ボール奪取)した。
彼方のすぐそばにいた荻野が舌打ちをする。
「やっぱり、双海先輩は一筋縄ではいかないか……」
さきほどの荻野と同じように、双海が大きくパスを出してくる。ボールは大きく彼方の頭上を越えて飛んで行った。
「ボール飛ばし過ぎだっての!」
慌てて彼方はボールを追いかける。
双海としては、荻野がすぐそばにいるところにボールを出しても、またすぐに奪われてしまうだろう、という考えから大きくボールを出したのだが、初心者の彼方には伝わっていない。
やはりスーパーといえども、初心者は初心者である。
足の速い彼方は、無事にボールまでたどり着く。そこからまたドリブルをしようとするが、やはり上手く行かない。彼方がボール相手に悪戦苦闘している間に、荻野ともう一人のサッカー部員がまた彼方の行く手をさえぎった。
「くっそぉ~、邪魔すんな!」
「馬鹿かお前は! 敵の邪魔をするのは当たり前だろ!」
言いながら荻野は、彼方とボールとの間に体を入れてこようとする。それを防ぐため、彼方はとっさにボールを後ろへ蹴った。
とりあえずここは双海にボールを預けようと思ったのだ。
が。
「なぁんであんなに後ろにいるの~!?」
双海は自陣ゴール前にいた。腕組をしてこちらの様子をうかがっている。
てんてんてん。と空しく弾んだボールは、名も知らぬサッカー部員が奪い去って行った。まあ、その攻撃もゴール前の双海によって潰されてしまったわけだが。
こうしてろくな攻撃も出来ないまま、前半は終わった。
「どーして助けに来てくれなかったのよっ!」
ハーフタイム、彼方は座って水分補給する双海に指を突きつけてそう言った。
前半、双海はとうとう一度も攻撃の手助けをすることはなかった。まあ、その代わりといってはなんだが、きっちりとディフェンスはこなしていたが。
それに引き換え、敵は二人で連係を取って守備に攻撃にと動いている。相手もまた点を取れていないといえ、このままではこちらが圧倒的に不利だ。
「『これはお前の勝負なんだから、お前がしっかり点を取れ』。あたしはそう言わなかったか? 確か」
「ぐっ……」
確かに言った。言ったが、彼方は初心者なのである。誰の助けもなしに点をとるのは難しい。
「でもこのままじゃ、勝てませんよ」
りな子が心配そうに、彼方と双海の顔を見比べている。取っ組み合いのケンカでも始めるのではないかと、気が気ではないのだ。まあ、彼方はともかく双海はそんなことはしないとは思うが。
「別に勝たなくてもいいじゃねえか」
「え?」
サラッとした双海の言葉に、りな子は疑問符を返す。勝たなくてもいい、とはどういうことだろうか。
「勝とうが負けようが、あたしには何の関係もない試合だ、これは。違うか?」
違わない。彼方が負ければ女子サッカー部へ入部。勝てば彼方がわずかばかりの優越感を得る。それだけの試合。双海ばかりではなく、りな子にとっても意味のない試合だった。
でもりな子は彼方の親友だ。出来ることなら勝たせてあげたいと思う。しかし双海はどうだろう。双海にとって彼方は昨日まで面識がなかった相手である。そんな彼方のために、無償で試合に出てくれているだけでも感謝すべきなのかもしれない。
「ふふふふふ、そうよ。勝たなくてもいいのよ。織原さん」
いつの間にか、そこに城野キャプテンが来ていた。彼女は含み笑いをしながら、彼方に語りかける。
「双海さんを引っ張ってきたのは誉めてあげるけど、それだけじゃ駄目なのよ。サッカーっていうのはね、コンビネーションも大事なの。どう? サッカーは面白いでしょう」
「いや別に」
キッパリと放たれた彼方の否定の言葉が、城野キャプテンの笑みに亀裂を生んだ。城野キャプテンは異様なまでに彼方を女子サッカー部へ入れたがっているが、ここまで初心者ぶりを発揮されて、それでも入れたいと思うのだろうか。
「そんなハズはないわ! もうちょっと、もうちょーっとやれは、きっと織原さんも分かるわよ。サッカーの面白さが!」
……入れたいと思っているようだ。
さて、もうすぐ後半が始まる。最初に点を入れるのは、果たして彼方チームか荻野チームか。それとも後半も〇点のまま終わってしまうのか。
もし、引き分けだったらどうするんだろう。
今さらながらに、そんなことを考えたりな子だった。
後半が始まろうとするその時、双海がりな子に囁くように言った。
「でもアイツ、トラップは上手いよな。初心者のわりに」
言われてみればそうだ。前半、彼方は双海が放つロングボールを受けることだけは出来ていた。普通、初心者はボールのトラップだけでも四苦八苦するはず。彼方はドリブルに苦戦はしても、トラップは難なくこなしている。
うん、やっぱりスーパー初心者かも。
りな子は親友をちょっぴり見直した。




