6 世界ふしぎ発見
うららかな五月の朝。学校へと向かう彼方の足取りは、いつになく軽かった。弾む歩調、無意識に出てしまう鼻歌。誰が見ても上機嫌だと言うことが分かる。
「彼方ちゃん、何か良いことでもあった?」
並んで歩いているりな子は、そう聞かずにはいられなかった。りな子にしてみれば、彼方の上機嫌は予想外のことだったからだ。勝負に必要な最後のメンバーが見つからず、荒れているのだろうと思っていた。
「うん、まあね~。久々に大暴れできたし」
「大暴れ?」
聞き返すも、親友は意味深に笑うだけで答えようとしない。
「あ、そうそう」
彼方は大きく一歩を踏み出し、くるりと体の向きを反転させる。
「勝負メンバー、見つかったから」
「えっ、ホント?」
「ホントもホント! しかもすっごくサッカー上手い人だよ」
誰だろうか。彼方にサッカーをしている知り合いが、自分の他にいただろうか。りな子は必死に頭を巡らせるが、思い当たる人物はいない。彼方のことだから、見ず知らずの人にいきなり頼み込んだりしたのだろうか。異様なまでに人懐っこい彼方ならば充分にありうる話だ。
「誰なの?」
彼方は進行方向に向き直り、再び歩き出す。その横に駆け寄って、りな子は聞いた。
「ふっふふー」
ニヤリと彼方が笑う。もうサッカー勝負には勝ったも同然と、その目が言っていた。
「あのね、双海サンって言う人。これがまたむちゃくちゃカッコイイんだ」
「双海先輩!?」
親友の口から出てきた名前に、りな子は驚きの声をあげる。
「何? りな子知ってるの?」
「知ってるも何も、双海先輩っていったら蓬原じゃ有名人よ」
その名を知らなかった彼方の方が珍しいくらいに。
「やっぱりカッコイイもんねぇ。あれだけカッコ良ければ有名にもなるってもんか」
彼方はなんだか一人で納得して頷いているが、そういうことではない。
「双海先輩って、中学の頃はすっごく悪かったんだって。中学生ながらケンカでは負け知らずで、ここらへんの悪そうな人たちの間では伝説になってるって話よ」
二十人以上もの高校生に囲まれても無傷で切り抜けたとか、いくつもの暴走族を敵に回して一人で戦ってたとか、耳にする噂は一つや二つではない。
「でも高校に上がってからは更生して、今は普通なんだけどね。それでも昔のこと逆恨みした人たちとかが、今でもたまに押しかけてくることもあるみたい」
「あー、それでか……」
「何?」
「いや昨日ね、あの人と一緒にいたら、いきなりケンカ吹っかけられてさ」
「ケンカ?」
彼方は「しまった」というような手で口を押さえた。
「りな子、今のはナイショね。特に先生には」
当たり前である。彼方はケンカを売られて黙っていられる性格ではない。きっと相手は復活出来ないほどに痛めつけられたことだろう。思えばさっきの「久々に大暴れ」も、このことに違いない。これがもし、先生方に知られてしまえば、タダでは済まない。
まあとにかく双海という先輩は、そういうわけで生徒だけではなく、先生にまで恐れられている存在なのだ。
その先輩を勝負に駆り出したというのは、ある意味凄いのかもしれないが、問題はある。
「でも彼方ちゃん、双海先輩ってサッカー部よ」
昨日「サッカー部は敵!」と宣言していた彼方が、そのサッカー部である双海を仲間に引き入れるとはどういうことか。
「分かってるよそのくらい。あれだけ上手いんだもん、当然でしょ。敵はあくまでも女子サッカー部。男子サッカー部は範疇外なのよ」
「え……? でも……」
りな子はさらに言い募ろうとしたが、ちょうどその時予鈴が鳴り響いた。校門のすぐそばにいたりな子たちにもそれは届く。
「あっ、ヤバイ。ほらりな子、急がないと遅刻だよ!」
そう言うと、彼方は弾むように駆けて行く。
「まっ、待って!」
慌ててりな子も、その背を追いかけた。
放課後。
初夏を思わせるような生温かい風が通り抜け、乾いた土がわずかに舞い上がる。
グラウンドの片隅には、小さなフィールドが出来上がっていた。普通のピッチの半分ほどの広さ、両端にはこれまた小さなゴール。りな子に聞いたところによると、これらは毎日、女子サッカー部が練習で使っているものらしい。男子サッカー部はグラウンドの半分ほどを使って贅沢に練習しているというのに、女子部は貧相なものだ。
彼方は今、女子サッカー部の面々と向き合っている。
とうとう、勝負のときが来た。
負けるわけにはいかない。負ければ彼方は女子サッカー部へ入らなければならなくなる。いや、サッカー部に入るとか入らないとかの問題ではない。ただ彼方は荻野を懲らしめてやりたいだけだ。
「逃げずに良く来たわね」
腕を組んで立ちはだかる荻野。その背後には二人の女子。一人はこの間体育館で見た先輩のうちの一人だ。やたらと背が高くて、体格の良い女である。もう一人は見たことのない顔だ。まあどうせ女子サッカー部の一員なのだろう。
「ふん、そっちこそ。後で泣きを見ても知らないからね」
一方、彼方の背後にはりな子一人だけしかいない。双海の姿はまだ見えなかった。
「ていうか、勝負以前に、そっち人数足りないみたいじゃない。まさか二人だけで戦うとか言うんじゃないでしょうね」
「心配していただかなくても結構。こっちには強力な助っ人がいるんだから」
彼方は勝ち誇った笑みを浮かべた。その笑いを見て、荻野が眉をひそめる。
「彼方ちゃん、来たよ」
りな子が声をかけてきた。その声に混じるように、ざっざっざっ、という足音が背後から耳に入ってくる。
来た!
振り向くこともせず、彼方は荻野の反応を観察する。
「げ……、ウソッ……!」
ふふふ、驚いてる驚いてる。
驚いているのは荻野だけではない。その背後にいる見知らぬ女子サッカー部員も、ギャラリーとしてピッチの外側にいる面々も、みんな彼方の背後からやってくる人物を見ているのだろう。その目は驚愕に揺れていた。ただひとり、あの大柄な先輩だけは眉一つ動かさなかったが。
双海は有名人だと、りな子が言っていたが、それはどうやら真実であるようだ。その姿ひとつだけで、そんなにも動揺を誘っている。やはり双海を仲間に選んだのは、正しい選択であったのだ。
「おっ……まえ……っ! 卑怯だぞ! 双海先輩を味方に引き入れるなんて……!」
「ふはははは! 何とでも言うがいいさ!」
さっきまでの余裕の態度はどこへやら、荻野は顔中に冷や汗をかいている。彼方は高笑いを抑えることが出来なかった。
この勝負、いただいた!
輝かしい勝利。この時、彼方はそれを確信した。
相手のペースをつかんだ者が勝ちを収める。ケンカでもそうだ。サッカーにだって、その法則は当てはまることだろう。
彼方は自分に勝利をもたらしてくれるであろう、その人物を迎えるために振り向いた。
「双海サン! 来てくれて嬉しい……わ……?」
そして、彼方の顔もまた、驚愕で染められることとなる。いや、驚きの度合いは、むしろ女子サッカー部のみなさんより上だったかもしれない。驚きすぎて、顔の筋肉が動かない。驚嘆の叫びをあげることすら出来ない。
双海はやってきた。あの美しい顔に、鋭い表情をのせて。
肩には大きなスポーツバッグ。制服である深緑色のブレザー。その下には白いシャツ。二年生であることを示している赤いリボンタイ。そして……、チェック柄の膝上プリーツスカート。
チェック柄の膝上プリーツスカート。
チェック柄の膝上プリーツスカート。
チェック柄の膝上プリーツスカート。
……恐ろしいまでに、似合っていない。
「エート、アノ、双海サン? 何で女装してるんですか?」
次の瞬間、彼方の頭頂部を重い衝撃が走った。双海の拳骨が降ってきたからだ。彼方は頭を押さえてしゃがみこむ。双海のグーは強烈だ。さすがの石頭彼方も涙目である。
「彼方ちゃん……、やっぱり、勘違いしてたんだ……」
りな子がものすごーく気の毒そうな目で彼方を見ている。
「朝から何か言ってることが変だなあって思ってたんだけど……」
「何よ、何なのよ!」
「双海先輩って、『女子』サッカー部なのよ」
『女子』サッカー部なのよ。なのよなのよなのよ……。
りな子の声が、頭の中でエコーする。いやそんなに「女子」の部分に力を込めて言わなくても……。と思ったが、今の彼方にはそうしないと「女子」の部分をスルーしてしまいそうだ。
「二年、双海司季。『女子』サッカー部だ」
今さらながらに双海が自己紹介をする。「女子」の部分に力を込めて。その顔をうかがうと、額には血管が浮き出ていた。怒っている、らしい。
「ウソ……」
怒っている顔も美しい。美しいが、それはどうみても少年。これが……女?
「もう一発、殴られたいか?」
どうやら声に出ていたらしい。双海が拳を固めている。
昨夜、初めて出会ったときのあのトキメキは何だったのだろうか。
いや、ただの勘違いなのだが。
これを機会に、ちょっとでもお近づきになれたらとか、彼女の座を射止めてやろうとか、密かにそんなことを考えていたのも無駄だったというのか。
いや、禁断の園に飛び込むのは自由なのだが。
「イヤーっ! ウソよぉー!」
グラウンドには、彼方の嘆きがこだました。
ああ、世界には不思議がいっぱいだ。




