5 食らえ、乙女の怒り!
「ああっ! そーだ!」
唐突に我に返って、彼方は叫んだ。
その声にびっくりしたのか、少年は目を見開いて彼方を見ている。受け損なったボールが地面で跳ねた。
「あっ、あのさっ、サッカーやってるんだよね?」
少年へと問う。あれだけ上手くて素人ということはないだろう。案の定、少年は頷いた。
それを見て、彼方は満足そうに笑った。いいことを思いついたのだ。
とてとて、と少年へと駆け寄って彼を見上げる。少年は彼方より掌ひとつ分ほど背が高かった。
「あの~、初対面で何なんだけど、ちょっと頼みたいことがあるんだ……」
「頼みたいこと?」
「うん、実はさ、あたし明日サッカーで勝負することになってて……」
そう、彼方は勝負に必要なメンバーの最後の一人に、この少年を選んだのだ。
(ふふふっ、別に男子を味方にしちゃダメだとは言われてないもんね~)
屁理屈である。
とりあえず、サッカー勝負をしなければならなくなった経緯などは省いて、勝負の簡単なルールと、メンバーをあと一人探していたことを告げて頼み込む。
少年ほどサッカーが上手い人物が味方についてくれたなら、明日の勝負、もしかしたら勝てるかもしれない。彼方はそう考えた。
「ふうん、勝負ね……」
少年はそう呟くと、またボールを蹴った。当然のように的の中心へ当たる。
もし、彼方がもう少しサッカーに詳しかったなら、この少年の技量がかなりのものであるということが、さらに分かったかもしれない。狙ったところに百発百中で当てるなんてことは、プロのサッカー選手でも難しいことなのだ。
「別にいいけど」
何気ない口調で少年が言った。彼方の顔に、満面の笑みが広がる。
「ホント?」
「嘘言ってもしょうがないだろ」
それもそうだ。
「よっしゃー!」
彼方は拳を天に突き上げながら跳ね上がった。
これで勝てる! あの荻野に吠え面かかせてやることが出来る!
すぐ脇に少年がいることも忘れて、彼方は高らかに笑い声を上げた。
しかし彼方はすぐにその高笑いをおさめなければならなかった。
少年が、突然彼方の肩をグイと引いたからだ。不思議に思って彼方が少年を見上げると、少年は眼差しを険しくして、暗がりを見つめている。
「な、何……?」
少年の眼球が右に左に動いた。何かを探っているように見える。
「アンタ……、ちょっと下がってな」
自分の背後にかばうように、少年は彼方を押しやった。目つきは鋭いままだ。
「隠れてないで出てきたらどうだ!」
そして叫ぶ。少年が見やる暗がりに、誰かがいるというのだろうか。彼方も少年に習って暗がりに目を凝らす。
すると、闇から浮き上がるように、人影が現れる。街灯に照らされたその人影は八人。すべて十代半ばから後半ほどの少年であった。
見るからにガラが悪い。全員がそろえたかのように髪を茶色に染め、耳にはピアス。学生服を着ているものの、それはたいぶ着崩され、原型を留めていない。一般的に「不良」と呼ばれる人種であることは間違いない。
「何? 何? 何なの?」
彼方はそいつらに見覚えなどなかった。彼方の通う蓬原高校は男子も女子もブレザーだ。学生服を着ているこいつらはどこか別の学校の者なのだろう。
彼方が知らない者たちならば、それはこの少年の知り合いなのだろうか。彼方はそっと少年の横顔をうかがった。
少年は険しい顔をしているが、切羽詰まったような印象は受けない。
「よお、双海」
素行のよろしくなさそうな方たちの中でも代表格だと思われる少年が言った。こいつは前髪に金のメッシュを入れている。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたその顔に、彼方は嫌悪感を抱いた。
双海、というのは少年の名前だろうか。前髪メッシュはあきらかに少年に向かって話しかけている。少年は眉をしかめて嘆息する。
「またお前らか……」
「うるせえ! コッチもな、オマエ一人にナメられて、黙ってられねえんだよ!」
「ナメたつもりはない。こっちはもうお前らに関わるつもりはないから、放っておいてくれないか」
「そういうワケにはいかないんだよ!」
前髪メッシュが叫ぶと、奴の仲間とおぼしき面々が、ザッと踏み出して、彼方と双海少年を取り囲んだ。背後には石垣があるから、これで逃げ場はなくなったと言っていい。
双海少年はまた嘆息した。ひどく面倒臭そうに。「しょうがないな」と口の中で呟くと、横目で彼方を見る。
「アンタ、蓬原だろ?」
彼方は制服のままだったから、それは一目瞭然だ。
「ちょっと荒っぽいことするから、先生には黙ってて欲しいんだけど」
「荒っぽいこと?」
彼方が聞き返すと同時に、双海の右側にいた奴がいきなり殴りかかってきた。
双海が彼方の胸をついて、自分から遠ざけた。そしてすかさず身を反らし、繰り出された拳をかわす。それを皮切りに、前髪メッシュの仲間たちは一斉に双海へと襲いかかった。
「ケンカ?」
誰がどう見てもケンカだった。つまり双海少年は「これからケンカするので、先生には黙っとけ」とそう言ったわけだ。
なるほど、と彼方はひとり頷く。ケンカをしたなんてこと、先生にバレたら謹慎、下手すりゃ停学である。口止めするのはもっともだ。ということは、双海少年も蓬原高校の生徒だということだろうか。
それにしても少年は強い。相手は八人もいるというのに、そいつらの攻撃がかすりもしていない。無駄のない動きで奴らの攻撃をかわし、そして鳩尾や延髄などに的確に蹴りや手刀を食らわせる。
この少年、只者ではない。
彼方はこんな状況の中にあって、取り乱すこともなくそう分析していた。
それもそのはず、彼方はケンカに巻き込まれたからといって、「きゃ!」などと可愛らしい悲鳴をあげて怯えるような女ではない。むしろ、血が騒ぐほうだ。
「おい!」
前髪メッシュの仲間が彼方の肩に手をかけた。
「オマエ、双海の連れか? 運が悪かったな。おとなしく……」
ゴキィ!
前髪メッシュの仲間は最後まで台詞を言うことが出来なかった。彼方が肩にかかった手を下から弾き上げ、相手の顔面に拳を叩き込んだからだ。
「ほほう、このあたしにケンカを売るのかね」
のされた相手も、まさかこの場に居合わせた少女が、空手で全国ベスト4の女だとは思わなかっただろう。
「ふっふっふ、オマエらいい度胸だ……。全員泣かしてやるぅ!」
転がった相手に蹴りを放つ。彼方のつま先が相手のアゴを捕らえ、相手は仰け反るようにして倒れた。
その向こうでは、双海少年に襲い掛かっていた奴らが目を丸くして彼方を見ていた。その中の一人がこう呻く。
「し、白……」
彼方は制服姿のままで、足を大きく振り上げているのだ。見せたくないものも見えてしまう。ハッとして慌ててスカートを押さえたが、もう時は遅しである。
「みっ、見たわね? 見ちゃったわね? しかもタダで!」
まなじりを吊り上げて、顔を赤らめる。ここらへんの反応は一般の女子とそう変わらない。変わるのは、この後の対処の仕方だ。
「許さん! 食らえっ、乙女の怒り!」
この後、どうなったのかはご想像にお任せしよう。ただ、前髪メッシュたちにとって、忘れられない一夜となったことだけは確かである。




