3 キャプテンの憂鬱
その物騒な光景を密かに見つめていた目が四つほどあった。
その目の持ち主、名を城野幸子と大道寺エリカという。
二人はこの蓬原高校の三年生で、何を隠そう女子サッカー部のキャプテンと副キャプテンである。
彼女たちは共に同じクラスで、一日のラストを締めくくる六時限目がいつもより早く終わってしまったために、まだ終了のチャイムも鳴らないのに部室へと向かっているのだ。部室へは体育館脇を通っていくのが二人のいつもの慣例となっていたから、今日もそうしていた。しかしいつもと違ったのは、通る時間がちょっとばかり早かったということと、体育館の中で彼方と荻野による乱闘が始まろうとしていたことだろう。
「エリカ、見た?」
城野キャプテンは開きっぱなしの体育館の扉から、顔を半分だけのぞかせて、中をうかがっている。その背後でやはり顔を半分だけのぞかせた大道寺副キャプテンがウンウンと頷く。
城野キャプテンは中肉中背のこれといって特徴のない女子だった。しかしその身からなんとなく優等生っぽい雰囲気を漂わせており、そのせいかクラスでも委員長を務めていたし、女子サッカー部でも当然のようにキャプテンを務めていた。しかし、それっぽいといういいかげんな理由で選ばれた割には、委員長職もキャプテン職も立派にこなしている。まあそのことを考えれば、才女といえなくもない。
一方、副キャプテンの大道寺エリカは見てくれからして特徴的であった。一八〇センチを優に超える長身、ガッチリとした体つき、そして常に真一文字に結ばれた口元、変化に乏しい表情。初めて彼女を目にした者は「ホントに女か?」と失礼なことを口にせずにはいられないらしいが、それでもエリカは立派に女性であった。学校の制服である膝上のチェック柄プリーツスカートだって見事にはきこなしている。それにあまり知られていないことだが、エリカはお茶もお花もたしなんでおり、料理の腕前もかなりのもの、と結構内面は女らしいのだ。
ともかく、そんな二人は目撃した。バスケットボールを蹴り上げた彼方を。
それはバスケにすべてを捧げているような人から見れば、許しがたい行為でしかなかっただろうが、城野もエリカもそのことには目をつむり、ただ彼方の常人離れした脚力に注目した。
「見つけた……。見つけたわ……! 破壊力のあるFW! あの子こそ、女子サッカー部の救世主!」
城野は興奮に顔を上気させ、体育館の中ではまだ授業(らしきもの)が繰り広げられているにも関わらず、一人で叫んだ。無口なエリカは城野の言葉に頷くだけだが、幾分か頷く速度が速いような気がするので、やはりエリカも興奮しているのかもしれない。
「エリカ! 何としてでもあの子をウチの部に入れるわよ! そうしないと今度の試合はホントにヤバイ!」
そう、城野をはじめとする女子サッカー部は今、創部以来のピンチに陥っていた。
現在、女子サッカー部の部員は十一名。そしてサッカーというスポーツは普通一チーム十一人でやるものだ。つまり人数ギリギリなのである。もちろん途中交代など出来るわけもない。
そしてついこないだより全国高等学校女子サッカー選手権の県大会が始まり、城野たち蓬原高校女子サッカー部ももちろんその大会に参加した。現在予選リーグの一試合が終了し、残りは二試合。だがここで問題が起きた。この間の試合でFWが一人ケガをしてしまったのだ。肉離れだった。そのFWは試合続行不可能となり、城野たちは試合の残り時間を十人で戦ったのだった。
今度の日曜には次の試合がある。FWのケガはそう簡単に治るものではない。予選リーグの残り二試合を十人だけで戦うのは正直不安だ。だから城野たちは、何とかしてあと一人のメンバーを探さなければならなかったのだ。
しかしこれが難儀した。これがバレーやバスケならば、まだこんなに苦労はしなかっただろう。だが城野たちが青春を懸けているのはサッカーだ。男子のサッカーはメジャーなスポーツであるというのに、それが女子となると途端にマイナー路線まっしぐらである。
まず、ルールを把握している女子が少ない。だがこれはまだいい、後で叩き込めばいいのだから。厄介なのは、女子の中で「サッカー? 見るのはいいけど、やるのはねぇ……」という意見が大多数だということだ。
それでも何人か運動神経の良さそうな女子に話を持ちかけてみたのだが、未だに色よい返事をもらえないでいる。
ああ、どうしよう。このまま十人で予選リーグを戦うか、それとも誰でも構わないからお飾りとして入ってもらうか、いっそのこと男子サッカー部から一人引っ張ってきて女装でもさせようか。
そんなことを考えていた矢先に、バスケットボールをかなりの威力をもって蹴り上げた女子の出現である。
彼女がサッカーを知っているのか、そうでないのかも分からない。だが、あのキック力は魅力である。
何としてでも彼女を女子サッカー部に! 城野キャプテンの心は太陽よりも燃え盛っていた。
城野キャプテンが一人で燃えていたその最中、体育館の中では極めて低次元な争いが繰り広げられていた。
「サッカーってのはねえ、瞬時の状況判断や戦術理解力が必要な頭脳的スポーツなのよ! それを球蹴り? ものを知らないにもほどがあるわ!」
「頭脳的? じゃあアンタには向いてないんじゃないの?」
「なにぃ? バカのアンタに言われたくないわよ!」
「んだと! バカって言ったヤツがバカなんだぞ!」
「バカはアンタでしょ。この全身筋肉女!」
「なっ……、このスッマートなあたしのドコが全身筋肉なのよ!」
「バスケのボールは蹴るもんじゃないっていう常識も頭に入らないんでしょ、脳みそまで筋肉だから」
「あれはもともとアンタが投げてきたからでしょ!」
「あたしは投げはしたけど、蹴ったりなんかしてない!」
「似たようなもんじゃない!」
「ドコがよ!」
なんかもう、そのうち「オマエの母ちゃん出ベソ」とか言い出しそうで怖い。
彼方と荻野の争いが舌戦だけで済んでいるのは、ひとえにE組とF組女子のおかげである。女子総動員で彼方と荻野を羽交い絞めしているので、二人とも口しか動かせないのである。
りな子は必死に「彼方ちゃん落ち着いて!」となだめているのだが、残念ながら彼方の耳には届いていない模様だ。
「ああもう、りな子放せっ! 頼むからアイツを一発殴らせろぉ!」
「ダメだよ彼方ちゃん。暴力反対っ!」
彼方の馬鹿力はもうはちきれる寸前だ。羽交い絞めしていた女子どもを吹き飛ばしそうな勢いである。
その時だった。
「ちょぉっと待ったあ!」
体育館脇の入り口から闖入者がやってきたのは。
この場にいたE組F組の女子たちは、あまりの騒ぎに先生がやってきたのかと思ったが、それは違った。入ってきたのは女子の制服を着た生徒。リボンタイの色が青いのでたぶん三年生だ。
「城野先輩、大道寺先輩……」
りな子が入ってきた二人の名を呟く。
「誰? 知ってる人?」
彼方はもちろん二人に見覚えはない。
「うん、サッカー部の先輩」
律儀にりな子が答えた。そうしている間にも二人の上級生はズンズンと体育館内に入り込み、対峙していた彼方と荻野の間に立った。そして上級生の片割れが口を開く。
「なにやら揉め事みたいだけど、どう? この際サッカーでケリをつけるってのは?」
「は? 何で?」
「何で? ……何でって言われても……」
城野としては彼方のサッカーの適性を見てみたかったから、こう提案しただけだったのだが。彼方と荻野が揉めている理由も良く分かっていなかった城野は、いきなりサッカー対決を持ちかけたのは唐突過ぎたかと内心舌打ちした。
「ほほう、そりゃあいいや」
しかし一方の荻野はキャプテン城野の言葉に、口の端を引き上げてニヤリと笑う。
「アンタ、サッカーを球蹴り呼ばわりしたんだ。サッカーなんてお手の物なんだろ? だったらサッカーでケリをつけるのもいいんじゃないの?」
「冗談じゃない。何であたしが」
「逃げんのか」
荻野の言葉に彼方はピクリと眉を動かす。
荻野はサッカー部員だ。ケリをつける手段にサッカーを用いるのは、荻野にとってかなり有利である。だからといって「逃げんのか」と言われてしまっては、もう後には引けない。織原彼方、退却を知らない女だ。
「だ~れ~が~、逃げるってぇ? いいじゃないのよ、やってやろうじゃん」
「彼方ちゃん、またそんな考えなしに……」
彼方と付き合いの長いりな子は、今のようにろくに考えもしないで物事を決め、そのおかげで大失敗をする彼方を数え切れないほど見てきた。だが、それを注意したからといって、彼方は聞かないであろうということも経験で知っている。
「ハイハイ、じゃあ決定~。サッカーで勝負、いいわね!」
パンパンと手を叩いて場を仕切るキャプテン城野。城野はとにかく彼方がサッカーをしているところが見られればいいのだ。そしてさらに彼方が女子サッカー部に入ってくれればもっといい。
「分かった。だけどね! あたしが勝ったらアンタ、三回まわってワンと言え!」
彼方は荻野をビシィッと指差し、キッパリと要求した。しかし要求の内容はものすごく幼稚だ。
「いいわよ」
ふふん、と鼻で笑いながら荻野は了承する。荻野も女子サッカー部員として、サッカーで負けるなどとは微塵も思っていないのだ。
「何回でもまわってやろうじゃないの、そのかわりあたしが勝ったら――」
「荻野さんが勝ったら、あなたには女子サッカー部に入ってもらうわ!」
荻野の要求を途中でさえぎり、城野が言った。
「は? キャプテン?」
「いいわよね、荻野さん」
「え……、でも……」
「い・い・わ・よ・ねぇ!」
「ハ、ハイ……」
荻野を振り返ったキャプテン城野から、えもいわれぬプレッシャーを感じた。顔は笑っているが何だか怖い。良く分からないが、ここは逆らわないほうが身のためだと、荻野は本能で感じた。
さすがはキャプテン、部員を御する能力に長けているようだ。
「大丈夫なの? 彼方ちゃん……」
「絶対勝ぁつ!」
りな子の心配をよそに、彼方は彼方で勝つ気まんまんである。その自信に根拠はまったくないが。
とにかく、こうして彼方のサッカー人生、はじめの一歩が記されたのであった。