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21 名門の意地

「ぃやったあぁぁぁぁぁ!」

 誰のものか分からない歓喜の叫び声を聞いて、彼方はやっと我に返った。止まっていた時間が動きだし、仲間たちが次々と彼方の元へと走り寄ってくる。

「彼方ちゃん、スゴイよ!」

 りな子が走ってきた勢いのまま、抱きついてくる。他の面々は遠慮なく彼方の頭を叩いてきた。そして最後に、双海が彼方の頭に手を置いたかと思うと、グイとムリヤリお辞儀をさせるみたいに、押し込んだ。

「ななな何よ!」

「よくやった」

 抗議しようと出した声に紛れてしまったが、確かに双海はそう言った。



 素子は知らず知らずのうちに止めていた息を大きく吐き出した。

「意外だわ……。蓬原が先制するなんて」

 しかも、あのノーコンFWが得点を決めた。先週の暴発ぶりがウソのような、完璧なシュートだった。

「本当に意外な展開だなオイ」

 いきなり近くで聞こえた声に、素子は驚き振り向く。そこには山縣がいた。

「あら、遅かったじゃない」

「だから、俺は忙しいんだって」

 言いながら、素子の脇に陣取る。

「ま、途中で他会場を覗いてきたってのもあるけど」

「他会場? 方川と峰女の試合?」

「そう、3-1で峰女の勝ち」

「……ってことは」

「蓬原はこの試合、何が何でも勝たなきゃ決勝トーナメントに進めないってコト」

 二試合を終えた状態で、蓬原の勝ち点は二。方川と峰女は共に勝ち点一であった。だがこの三試合目、峰女が勝ちを収め、勝ち点が四になった。

 白鳳はすでに二試合を終え勝ち点六なので、決勝トーナメント進出が決まっている。蓬原が決勝トーナメントに進むためには、峰女の勝ち点四を上回らなければならない。

 つまり蓬原がこの試合に勝てば、勝ち点が五になるから決勝トーナメントに進出できる。だが、負ければ勝ち点二、引き分けでも勝ち点三であるから、峰女の勝ち点四を上回ることが出来なくなる。

 早い話が、蓬原はたった今奪った一点を、最後まで守りきればいいのだ。

「守備は蓬原の十八番。これは、さすがの白鳳もキビしいかもね」

 山縣はそう言って肩をすくめた。

 そうだろうか。

 素子は正体不明の感情に襲われていた。これは、恐れ。

 このままこの試合が終わるはずがないという、予感。

 素子の視線は、自然とピッチ上のある人物へと吸い込まれていった。その人物とは、那智玲子。

 あの那智玲子が、このまま黙っているわけがない。彼女は去年、蓬原と戦ったその日から、ずっと再戦を待ち望んでいたのだ。そして一年もの月日を待って迎えたこの試合、那智玲子が何も出来ずに終わるとは思えないのだ。


「あー! もう後半始まっちゃってるよ!」

 考えに沈みそうになっていた素子の近くに、そう叫びながら走りこんできた者がいた。

「点数は……、1-0? 蓬原が勝ってる?」

 息を乱しながらも、スコアボードが示す数字を見て驚いている一人の少年。白と黒のジャージに身を包み、大きなスポーツバッグを肩からさげた少年。

「みっ、水城晃!」

 素子は思わず、調子はずれな叫び声を上げてしまった。その声に山縣も、少年の――水城晃の存在に気付いたようだ。

「水城くん、どうしてここに?」

「アレ? 山縣さん」

 晃も山縣に気付く、山縣は水城晃のインタビュー記事を書いたことがあるから、二人は顔見知りだ。素子も以前に何度か取材を試みているので、顔は知られているはずだ。

「どうしてって、それはこっちの台詞ですよ。山縣さんがどうしてここにいるんですか? 女子の取材?」

「いや、まあ、取材ってワケじゃあないんだけど……」

「それより水城くんは? やっぱり女子部の応援? それとも……、蓬原……、いいえ双海さんが目当てかしら」

 素子が聞くと、晃は一瞬驚いたような表情を見せた。記者の口から双海の名が出たことが意外だったのだろう。

 だがそんな年相応な表情はすぐに消え、変わりに彼は少し大人びた笑みを見せた。

「まあ、いちおう両方応援してますよ。やっぱり母校には勝って欲しいし、でもアイツが負けるところは見たくないし。……複雑ですね」

 アイツ、双海司季。やっぱり水城晃にとって、双海司季は特別な存在なのだろうか。




 千ヶ崎先輩が抜かれた?

 信じられない光景を目の当たりにし、玲子はしばし呆然とした。

 分かっている。千ヶ崎だって人間だ。いくら優秀なDFだとはいえ、完璧ではない。裏を取られることもあるだろうし、失点を許してしまうことだってある。

 それでも、千ヶ崎と相対していたのは、まだ基本もろくに出来ていない初心者なのだ。

 漠然とした不安が、玲子の胸を占める。それは、先週の日曜日に感じたものと同じだ。あのFWが、まだサッカーを始めて一週間にも満たないという話を聞いたときに感じたものと。

 あのFWに素質があることは認めていた。足の速さとキック力、どちらもまれに見る才能を有している。これからみっちりと練習をつんでいけば、白鳳といえども無視できない存在になるであろうと。

 だが、あれから一週間しか経っていない。つまり、あのFWがサッカーを始めてからは、たったの二週間弱。

 そんな初心者が、あの千ヶ崎を抜いて得点を決めた。

 祝福に向かっていた蓬原の面々が、それぞれのポジションへと戻ってくる。双海も小走りで自陣ゴール前へと向かっている。

 玲子はそんな双海へすれ違いざまに話しかける。

「本当に、一週間で使えるように仕上げてくるなんて、いったいどんな魔法を使ったのかしら」

 通り過ぎていった双海が足を止め、玲子の方へ振り向く。

「あたしは何もしてない。ただ基本を教えただけだ」

「嘘」

「嘘じゃない。あたしも驚いてるところさ」

 双海はまた走り出す。

 嘘……ではないのだろう。彼女がああ言うのだ。

 ならばあのプレイは、まったくの才能から出たものだというのだろうか。

 蓬原は守備だけのチーム。千ヶ崎に任せておけば、決して点を奪われることはないと思っていた。

 玲子は自らを恥じた。

 去年の教訓から、何も得ていない。結局は、玲子はまた今年も蓬原というチームを見くびっていたのだ。

 大きく息を吸う。そして、吐く。

 次の瞬間にはもう、玲子の脳裏から悔恨は消えた。

 悔いることは後でも出来る。今は、ゲームに集中しなければならない。

 点を取られてしまったことと、あのFWの存在。二つの事柄に動揺していた心を鎮め、次のプレイへと頭を切り替える。これが上手く出来るか出来ないかで、プレイヤーの格に差が出るのだ。

 だが今日は、玲子にとって計算外のことばかり起こる。

 ふいにピッチの外へと向けた視界に、彼の姿が映ったのだ。

「水城くん……!」

 口の中で、その名を呟いてしまった。

 今日は男子も試合がある。会場はまったく別の場所。時間も少し重複しており、向こうの試合が終わる時間には、もうこっちの試合が始まっていたはずだ。だが急げば後半に間に合わなくもないし、もしかしたら彼が来るのでは? という思いはあった。しかし本当に現れるとは……。

 彼女のため?

 彼と玲子は同じ学校だ。だから彼は自分たちを応援に駆けつけたのだ。

 そう、思えたらどんなにいいか。

 でも玲子は、そこまでおめでたくはないのだ。

 負けたくない。

 よりいっそう、そう思った。彼に敗北する姿を見せたくないと。相手が彼女であるから、その思いは余計に強く膨らんでいく。

 白鳳のキックオフで試合が再開した。

 後半十分。残り時間は少なくないが、だからといってのんびりともしていられない時間帯だ。

「那智先輩!」

 ボールを受け取った玲子に、前線へ走りこんだ明日美が叫んでくる。玲子は明日美へパスを繰り出し、同時に前へと走る。そして明日美からダイレクトでボールを返してもらい、そのままドリブルで切れ込んでいく。

 一人、二人。蓬原の選手が前に立ちふさがるが、玲子はただ前だけを見て、進んでいく。気がつけば、立ちふさがっていたはずの選手たちが後ろにいる。どうやって抜いたのかは頭にない。

 玲子が見ているのは、双海だけ。最終ラインで、玲子を待っている彼女。

 わずかに体重を右に寄せる。双海もまた同じ方向へと動いた。同時に、玲子は左足のアウトサイドでボールを左側へとはじき出した。そこには明日美が走りこんでいる。

 そこからダイレクトで戻して!

 双海の右側を走り抜けて、ボールが明日美から戻ってきたところでシュート。そういうイメージが頭の中に出来上がっていた。

 しかし双海がそれを許さない。双海は玲子の考えを読んでいたのだ。

 玲子が明日美へパスを出せば、双海はそちらへ行くのだろうと思った。しかし、双海は玲子から離れなかったのだ。

「くっ……!」

 明日美がそんな玲子を見てとったのだろう。ボールを戻すことをせず、そのままシュートを打った。

 蓬原の右サイドバックがゴールとの間に入ってくる。明日美が放ったシュートはその右サイドバックに弾かれ、そのままゴールラインを割る。得点はならなかった。だがコーナーキックを得ることが出来ただけでも良しとしよう。

 コーナーを蹴るのは玲子自身だ。

 得点のチャンスである。蓬原の最終ラインを突破出来ない白鳳イレブンだが、コーナーキックからならば、得点の可能性は格段にアップする。この千載一遇のチャンスに、千ヶ崎らDFも前線に上がってくる。

 誰に合わせようか。背が高くヘディングの競り合いに強い千ヶ崎か。それとも決定力のある明日美か。

 千ヶ崎をマークしているのは双海である。ならば、明日美か?

 先輩を信頼していないわけではない。しかし、いくら背が高いといっても、双海と比べればどっこいどっこいである。双海がヘディングにも強いことは知っていたから、千ヶ崎といえども確実にゴールまで持っていく確率は落ちる。

 勝ちたい!

 ただ、その気持ちだけを込めて、玲子はコーナーを蹴った。

 大きく弧を描いて飛んだボールは、明日美の元へ。

 明日美が跳ぶ。

 左足を出し、そこに当てて、直接ゴールを狙う。ダイレクトボレーだ。

 千ヶ崎にかかりきりだった双海はフォローに回れない。そして、他の蓬原メンバーは、誰一人として明日美のボレーに反応出来なかった。

 明日美が一年にして白鳳のレギュラーの座をつかむことが出来たのは、ここぞと言う時に必ず決めることが出来る才能を持っていたからだ。

 明日美のボレーシュートは、蓬原キーパーの指先を掠めて、ゴールへと吸い込まれていった。

 これで、同点。



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