2 良い子は真似してはいけません
「と、ゆーわけなのさ」
「『と、ゆーわけ』って……」
「ああもう、人の話、聞いてなかったの?」
小山からの勘違い告白を受けた翌日、彼方はさっそく親友りな子に今度の日曜日に映画に行こうと誘いをかけた。
小山の名前はまだ出していない。とりあえず、彼方と二人で映画にいく約束をとりつけて、当日になって彼方がドタキャン、代わりに小山が出動……。というシナリオを昨夜じっくりと練っておいたのだ。
じっくりと練ったわりにはひねりのないシナリオであったが。
「聞いてたけど……。でも彼方ちゃん、今、授業中よ」
りな子の言うとおり、今は六時限目の真っ最中であった。
「そんなことどーだってイイの! 行くの? 行かないの?」
授業中とはいえ、科目は体育。しかも担当教師が出張のため、勝手にバスケをやっているだけのダラダラとした授業内容であった。代わりの教師はバスケをやるように言いつけると、さっさと体育教官室に戻ってしまったから、今や体育館は無法地帯と化している。それでもまあ一応はバスケらしきゲームが体育館内で繰り広げられてはいたが、審判もいないので、ただのボールの奪い合いになってしまっているのは否めない。
彼方たちが所属するE組と隣のF組の女子を五つのチームに分け、体育館の半分を使って一ゲーム。もう半分で一ゲーム。あまった一チームは、体育館の隅っこでダベっているしかやることがない。いや、審判役でもやってやれよ、と思わないでもないが、この無法バスケを裁ける者などどこにもいない。
彼方とりな子は同じチームで、今は余り組として体育館の隅っこに追いやられている状況。彼方はその状況を利用して、映画の件を切り出したのだが……。
「ゴメン、彼方ちゃん。今度の日曜日は試合があるんだ」
「試合?」
「うん、ウチの部、人数ギリギリしかいないから、絶対に抜けられないんだ」
りな子は女子サッカー部に所属している。
「なんでまた、そんなマイナーな部に」とそれを聞いた人は必ず思うらしいが、彼方は「りな子といえば、サッカー」ということを長いつきあいで良く知っていたから疑問に思うことはない。小学生の頃、りな子と彼方が出会ったときにはもう、りな子はサッカーの虜となっていた。中学でも女子サッカー部に入っていたし、高校だって、女子サッカー部があるという理由でこの高校を選んだくらいだ。
「でもさ! この映画、スゴイ人気じゃん。それにもうすぐ公開も終わっちゃうし。見に行くなら今度の日曜しかチャンスはないよ!」
小山が用意したチケットは『天井のピアニスト』という映画のチケットで、アパートの天井裏にある隠し部屋に住むピアニストと騒音に迷惑しているアパートの住人との対立を描いたもので、今若者を中心にその奇妙な面白さが広まっているという話題作だ。話題作だけに、まだまだ大ヒットロングラン中で公開終了の予定などないのだが、そうでも言わないとりな子は来てくれないだろう。サッカーと映画を天秤にかけたなら、りな子は間違いなくサッカーを取る女だ。
「うん……、でもゴメンね。映画はまた今度見に行こうよ。ホラ、もうすぐ彼方ちゃんの好きな『アトリックス』の続編が始まるじゃない」
『アトリックス』とは魔法のハンドクリームを塗って美しい手を手に入れた主人公が手タレとして成功していく様を描いた大ヒット作で、もうすぐその続編が公開予定だった。
彼方は確かにその映画を楽しみにしていたが、今重要なのはどの映画を見るかということではなくて、小山とりな子の恋の橋渡しである。小山から渡されたチケットが今度の日曜日に上映される『天井のピアニスト』のものである以上、日時をずらすわけにはいかない。ましてやまだ公開もされていない『アトリックス』の続編ではダメなのだ。
「そんなこと言わずにさ。ねっ、お願いだから行こうよう」
両手を合わせて拝んでみるが、りな子は困ったような顔をしただけで、意見を変えるつもりはないようだった。
「ゴメンね……」
「そんな! 球蹴りとデートと、うら若き乙女にとってどっちが大切だか分かってるの?」
「え? デートって……?」
思わず声に出てしまっていた。小山のことはまだ伏せていたのに。
「あ、いや、それはだな……」
片手を口にあてて、慌てふためいた彼方。どう言い繕おうか回転の鈍い頭をフルに動かそうとしたその時である。
彼方の背後から真っ直ぐ飛んできたバスケットボールが、彼方の後頭部を直撃した。
ゴスッという音がした。それは彼方が小山を殴り倒したときと同じような音だ。バスケットボールは大きくて重い。そんなボールが結構な勢いを持って、頭に当たったのである。普通の人ならば、脳震盪で倒れてもおかしくはない。
あくまでも普通の人ならば。
彼方もまた、後頭部にボールを受けて倒れ伏した。両手両足をおっぴろげた、あまり格好の良い倒れ方ではなかったが。
「痛った~」
しかし彼方はすぐさま起き上がる。そう彼方は人より痛覚が鈍い。そして脅威の石頭を持っていた。
「何なのよコレ! 誰だぶつけやがったのは!」
後頭部を手で押さえながら、振り返る。
するとそこには同じクラスの荻野由佳が、腕を組んで仁王立ちしていた。冷えた表情で、彼方を見下ろしながら。
ワザとだ。絶対そうだ。
直感的に彼方はそう思った。状況からして彼方の頭にボールをぶつけたのは荻野なのであろう。それでありながら、少しも悪びれるところがない。それどころか、仁王立ちで彼方を見下ろしている。謝罪の言葉ひとつないのは、荻野がぶつけようと思ってぶつけたからに違いない。
「あんたねぇ……。打ち所が悪かったら死んでるわよ、コレ!」
彼方は黙したままの荻野に食ってかかる。ボールをワザとぶつけられて、黙って引き下がる女ではないのだ彼方は。
「オマエ……」荻野がようやく口を開いた。「オマエ、『球蹴り』って言っただろ、今」
「は?」
確かに言った。言ったが、それが何だというのだろう。
「彼方ちゃん」
荻野と対峙する彼方の後ろから、りな子が小声で言ってくる。
「荻野さんも、サッカー部なんだよ」
ああそうか。そういうことか。彼方は理解した。
つまり、愛するサッカーを「球蹴り」呼ばわりされたのが気に食わなかったわけだ。
「器が小っちゃいなあ。たかが、サッカーを球蹴りって呼んだくらいで……」
「うっさい! サッカーのサの字も知らないようなヤツに、球蹴り呼ばわりなんてされたくないわ!」
荻野は転がっていたバスケットボールを拾い上げると、もう一度彼方に向かって投げてきた。(良い子は真似してはいけません)
「うわっ!」
彼方は持ち前の反射神経でそれを避ける。ボールは壁を激しく叩いて跳ねた。跳ねて転がったボールを彼方は床と足の裏で挟むようにして持つ。
「何すんのよ! 危ないじゃない!」
彼方はそう言うと、バスケットボールを蹴り上げた。荻野に向かって。(良い子は真似してはいけません)
バスケットボールは大きくて重い。だから蹴るには向かないボールだ。蹴るために作られてないのだから、当たり前である。しかし空手で鍛えた彼方の脚力は、常識が適用しない。蹴られたボールはかなりの勢いをもって荻野を襲う。
荻野はなんとかそのボールを避けたが、もし当たっていたら一大事になっていたことだろう。(だから良い子は真似してはいけません)
「信じらんない……、蹴るかフツー」
「てゆうか、その前に人に向かって投げるかフツー」
彼方と荻野はにらみ合う。その間には火花が散っていた。