17 オフ・ザ・ボール
正直に言うと、彼方はまだサッカーが面白いとは思えない。
蹴っても蹴ってもボールは思う方向へと飛んではくれないし、それ以前に昨日の試合の後半では、ボールに触らせてももらえなかった。だから自分からボールへ触りに行ったというのに、「そんな馬鹿なことをするヤツがあるか!」と、それはもうこっぴどく叱られた。
もともとチームプレイというものが苦手である。
今までは空手の個人戦をやっていたわけだから、彼方にとってサッカーは始めてのチームプレイを必要とする競技だということになる。そして良くも悪くも単純明快な彼方は、あっちにボールが行くからこう動いて、こっちに味方がいるからああ動いて、敵の動きを良く見て動いて、さらにボールの動きにまで注意しなければならないサッカーというスポーツは、面倒くさいとしか言いようがないものだったのだ。
それでも試合の翌日、月曜日。
彼方はこうしてグラウンドにいる。
言うことを聞かないボールと、小難しい戦術に悪戦苦闘しながら。
何故かというと、それはひとえに「意地があるから」である。
ここで逃げたら双海に「それ見たことか」と笑われるだけだ。それに昨日出会った白鳳学園のストライカー片桐明日美へ啖呵を切った手前もある。
「じゃあ、あたしは十点取る!」
彼方としては至極真面目に宣言したつもりであったが、今日になってサッカー部の皆にそのことを言うと、
「オマエは馬鹿だ!」
口をそろえて言われた。特に双海は拳骨までくれた。「アホなこと言ってる暇があるんだったら練習しろ」と。
りな子が言うことには、サッカーというのは明日美が言った「ハットトリック」というやつを達成するだけでも、大変なことなのだそうだ。それが十点ともなると、それはもうたわ言としか受け取ってもらえなくなる。
でも彼方は真剣だ。明日美にそう言ったときは、本当に次の試合では十点取ってやると思ったのだ。
何故か悔しかったから。
直接のきっかけとなったのは、明日美に「蓬原は白鳳に勝てない」とか「ハットトリック取る」とか言われたことだ。でもよくよく考えてみると、悔しさを形作っているのは、それだけではない。
峰女との試合、彼方はまったく揮わなかった。ボールを蹴ればあさっての方向へ飛んでいく。ドリブルもうまく出来ない。まとわりついてくる敵が邪魔だ。あげくに「走っていればいい」発言だ。彼方のイライラは限界近くにまで来ていたのだ。
それらが混ざり合って、ぐちゃぐちゃになった結果生まれた言葉が「十点宣言」であった。
とにかく次の白鳳戦では、点を取る。取って取って取りまくって、そして勝つ。そして蓬原をなめきっていた明日美に「参りました」と言わせ、「お前にサッカーは出来ない」と言った双海へふんぞり返って見せるのだ。
そのためには練習――なのだが。
「ちっがーう! 何度言えば分かるんだ!」
今日も双海の怒鳴り声がグラウンドに響く。そして彼方のイライラは募る。
「お前にボールを蹴って欲しいときは、お前の方にボールを出すよ。だから、お前は自分からボールを取りに行くな。どうせ白鳳からはボールを奪えない」
「そんなのやってみなきゃ分かんないでしょ!」
「分かる。白鳳を舐めるな。白鳳は去年のチャンピオンだ。昨日の峰女と同じに考えてたら痛い目を見るぞ」
ただでさえ初心者なんだから、と双海はブツブツ言う。
彼方にとってサッカーは、ボールに触ってナンボである。だから双海の言うことには、ちょっと従いたくはない。
「いいか?」
双海は言い聞かすように、ゆっくりと彼方に語りかける。
「次の白鳳戦まで一週間。時間がねぇんだ。だからあたしはお前の持っている力を最大限に利用できるようにしたい」
「利用……って、そんな道具みたいに」
「いいから黙って聞け。あたしの口が悪いのはもともとだ。悪気があるわけじゃねぇから気にすんな」
口が悪いという自覚はあったようだ。
「お前の力っていうのは『キック力』と『足の速さ』だ。でもこの際、『キック力』のことは忘れろ。こいつはお前がもっとボールを上手く扱えるようになってからだ。つまりは『足の速さ』だけってことだ」
「なによ。また走ってればいいってコト?」
「そうだ」
彼方は頬を膨らます。不満だった。
「そうブスくれた顔するな。仕方ねぇだろ。お前はまだヘタクソなんだから。ノーコンだし、サッカーのルールもまだ良く把握してないんだからよ」
「でも……」
「だから! それでもお前の足の速さは脅威だって言ってんだ」
「脅威?」
「そう、白鳳といえどもお前の速さにはそうついて来られないだろう。だからお前はピッチの上をとにかく走り回って、相手ディフェンスを惑わせるんだ」
珍しく双海が彼方を誉めた。少なくとも彼方は双海に誉められたのは、これが始めてである。彼方は面食らって、二、三度まばたきをした。
「お前が走り回って、相手ディフェンスをひきつけてくれれば、杉田の方のディフェンスが甘くなる。そうなればこっちのチャンスだ。分かるな?」
分かる。分かるが、それでもボールに触れないというのはちょっと不満だ。
「サッカーっていうのはな、ボールを触っていないときの動きが重要なんだ。例えば、お前はFWだろ。FWなら、動き回って少しでもシュートを打ちやすい状態にしておくとか、味方がシュートを打ちやすい状態にしておくとか。つまり、ボールを受け取るまでが大事なんだよ」
「受け取るまで……」
「そう、オフ・ザ・ボールってやつだ」
また聞きなれない単語だ。
「現代サッカーはこの『オフ・ザ・ボール』によって決まるって言っても過言じゃない。そのぐらい大事なことなんだ」
大事な、こと?
「お前は初心者だ。そして次の試合まで一週間しかない。今からどんなに特訓したって白鳳のボール捌きにはついていけないだろう。だから、ボールを持たない練習をするんだ」
「ボールを持たない練習?」
「そうだ。お前にやって欲しいのは、ディフェンスの裏を取ることだ」
「よぉ、来たな。暇人記者」
峰女戦の翌日、素子はまた蓬原高校を訪れていた。するとそこにはすでに山縣の姿があり、山縣は素子を見るなりこう言ったのだ。
「あんたにだけは言われたくないわね」
自分が暇人記者だというなら、山縣だって同じはずだ。この間といい、昨日の試合といい今日といい、山縣だって素子と同じだけ蓬原を追い続けているのだから。
「俺は忙しいよ。忙しいけど、無理して来てるワケ」
どうだか。素子はこの男の言うことの半分は信じないようにしている。
「何しろ、調べれば調べるだけ面白いことが出てくる」
「面白いコト? 何よソレ」
「知りたい?」
もったいつけて笑う。素子は山縣のこういうところが気に食わない。記事にすることでもあるまいし、口に出したからには元から教えるつもりなのだろう。前フリはいいからさっさと教えればいいのだ。
「俺ね、昨夜、水城晃と那智玲子について調べたんだ。もともと蓬原に注目するキッカケになった二人だからね。何かつながりがあるかも、と思ったワケ」
それは素子も思っていたことだ。那智玲子の双海司季への警戒ぶりは尋常ではなかった。それに、あの二人は昨日の峰女戦にも姿を見せている。
「そしたら見事にビンゴ。水城晃と双海司季。あのふたり、幼馴染だったんだ」
「幼馴染!」
「そう、今でも結構仲良いみたいよ」
なるほど。それならば水城晃が双海司季について詳しくてもおかしくはない。
山縣の情報はそれだけではなかった。
他にも双海が中学三年の春頃までグレていたこと。見事に更生したその影に、水城晃の姿があったこと。水城晃の勧めでサッカーを始めたこと。そして双海ほどの優れた選手が、蓬原なんていう無名校にいた訳。
双海は中学二年までの素行が悪かったために、白鳳に入学を拒否されたのだ。
「皮肉なものね……。受け入れなかった生徒に、苦しめられる羽目になるなんて」
白鳳も、過去のことにこだわらず、双海を入学させていれば、こんなことにはならなかっただろうに。それに白鳳の優秀なメンバーの中に双海が入っていたならば、さらに白鳳は強くなっていたことだろう。
「逃した魚は大きいってことだよ。ま、おかげで蓬原は宝を手に入れたってトコロかな」
「しかも、宝は一つじゃない」
そう言い切った。山縣が怪訝そうに素子を見る。素子だって何も調べなかったわけではないのだ。
素子が調べたのは、昨日の試合で見事なまでのノーコンぶりを見せてくれたあのFWについてだ。
あのFW、昨日の試合ではまったくと言っていいほどに役に立っていなかった。サッカーの常識を覆す動きをして、敵ばかりか味方までもを撹乱していた。
だが、それもそのはず。
「あのFW。まだサッカー始めたばかりみたいね」
そう、あのFWはほんの一週間ほど前までは、サッカーボールに触ったこともなかったのだ。
「しかも中学時代は空手をやっていて、全国でベスト4まで進んだそうよ」
山縣は押し黙っている。さすがの山縣もあのFWのことまでは調べていないに違いない。素子はあの山縣に一歩先んじることが出来たことに、わずかばかりの満足感を得た。
が、
「で、それが?」
山縣はきょとんとした顔で素子を見返している。
「そ、それがって……?」
「まあ確かに空手で全国ベスト4はすごいけどさ、それとサッカーとどう関係があるワケ?」
……あまり関係ないかもしれない。
「ほ、ホラ! キックがすごいとか!」
「……空手とサッカーのキックは別物だろ」
……その通りかもしれない。
「で、でも! 身体能力とかすごいじゃない」
山縣はひとしきり首をひねって、
「そういうのも、アリなのかなあ……」
と呟いていた。せっかくの取材も台無しである。
素子はグラウンドで戦術の確認を行っているあのノーコンFWを眺めた。
頼むから、今度の白鳳戦では、空手のノウハウを生かして活躍してよ。そうでないと、山縣の鼻を明かすことが出来ないんだから。
勝手な願いをかけるばかりである。