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16 ライバル


 重心を低くして、一人目の鳩尾に突きを入れる。そして二人目の脛にローキックを当てて崩してから、側頭部にハイキックをお見舞いした。今日の彼方はジャージなので、ハイキックも安心だ。

 一方のジャージの少女も中々のものである。素早い身のこなしで、不良たちの無様なパンチをかいくぐっている。そして隙を見て、鋭いローキック。彼方のようにハイキックこそ見られなかったが、そのローキックはかなり強烈であろうことが、見ただけで分かった。だがそのキックは、人を蹴っているというより……、

 そう、まるでサッカーボールでも蹴っているかのようだ。

「くっ、くそっ! なんなんだコイツら!」

 前髪メッシュが裏返った声で言う。またしても女二人に歯が立たないのだ。今度は双海がいないから大丈夫だと、本気で思っていたらしい。

「馬鹿め! おとといきやがれってんだ!」

 そう言って、高笑いをしてやる。

「ちょっとアンタ! 笑ってる暇があったら、さっさと逃げなよ!」

 ジャージの少女はそう叫ぶと、へたり込む不良たちを尻目に走り出した。

 どうして? ケンカには勝ったのに、どうして逃げなければいけないのか。

 彼方がそう思ってキョトンとしていると、りな子が彼方の腕をつかんできた。

「彼方ちゃん、逃げよう!」

 そしてここまでやって来たときとは反対に、りな子が彼方の腕を引っ張って走り出す。

「な、何よ! 何なのよ!」

 どのくらい、そうして走っただろうか。さすがの彼方も息が絶え絶えになったころ、ようやく人気の無い路地裏に、彼方とりな子、そしてジャージの少女の三人は落ち着いた。

「何で……、あたしが逃げなきゃいけないわけ?」

「もう、彼方ちゃんのバカ!」

 珍しくりな子がいきり立っている。

「な、何よ……」

「あんなところでケンカなんかして! もし学校の先生とかに見つかったら、タダじゃすまないでしょ!」

「あ……」

 彼方の脳裏からは、そんなことはスッポリと抜け落ちていた。ただ、あの前髪メッシュたちから小山の財布を取り返し、ギッタンギッタンに伸してやることしか頭になかったのだ。

「もし停学にでもなったら、今度の白鳳戦、出られなくなっちゃうんだよ! それに……」

 りな子の目元に光るものが見えた。

「それに、彼方ちゃんが怪我でもしたら……」

「うあ! ゴメン! ゴメンってば! だから泣かないでよりな子!」

 彼方はりな子の涙に弱い。あんなヤツらとケンカしたからといって、ケガの一つもするつもりは毛頭ない。それでも彼方のようにケンカ慣れしていないりな子には、充分怖かったことだろう。

 ……うら若き女子高生がケンカ慣れしているのも、どうかと思わないでもないが。

「そうか、アンタたち、蓬原(よもぎはら)のヒトだね? しかもサッカー部」

 ジャージの少女が口を開いた。

「……まあ、そうだけど。何で分かるの?」

「さっき、そっちの子が『今度の白鳳戦』って言ってただろう」

 それはそうだが、普通の人はその言葉だけで彼方たちが蓬原の生徒であることなど分かりはしないであろう。

「彼方ちゃん、この人、白鳳のサッカー部だよ」

「え?」

「白と黒のジャージ。白鳳のサッカー部のジャージだもん」

「そのとおり」

 ジャージの少女は、腕を組んでふんぞり返る。

 ということは、この少女は来週の試合で戦う相手だということだ。それならば、「今度の白鳳戦」という言葉で彼方たちの素性を探ることは可能だ。彼方は納得する。

「アンタたちが敵だったとはね。ま、敵って言うほどのもんでもないか」

 ふっ、と息を漏らしながら少女が笑う。

「ナニソレ、どういう意味よ」

「白鳳は負けないって意味。蓬原なんていう弱小に、全国有数の強豪である白鳳が負けるワケないじゃん。誰にでも分かることでしょ」

「そんなことないわ」

 意外なことに、少女の失礼な言葉に反応して進み出たのはりな子だ。

「去年、白鳳とウチはいい勝負をしたって聞きました。今年の蓬原は去年より強い。だから、負けない」

「いい勝負? そんなの意味ないじゃない。サッカーは勝ってナンボ。いい勝負をしたって勝たなきゃ次には進めない。違う?」

「だから負けないって言ってんでしょ!」

 彼方も遅ればせながら参戦する。

「どうかな? 蓬原って、守備だけのチームだって聞いてるケド。そんなチームがウチから点を取れるとは思えないわ。それに、どんなに守備が良くても、白鳳の攻撃を防ぐことは出来ない」

「何でよ」

「このあたしがいるから」

 親指を立て、それで自分自身を指す。負けるなどとは微塵も思っていないのだろう。

「白鳳学園女子サッカー部期待の天才ストライカー、片桐(かたぎり)明日美(あすみ)とはあたしのことよ!」

 自分で天才って言うか。

 彼方はそう思ったが、ここで負けるわけにはいかない。さきほどのケンカのときもそうだが、彼方の辞書には「退却」とか「引く」とか言う言葉はないのだ。

「それを言うなら、蓬原にはあたしがいる! この超天才FW織原彼方がね!」

 とりあえず、「天才」の前に「超」をつけることで、「あたしはもっとスゴイ!」ということを表現してみた。

「誰ソレ? 聞いたことないわね」

 ジャージの少女――片桐明日美は、鼻で笑う。

「フン、あたしだってアンタの名前なんか聞いたことないわよ」

 彼方の場合、単にサッカー歴が浅いというだけなのだが。

「ほほう、サッカーの名門である白鳳に鳴り物入りで入って、一年ですでにレギュラーであるこのあたしの名前を聞いたことがない? どんな田舎に住んでんだ? サッカー知ってるの?」

「そっちこそ、あたしの名前を知らないとは、無知にもほどがあるってもんよ!」

 いや、知らないほうが普通だ。

「ま、口だけなら誰でも天才になれるからね」

 口元に浮かべた勝気な笑みを崩すことなく、明日美は言う。

「予言してあげるわ。来週の日曜、蓬原は勝てない。そしてあたしはハットトリックを達成してみせる」

 キッパリとした声。揺るぎない瞳。まるで、今言葉にしたことが現実であると知っているようであった。

 が、

「『はっととりっく』って何?」

 またしても彼方は初心者丸出しである。

「アンタ……、本当にサッカー部?」

 疑問に思うのも無理はない。

「彼方ちゃん、『ハットトリック』っていうのはね、一試合に一人で三点取ることを言うのよ」

 りな子が彼方の耳元でそう解説してくれる。それを聞いた彼方は、またしても考えなしに言葉を発した。とんでもないことを。

「一人で三点~? じゃああたしは十点取る!」

 一人で十点。それはもうサッカーではない。




「お前さあ、また背ぇ伸びた?」

 唐突な質問だった。

 那智が一人で帰ってしまってから、双海と晃は二人でのんびりと歩きながら帰途についていた。

 晃と会うのは、約一ヶ月半ぶりだ。いろいろと話題は尽きない。

 お互いの近況、最近のJリーグや海外サッカーについてなど。特にサッカーの話になると、二人とも時間を忘れて話し込んでしまう。峰女から家までは結構な距離があったが、それでも気がつけばもう家まであと少し、というところまで来てしまっていた。

 言葉が途切れる。

 会話と会話の間に訪れる、ちょっとした静寂。そのわずかな静寂の後に、晃は唐突な質問をしてきたのだ。

「何だよ。いきなり」

「なんかさ、また身長差が縮んだような気がして。今、いくつ? 身長」

「……百七十三」

 女子にしては、かなり高い部類に入る。サッカーをやる分には高い己の身長をありがたくも思うが、それ以外の時はあまり嬉しく思うこともない。双海は自分の外見が女らしからぬことを充分に知っていた。高い身長は、タダでさえ男っぽく見える外見を、さらに女から遠ざけているような気がした。

「ひゃくななじゅうさん? うわ、俺と三センチしか違わねぇじゃん。お前、もう身長伸ばすな」

「そんなこと言ったって、あたしだって好きで伸ばしてるんじゃないんだ」

 出来ればもう伸びたくはない。自分が晃の身長を追い抜いてしまったところなど、想像するだけで吐き気がする。

「それに、晃だって伸びてるだろ?」

「まあね、まだまだ成長期だから。百八十は超えたいね、希望としては」

 そう言って、晃は空を仰ぐと笑った。

 安心する。

 こうして晃となんでもないような会話を交わしていると。

 ああ、こいつはあたしの幼馴染なんだと、実感出来るのだ。

 名門白鳳学園のエース。U-17日本代表キャプテン。最近ではサッカー雑誌でもよく顔を見るようになった。もう少しすれば、テレビでもその活躍が見られるようになるのだろう。

 双海の隣を歩く幼馴染は、あまりにも自分から離れていってしまった。高く、遠い場所へ。

 幼い頃は、一緒にいることが当たり前だった。それなのに、いったいいつからなのだろう。だんだんと共に過ごす時間が減り、交わす会話の数も減った。

 多分、はっきりとしたキッカケなどないのだ。少しずつ少しずつ、成長するに従って、自分たちは気付いていったのだ。

 自分は女で、晃は男だということを。

 決定的だったのは、中学に入ってからだった。

 晃はサッカーでその才能を開花させていった。地方の代表に選ばれるようになり、U-14などの日本代表にも選ばれるようになっていった。

 そして双海は……。


 中学時代のことを思い返すと、心が悔恨でいっぱいになる。なんと無駄な時間を過ごしたのだろうと。

 双海はあまり学校へ行かなくなり、素行の悪い者たちと付き合うようになった。意味のないのに強がり、ケンカを吹っかけたり、吹っかけられたり。気がつけば、悪いヤツらの間に「双海司季」という名が恐れと共に広がっていた。

 自分でも何がしたかったのかが分からない。ただ、何の目的もなく、引きずられるように悪いほうへ悪いほうへと進んでしまった。

 同じ中学の中において、晃はもっとも光の当たるところに居り、双海は日も差さぬ最下層に居たのだ。


 その最下層から引きずり出してくれたのは晃だった。

 毎夜、街を徘徊する双海を探しては、腕を引っ張って連れ戻してくれた。そのときの双海は、そんな晃に感謝することもなく、ただ「余計なことをするな!」と怒鳴りつけるだけだった。しかし晃はめげる事もなく、何度も何度も双海を夜の街から引っ張り出した。

「ここは、お前がいるところじゃない」

「一緒に帰ろう」

「傍に……いてやるから」

 そのときもうすでに、親からも学校からも見捨てられていた自分を、晃だけは見捨てなかった。

 代表合宿の前日に、双海を探しに夜の街へとやってきたことがあった。

 そのことを知って、双海は激怒したのだ。

「大事な時に何やってんだ! オレのことなんかどうだっていいだろ!」

 晃は、ただ困ったように笑っただけだった。

 思えば、晃はいつもキツイ練習の後に、自分を探し回っていたのだ。晃はあれで成績も良かったから、双海を引っ張って帰った後に、きちんと勉強もしていたのだろう。

 大変だろうと思った。そして気付いた。自分が夜の街を徘徊したりしなければ、晃は無駄な体力を使わなくて済むのだと。

 こんな簡単なことに気付くのに、時間がかかりすぎた。

 それから、双海は夜出かけることをやめた。ケンカもやめた。自分に悪影響だと思えるものはすべてやめた。

 中三の春のことだった。晃の勧めでサッカーを本格的に始めたのも、この頃だった。

 サッカーは昔、無邪気に遊んでいた頃に晃と共にやっていたが、あの時は単なる遊びとしてやっていただけだから、基礎からみっちりと始めた。スポーツをするのに適していなかった己の体をまず鍛えた。それから馬鹿みたいにボールを蹴って……。

 晃はもうすでに忙しい身だったから、あまり双海だけに構ってはいられなかったけれど、暇を見ては双海にいろいろなアドバイスをくれた。いわば、晃は双海のサッカーの師匠とも言える。

 鍛えたおかげか、もともとボーイッシュだった外見が、ますます女から離れた。不良時代の名残りとして言葉遣いも悪かったから尚更だ。それでも晃に注意されたから、自分のことを「オレ」と言うことだけはやめることにした。

 運動神経が良かったせいか、双海はめきめきと上達していった。進路を決めるときになると、高校でもサッカーが出来る学校に行きたいと思うようになっていた。女子サッカー部はあまり多くないから、高校選びも慎重に行わなければならない。もちろん、第一志望はサッカーの名門である白鳳学園であった。

 しかし、双海は白鳳へ行くことは出来なかった。

 中二までの素行が悪すぎたおかけで、サッカー推薦が通らなかったのだ。

 結局、双海は普通に入試を受けて、蓬原高校に入学した。晃はプロクラブチームのユースに行くだとか、海外へサッカー留学するのだとか、様々な噂が流れたが、白鳳学園へサッカー推薦で入学した。

 また離れてしまった。

 無駄な時間を過ごすことをやめたおかげで縮まった晃との距離が、また離れてしまった。

 それでも以前よりは良かった。離れていても、双海と晃はサッカーでつながっていたから。


 そう……、思っていた。

 けれど高校に入って、晃は今までよりももっと高い場所へと飛んでいってしまった。いくら手を伸ばしても届かない場所へ。

 書店で晃の記事が載った雑誌を見かけると、パラパラと少しめくった後、すぐに棚へと戻してしまう。

 そこに載っているのが、本当に双海が知っている幼馴染の晃なのか、良く……分からないからだ。

 遠い。遠い。

 これほどまでに距離を感じる。そんなとき、嫌でも目に付く光景があった。

 那智玲子。

 双海が着ることが叶わなかった白鳳の制服を着て、晃の隣に寄り添う美しい少女。

 彼女は、双海が持っていないあらゆるものを持っていた。

 柔らかく波打つ長い髪、大きく愛らしい目、たおやかな雰囲気。一般的に、女らしいと言われるその外見。

 晃の隣に並ぶのにふさわしく見えた。……とても似合っていたのだ。

「どうした? 司季?」

 突然黙り込んでしまった双海を、晃が訝しげにのぞきこんでいる。

「なんでもない」

 双海はゆるゆると首を横に振った。

 嫌になる。自分にもこんなに女々しい感情があったのかと。

 今は余計なことを考えている場合ではない。次の白鳳戦まで一週間。勝つためには、あの初心者をもっと使えるように鍛えなければならない。

 今は……、そのことだけを考えていよう。



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