14 秘めた想い
「結局、初戦の方川戦と同じく、峰女戦もスコアレスドロー。この引き分けは蓬原にとって痛いわね」
那智玲子は自分自身への確認の意味を込めて、そう呟いた。
蓬原高校は後半も峰女ゴールを割ることが出来ず、試合はまたもや引き分けに終わった。
「蓬原にとって、状況は良いとは言えないね」
隣に立つ若者、水城晃が言う。
晃の言うとおりだった。
午前中に行われた方川対白鳳の試合は〇対三で白鳳が勝った。だからこれで蓬原が自力で予選突破するには、次の白鳳戦に勝利するしかなくなったのだ。もし白鳳戦も引き分けだった場合、方川対峰女の試合も引き分けでなければ、蓬原の予選突破はない。
「どうする? 次の試合、蓬原は必死で来るぞ」
「そうね。でも私たちも負けるつもりはないわ。微塵もね」
蓬原はそんなに弱くない。だが、強いのは守備だけだ。双海司季により統率された蓬原ディフェンスはまれに見る強固さを誇っている。
しかしその分厚い壁も自分たち白鳳には通用しない。去年は白鳳の攻撃を見事なまでに封じていたが、それは白鳳が蓬原という無名の学校に対してまったく警戒心を持っていなかったからだ。
今年は違う。双海という無類のDFを全国の誰よりも注視してきた。白鳳女子サッカー部は、この一年間、去年の蓬原戦のことを忘れたことなど一度もない。特に……、自分は。
そして対する蓬原は―――
玲子はそこで思考を中断した。待ち人が現れたからだ。
緑地公園の出入口ゲートを、ついさっき戦いを終えたばかりの蓬原イレブンがくぐってくる。何人かは徒歩で。残りは自転車を押しながら。
「えーと、それでは、皆さん今日はご苦労様でした。結果は残念でしたが、また明日から次の白鳳戦に向けて頑張って行きましょう。それじゃ解散!」
キャプテンらしき少女が仲間に向けてそう言うと、みんなは「ありっした!」と体育会系な挨拶を返し、三々五々、別れて行った。
自転車を押してなかった者たちはバスで帰るのだろう。玲子の待ち人――双海司季は徒歩組であった。
双海は最後までキャプテンらしき少女となにやら話しこんでいた。その間にも他の少女たちはみんなこの場を立ち去っていく。たっぷり五分ほどもその場で待っただろうか。ようやく双海はキャプテンらしき少女と別れ、玲子たちの方へとやってくる。
「司季!」
「晃? それに……那智?」
訝しげな表情。どうして玲子と晃がここにいるのか理解出来ないとでも言いたげだ。
「久しぶり。ゴールデンウィークは代表の試合で帰れなかったから……、春休み以来か?」
晃の表情が和らいでいるのが分かった。白鳳学園男子サッカー部の絶対的司令塔であり、U-17日本代表でもキャプテンを務める晃が、こんなに柔らかい表情をするということを、何人が知っているだろうか。きっと、本人だって気付いていないに違いない。
水城晃と双海司季の関係を知るものは、ごくわずかだ。玲子はその少ない中の一人であった。
――幼馴染。
それが男子サッカー希望の星と無名校のDFとの関係を表す言葉である。
晃は白鳳学園の寮住まいであるが、実家はこっちの方だという。このことは、去年晃の口から直接聞いて知っていた。
「何しに来たんだよ、晃」
「うわ、冷たい。それが久しぶりに会う幼馴染に対して言う言葉か?」
幼馴染。
たったそれだけの言葉が、晃と双海を結びつけている。同じ白鳳学園の生徒ということで、いつも一緒にいるというのに、疎外感を感じるのは自分のほうだ。
「今日の試合、素晴らしかったわ」
親しげに挨拶を交わす二人の間に割って入るように、玲子は口を開いた。
「……そうかな? つまらない試合だったと思うけど」
身も蓋もない答えだ。でも双海の言うとおり、試合全体は盛り上がりもなく、それほど面白い試合ではなかった。
「でも、蓬原のディフェンスは良いと思うよ」
晃が言う。確かに蓬原のディフェンスは素晴らしい。
峰女に攻撃らしい攻撃をさせなかった。試合中、一度もそのディフェンスが崩れることはなかった。まさに完璧の守備。
「それだけに、惜しいのは攻撃面だな」
いくら守備が素晴らしくても、サッカーというのは点を取らなければ勝てないのである。
蓬原は守備に関してはいいチームだ。双海が要となり、あらゆる攻撃を防ぐことが出来る。だが点が取れない。蓬原には得点源となるFWがいないのだ。
方川戦も今日の峰女戦も、蓬原は一点も与えていないかわりに、一点も奪えていない。まさに今の蓬原の問題点が浮き彫りになった試合だと言えるだろう。
「まさしく、おっしゃるとおりで」
双海は肩をすくめてみせた。
「ウチのFWが力不足なのは認めるよ。今は、ね」
「今は?」
双海の含みをもたせた言葉に、玲子は首を傾げた。
「そう、今は。でもそのうち、蓬原は化ける。必ず」
瞳を光らせながら、双海は断言した。口の端を引き上げ、不敵な笑みを見せる。
「ずいぶんと、自信満々なのね。根拠はあるの?」
「根拠? そりゃモチロン」
双海はそう言いながら歩き出す。晃と玲子もそれに続いた。
「ウチのFWは二人ともまだ一年だ。鍛えれば伸びる」
「……それだけ?」
根拠というには、少々弱い。玲子は納得出来ていない自分を感じた。
「アンタ、今日の試合見てたんだろ? 分からなかったか?」
分かる? 何を?
「織原っていう、ウチのFW。下手な方のFWだ」
織原というのは、味方のボールを奪っていた妙なFWのことだろう。
「アイツの力の片鱗ってヤツは、今日の試合でも見られたと思うけど?」
片鱗?
ムチャクチャなFWだという印象が強い。何しろ味方のボールを奪っていたのだ。そんなことをするFWなど、玲子は今までに見たことがない。シュートも下手だし、あのFWの良かったところと言えば……。
「あの足の速さ、かしら」
「正解」
「確かに、あの子の足の速さは認めるわ。最初に見たときは驚いたもの。だけど……」
「あのノーコンぶりと、チームプレイを無視した行動、だろ?」
玲子は頷く。とてもじゃないが、サッカー選手だとは思えない。
「だけどそれは練習すれば上手くなる。チームプレイだって、教え込めば身につくだろう。すべてはこれからなんだ、ウチのチームは」
「上手くなる、と思うの? あれだけ外しまくっていたのに」
「上手くなるさ。だってアイツは、織原は……まだ、サッカーを始めて一週間も経たない」
次の日曜日、白鳳との試合。蓬原には不利な試合だといえよう。
白鳳は守備に攻撃に、バランスの良いチームだ。しかも高いレベルでそのバランスを保つよう努力している。それに加え、蓬原には決して負けたくないという選手たちの気持ちは一つにまとまっていた。
対する蓬原は守備は素晴らしいが、攻撃に難がある。蓬原のFWは足は速いが、呆れるほどにノーコンで、チームのことを考えない動きをする。
しかし、あの足の速さと、はるか遠くまでボールを飛ばすキック力には目を見張るものがある。
もし、もしも―――
あのFWに技術と戦術理解が備わったなら。
それは……、白鳳にとって脅威だ。
玲子はゆるゆると首を振った。
確かに、そうなれば厄介なことになることは認めよう。しかし、次の試合は一週間後、今度の日曜日だ。それまでにあのFWがまともなレベルにまで成長しているとは考えづらい。やはり、蓬原が圧倒的に不利だということに変わりはないのだ。
「サッカー始めて一週間足らず……か。それで良く試合に出したな」
黙り込んだ玲子に代わるように晃が言う。
「しょうがないだろ。ウチはアンタらと違って人数ギリギリなんだからさ」
「でもいいわけ? そんなことまで教えちゃって。一応、俺ら敵だよ」
「別に。教えようが、教えまいが、変わることなんかないだろ。正直、織原については、あたしだってどうなるか分からないんだからな。ただ、ヤツの覚えが早いことは確かだ」
「この一週間でどれだけ伸びるかが、次の試合の分かれ目ってコトか」
「そういうこと。……晃、今日は実家に寄ってくのか?」
「ああ、そうするつもり。せっかくこっちまで来たんだし」
「明日、学校あるんだろ? いいのか?」
「大丈夫。寮に届けは出してあるし、こっちからだって、早く出れば間に合うし。あ、そうだ。借りてたCD持ってきた。後で返すよ」
玲子は足を止めた。
サッカーの話が終わってしまえば、自分に話すことはない。自分と晃、自分と双海をつないでいるのは、サッカーだけなのだから。
でも晃と双海、この二人は違う。サッカーだけでなく、もっと根本的なところでつながっている。こうして三人でいると、そのことを痛烈に感じずにはいられない。あの二人は、そのことに無自覚だろうけど。
「那智?」
少しだけ先に行った二人が、そろって振り向いた。突然立ち止まった玲子に「どうかしたのか?」という視線を送ってくる。
「わ、私……、もう帰るわ……」
「それじゃ、駅まで……」
「いいの、二人とも会うのは久しぶりでしょう? 一人で帰るわ」
笑ってみせる。
「……それじゃ」
踵を返して、もと来た方向へと歩いていく。自然と早足になってしまっていた。
……上手く、笑えていただろうか。目じりを下げ、口の端を上げて、自然に笑えていただろうか。
自分を、つまらない人間だと思う。
小さい頃から、何でもそつ無くこなしてきた。何をやっても平均以上の結果を残せたし、それは兄の影響で始めたサッカーでもそうだった。
気がつけば、玲子は「優等生」とか「良い子」だとか、そういった仮面をかぶっていた。別に「良い子」を演じようと思ったことなどない。しかし周囲の環境が、自分の性格が、おのずと「優等生」への道を作り上げてしまっていたのだ。
ふと我に返ると、周りから浮いている自分を感じた。
教室の中で、昨夜のテレビの話題や、先生の悪口、好きな人の話、そんなことで盛り上がっているクラスメイトたち。自分はその中に入っていけない。
「那智さんは、なんか天上人ってカンジ」
そう言われたことがある。こんなつまらない話題を、那智さんには恐れ多くて持ちかけられない、と。
玲子は激しく首を横に振って否定したかった。
自分だって、そう言うクラスメイトたちと同い年の子供なのだ。テレビだって見るし、ちょっと嫌悪感を抱いている教師だっている。それに好きな人だって……。
玲子は立ち止まって、後ろを振り返る。いつの間にか走っていたから、ちょっと息が乱れている。
振り返ってももう、晃と双海の姿は見えなかった。
それでもいいと思っていた。「優等生」の道を歩くことも、周囲から浮いてしまうことも。
ただ、彼さえ傍にいてくれれば。
しかし、そんなささやかな願いすら叶わないのだ。
彼は何も言わない。だけど彼を見てきた玲子には分かっていた。彼の心に住んでいるのは自分ではないことを。
去年の県大会で玲子に屈辱を味わわせてくれたあのDFが、彼の幼馴染だということを知ったのは、試合の直後のことだった。
「アイツ、すごいだろ」
彼はそう言って笑った。まるで自分の事のように、彼女の能力について語った。それもそのはず、彼女にサッカーを教えたのは彼なのだという。
心が痛んだ。
玲子と彼が出会う前から、彼と彼女は親しかった。たぶん、玲子が知らない彼を彼女は知っている。
自分は、きっとどう足掻いても彼を振り向かすことは出来ないのだろう。
何となく、分かっていた。でも、諦めようとは思わなかった。
彼女には負けない。
彼のことでも、そしてサッカーでも。