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12 早くもデヒュー戦


 日曜日はよく晴れた。空に浮かぶ太陽は、やけに機嫌がいいようで、必要以上に光をふりまいている。まさに五月晴れというやつだが、いささか天気が良すぎるように感じる。まだ五月だというのに、その陽気はポカポカを通り越して汗ばむくらいだ。

「あー! もう遅刻っ!」

 春らしいライトグリーンのパンツスーツに身を包んだ素子は、ただ今全力疾走中であった。

 本日は、県大会予選リーグ二試合目、蓬原(よもぎはら)高校対北峰女子高校の試合が行われる。試合会場は隣町の緑地公園内グラウンド。試合開始時間は午後一時から、そして現在午後一時十分。もうすでに試合は始まっている。

(ああっ、寝過ごすなんて! 寝過ごすなんてっ! このあたしがっ!)

 昨夜は夜遅くまで原稿をまとめていた。作業を終えたとき、外が白み始めていたから、夜遅くまで、というよりは早朝までと言ったほうが正確かもしれない。

 その後帰宅してから、素子はDVDを見た。山縣記者からもらったあのDVDである。またそのDVDを何度も繰り返して見たせいで、寝入ったときはもうすでに社会が動き出している時間だった。そして目が覚めると、もうどう足掻いても試合開始には間に合わない時間。それでもバッチリ化粧をして、この時間に着いたのだから、誉めてもらってもいいくらいだ。

(あの映像……)

 それを見て、素子は絶対にこの試合を見ておきたくなった。でなければ、こんな風に髪を振り乱して走ったりはしない。

 去年の県大会予選リーグ、蓬原高校対白鳳学園のDVD。

 試合そのものは白鳳学園が勝った。だがそれを見て、素子は那智玲子があれほどまでに蓬原を警戒する理由を知りえたのだ。

 ようやくグラウンドに到着する。やはりもう試合は始まっていた。

「やあ、素子ちゃん。遅かったね」

 膝に手を当てて息を切らす素子に、そう声がかかった。

「……山縣。やっぱり……来てたわね」

 山縣は当然来ているだろうと思った。山縣もあのビデオを見たのだ。きっと自分と同じように生で蓬原の試合を見ておきたいと思うに違いない。

「DVD……、見たみたいだね」

 思うところは山縣も同じであるらしい。まだ息が整わない素子は黙って頷いた。そして大きく息を吸って言う。

「正直、驚いたわ。こんなチームが……、というよりこんな選手が、今まで埋もれていたなんて」

「そうだね。同感だよ」

 双海司季。蓬原高校女子サッカー部のセンターバック。間違いなく那智玲子が警戒していたのは彼女だ。

 去年の蓬原対白鳳の試合。〇対一で勝ったのは白鳳だ。だが、白鳳は内容で負けていた。当時の蓬原のサイドバックがペナルティエリア内でファールを犯し、それによるPKでの一点。白鳳が奪うことが出来た点は、それだけだ。

 あとは完全に蓬原の守備陣に封じ込まれていた。そしてその蓬原守備陣の要ともいえる選手が、まだ一年生だった双海司季だ。

 白鳳の選手は誰一人として彼女を抜くことが出来なかった。そう、那智玲子ですら。

 あらゆるボールをカットされ、チャンスを潰され、白鳳は自分たちのサッカーというものをまったくさせてもらえなかった。全国優勝のチームが、である。

「背が高くて基本的な身体能力に優れてる。でもそれだけじゃなくて、テクニックもかなりのものを持ってるわ。そして、ディフェンス陣を指揮するその統率力……。惚れ惚れするくらいね」

「ファンになったか?」

「それはあんたも……でしょ?」

 山縣は答えず、ただ笑った。でもそれが肯定を示していることは明らかである。

「試合のほうはどう?」

 もう前半も半分を過ぎている。スコアは〇対〇。まだ動きはないようだ。

「うん、DVDの白鳳戦とそう変わらない内容だな。峰女が攻める。そのボールを蓬原が奪ってカウンター。そんで蓬原のFWがシュートを豪快に外す……。これの繰り返し。峰女に白鳳ほどの力がないせいか、あんまり盛り上がらない試合だねぇ」

 ピッチ上では、また蓬原がボールを奪っていた。

「でも、あのFWはちょっと面白い選手だね」

「FW? 蓬原の?」

「うん、見てごらんよ」

 山縣が指を差す。蓬原の前線、ギリギリオフサイドにならない位置にいる選手を。

 蓬原のDFが後方から大きくボールを出す。その様子を、あのFWは体全体を後ろに向けて見ている。

「カウンター狙い? でもそれならもう走り出してないと……」

 ボールが出されるのを見てから走り出したのでは遅い。相手DFに走り出すコースをふさがれてしまうからだ。相手を抜くには、もうすでに走り出す体勢になければならない。そして背後で味方がボールを蹴り出すタイミングを計って、飛び出すのだ。

「ところが」

 人の悪そうな笑みを山縣が見せた。

 蓬原のFWが走り出す。味方DFがボールを大きく蹴り出すのをきっちり確認してから。体を反転させて。

「え?」

 蓬原FWは、あっという間に相手DFを抜き去った。

「どうして? 走り出すタイミングはどう見ても遅いのに」

「簡単な話さ。あのFWは足が速い」

 速いと言ったって限度があるだろう。あのFWはボールが出される直後まで、進むべき方向に背を向けて完全に止まった状態にあったのだ。それが、体の向きを変えて走り出したかと思ったら、もうDFを置き去りにしてゴール前に飛び出している。

「おそろしいまでのダッシュ力だ。全盛期のロナウド並みだね」

 全盛期のロナウドは大げさにしても、女子にあるまじきスピードだと言えよう。

「ただ、惜しむらくは……」

 蓬原のFWがシュートを放つ。完全に相手GKと一対一だ。

「あのFW、恐ろしいまでにノーコンなんだよな」

 FWの足を離れたボールは、クロスバーのはるか上を通り越していった。

「ゴール前につめて、キーパーと一対一だったのに、あの状態で外すかな」

 山縣が盛大にため息をついた。

「あぁ、そうそう」

 懐から出した煙草を一本口にくわえたところで、山縣は何かを思い出したかのように口を開いた。そして煙草の先端を上下に揺らしながら言う。

「もうひとつ、面白いコト」

 このライバル記者特有の、何かを企んでいるように見える笑み。

「何よ?」

「ピッチの向こう側見てごらん」

「向こう側?」

 素子は目の上に掌をかざして目を凝らす。向こう側でも幾人かが素子たちと同じように試合を観戦している。その中に白と黒のジャージを着た男女の姿が見えた。

「あれは……!」

 あのジャージには見覚えがある。あれは確か、白鳳学園サッカー部のジャージだ。そのジャージに身を包んだ男女。

 遠目なので良くは見えないが、それでも素子には分かった。あの二人は――

「那智玲子と水城晃!」

「正解」

「そんな、白鳳だって今日は試合でしょ?」

「そう、午前中ね。もう終わってるよ」

 それでもこの試合を見るためには、だいぶ急がなければ無理だ。試合会場はここではないのだから。つまり、それほどまでにあの二人もこの試合を見たかったということなのだろう。

「やっぱり蓬原は要注意ってことなんだろうな」

 山縣はそう言うと煙を吐き出した。




「ぅお~のれ~! こんなはずでは……!」

 遠くゴールの向こう側へと飛んで行ったボールを見送りながら、彼方は唸った。その背後から、前半の終了を告げるホイッスルが聞こえる。

 こんなはずではなかった。城野キャプテンの戦術はピタリとハマり、カウンターは面白いように稼動していた。それなのに、未だにスコアは〇対〇。

 決定的チャンスは何度もあった。峰女のDFはまったく彼方の足についてこれず、必ずと言っていいほどに彼方はゴール前でフリーになることが出来た。それなのに、嗚呼それなのに。

 おかしい。どうやってもゴール内にボールが飛ばない。きっとあのゴールにはボールが入らないように呪いがかけられているに違いない。

 そんなことをブツブツ呟きながらベンチに引き上げる。

「コラ」

 後頭部に軽い衝撃を感じて振り向くと、双海が彼方にチョップを食らわせていた。

「お前は力みすぎなんだよ。だからボールがあさっての方向に飛んで行くんだ。もっと力を抜いて丁寧に撃て」

「それは分かってるけどさぁ……」

 分かっているからといって、それが出来るかといえば、それは必ずしもそうではなくて。

「慌てなくても、向こうはお前に追いつけない。落ち着けよ、緊張してるのは分かるけど」

「き、緊張なんかしてない!」

「どうだか」

 言い捨てて双海は水入りのペットボトルを呷る。

 本当は、緊張していないと言えばウソになる。何しろ人生で初めてのサッカーの試合なのだ。しかも初心者であるにも関わらず、みんなは自分に点を取る役目を預けてくれた。その期待に応えたいという気持ちはある。それ以上に、失態を重ねて「ああ、やっぱり初心者だし……」みたいな目で見られるのが堪らなくイヤだったのだ。

「キャプテン、後半からは少し戦術を変えて行こうと思うんだけど」

 双海が城野キャプテンへ話しかける。

「そうね、このままじゃ勝てないわ」

「カウンター、やめるんですか?」

 質問をしたのは荻野。

「いや、カウンターは形としては上手く行ってたわ。上手く行ってるものを変えることはないでしょう?」

「じゃあ……」

 続きを答えたのは双海だ。

「後半は織原じゃなくて、杉田にボールを集める。いいな、杉田」

「は、はい」

 蓬原のFWは彼方一人ではない。もう一人、杉田がいる。前半は彼方の足の速さに賭けていた蓬原イレブンであったが、それもシュートが決まらなければ意味がない。だから双海は、彼方に頼るのをやめ、杉田を使っていくことを決めたのであろう。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 彼方は声を荒げた。双海の言うことは、「お前は使えない」というふうに聞こえたから。

「あたし、まだやれるよ! 後半は絶対に決めてみせるから!」

「駄目だ」

 しかし双海の言葉は冷たい。

「勝つために、より点が入る可能性が高い方法を取る。これは当たり前のことだ」

「でも……!」

「お前はただ、前半と同じように走っていればいい」

「走る……?」

「そうだ。それ以上は望まねぇよ。今のお前なら、それだけ出来りゃ充分だ」

 なにそれ。彼方は心の中で歯噛みした。まるで走るだけしか能がないみたいじゃないか。

 昨日まで、ずっとずっと練習が終わっても居残ってシュート練習をしていた。「十本中、五本は枠内に入るようになれ」という双海の言葉に従って、それなりに頑張ったつもりだ。それなのに、結局は走ることしかやれることがないって言うのか。

(ちくしょう――)

 彼方は双海をにらみつけた。もう彼方には目もくれず、DF陣に指示を与えている双海は、その鋭い視線にまったく気付くことはなかったけれど。



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