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11 要注意人物


「あ!」

 鎌田(かまた)素子(もとこ)は、思いかげない場所で、思いがけない人物と顔を合わせ、思わず調子の外れた声を出してしまった。それは相手も同じだったようで、素子に負けず劣らず間抜けた声を出していた。

 素子はすぐに眉をしかめて、相手を見据える。

「あ~ら、これはこれは、『月刊サッカーズーム』の山縣(やまがた)さんじゃあ~りませんか」

「そういうアナタは、『月刊フィールド・オン』の素子ちゃんじゃない」

『何で、こんなところにいるの?』

 疑問に思うことは二人とも同じようで、問いかける声が見事なまでに重なった。言ってしまってから、ちょっとした気まずさに微妙な空気が流れる。

「……ま、俺は取材だ」

 まず答えたのは、月刊サッカーズームの山縣記者。

「取材?」

 怪しい。あからさまに怪しい。素子は眉根に寄せる皺を増やして、山縣を睨んだ。

「こんなところに取材? 別にここは強豪校でもなんでもないわよ」

「まあ、そうなんだけどね。ちょっと興味が湧いたものだからさ」

「興味?」

 一瞬だけ、鼓動が強まった。素子がここへやって来た理由も「ちょっと興味が湧いたから」というものであったから。

「そういう素子ちゃんはどうしてここに?」

「う。べ、別にいいじゃない。あなたには関係ないでしょ」

「うわ、ひでぇ。俺はちゃんと教えたのになー」

「『ちょっとした興味』なんて答え、教えてもらったうちに入りません」

「じゃあさ、ちゃんと教えるから、素子ちゃんも教えてよ」

「何で教えなきゃならないワケ?」

「いいじゃん、理由ぐらい」

 素子と山縣は自他共に認めるライバルであった。どうしてかは分からないが、書く記事の内容も、取材のネタも、決して真似ているわけではないのに、カブってしまうのだ。

 まあつまりは感性が似ているということなのだろうが、これが素子には面白くない。頭をひねって書き出した記事や、足の裏の皮がズル剥けになるくらいに歩き回っておこなった取材の内容が、いつもいつも面白いようにカブってしまう。また似たような記事が載っているにも関わらず、どうしてか素子の「フィールド・オン」よりも山縣の「サッカーズーム」の方が売り上げがいい。それがまた素子の癇に障る。

 今度ばかりはカブらないと思ったのに!

 素子は内心、地団駄を踏んでいた。

 まあ、この取材はおこなったからといって、必ずしも記事になるとは限らない。むしろ、記事にならない可能性のほうが高いであろう。それでも興味をそそられた。ここへやってきたのは、半分以上、己の好奇心を満たすためだと言っていい。

 今、素子がいるのは、蓬原(よもぎはら)高校という公立校である。

 学業に優れているわけでも、強い運動部があるわけでもない。めずらしい行事があるわけでもないし、素行が悪くて有名だというわけでもない。取り立ててなんの特徴もない、ごくごくありふれた学校だった。

 こんな平和すぎるほどに平和な学校に、興味を持つキッカケを作ったのは、那智玲子という女子サッカー選手だった。

 那智玲子はサッカーの名門、白鳳学園の二年生で、もはや白鳳には欠かせない司令塔である。レギュラー争いが激しい白鳳学園女子サッカー部において、彼女は一年生の時からレギュラーを、しかもチームの要とも言うべき司令塔の座を揺るぎないものとしていた。もはや那智玲子は白鳳だけではなく、日本の女子サッカー界には必要不可欠な存在だと言えよう。近いうちに日本代表入りするのではという噂も絶えない。

 素子はつい数日前、この那智玲子にインタビューをした。こんどの「フィールド・オン」に載せるための取材の一環だった。取材は滞りなく終わり、記事の草稿も出来ている。この取材そのものには何の問題もなかった。

 ただ、インタビューの中で、ひとつ気になったことがある。それがこの蓬原高校の存在だ。

 那智玲子は、異様なまでにこの蓬原高校を警戒していた。何故かは分からない。

 白鳳学園は昨年の全国大会優勝チームである。去年だけではない、一昨年こそ優勝は逃したが準優勝であったし、その前の年とその前の前の年は優勝を飾っている。

 かたや、蓬原高校はまったくの無名チーム。去年も一昨年も一昨々年も、ずっとずーっと県大会予選リーグ落ちである。素子は那智玲子の口からその名前を聞くまで、まったく存在すら知らなかった学校なのである。

(いわゆる、弱小校ってヤツよね。それをどうして……)

 疑問は解けない。未だ県大会の決勝トーナメントに進んだこともない公立高校を、全国から優秀な選手を集めている優勝常連校が気にかける理由が分からない。

 素子は、その謎を解き明かしたいと思ったのだ。

 それが、どうして……。

 山縣の忌々しい顔を張り倒してやりたくなってくる。

 蓬原なんていう無名の学校、気にかけているライターは自分ひとりだと思っていた。さすがに今度ばかりは山縣とネタがカブることはないという自信があったのに……。

「素子ちゃん、『サカズム』の今月号は読んでくれた?」

「まあ、一応ね。水城晃の特集でしょ?」

 ネタカブりを一番気にかけている素子は、山縣の記事には必ず目を通すようにしている。今月号の山縣の記事は将来有望な高校生、水城晃を取り上げたものだった。

 水城晃も那智玲子と同じく白鳳学園の二年生である。中学生の頃からその才能は注目を集め、高校ではプロサッカーチームのユースへ行くのではないかと思われていたが、周囲の予想を裏切り彼はサッカーの名門白鳳学園へと進んだ。彼もまた女子以上にレギュラー争いが激しいサッカー部において、一年から司令塔を勤めている。また各年代の代表にも選ばれ続け、最近ではずっと代表のキャプテンを任されるようになっていた。高校を出たらまず間違いなくプロの道へと進むであろうし、さらに海外へも進出していくであろう逸材だという話だ。

「その水城くんにね、インタビューしたんだけどさ、その時彼がやけにこの学校のことを気にかけてたんだよね。それで気になってさあ」

「え? インタビューは読ませてもらったけど、そんなこと一言も書いてなかったじゃない」

「当たり前じゃん。記事の内容に関係ない女子チームの話だもん。カットしたよ。だから、蓬原のこと知ってるのは俺だけだと思ってたんだけどなあ」

 それはこっちの台詞だ。素子は山縣に聞こえないように舌打ちをした。

 しかしどういうことだろうか。

 那智玲子だけでなく、水城晃まで。この蓬原高校女子サッカー部に何があるというのだろう。ますます好奇心が掻きたてられていく。

「双海司季って知ってる?」

 唐突に山縣が聞いてきた。知らない名だ。正直にその旨を伝える。

「あの子だよ。ほら、あの背の高い、ちょっと男の子みたいな……」

 山縣が指差す方向を見やる。フェンスの向こうのグラウンドでは、蓬原女子サッカー部が練習をしていた。山縣が指差したのは、その中でもひときわ目立つ少女であった。

「あれ……、女の子?」

「……うんまあ、気持ちは分かる」

 女子にしては背が高い。それに一見すると少女というより美少年といったふうに見える。

「何か、目立つ子ね」

「そうだね。なんていうのかな、まとっているオーラが強烈っていうか、独特っていうか……」

 その言葉に素子は頷く。確かにその存在は、このグラウンドの中でも浮き出て見えるようであった。まとう雰囲気が、焼き付ける印象が、一線を画している。彼女だけが、この平和な学校の中で異質であるように見えた。

 同じような感覚を抱いた人に、最近会ったばかりだ。

 那智玲子。

 あの少女もそうだ。ある特定の人物しか持ち得ない強いオーラ。より高い場所に手を伸ばし、そこに届いた者だけが持ちうるものだ。その苛烈なまでの存在感に、誰しもが振り向かずにはいられない。

 世界で活躍するようなトップアスリートから感じるそれを、あの少年のような少女からも感じる。

「間違いなく、あの子がこのチームの要だね」

「そうね……。那智玲子が言っていたのも、ひょっとしたらあの子のこと……?」

「何? 那智玲子がって?」

 しまった。口に出てしまっていた。

「あ、いや、別にっ! 何でもないのよ」

「ふーん、まあ別にいいけど」

 あ、そうそう。と山縣が肩からかけていた大きなカバンをごそごそ漁る。

「素子ちゃんに良いものあげるよ」

「いいもの?」

「うん、そう。コレ」

 取り出したのは、一枚のDVD。

「こないだ、白鳳の女子部にかけあってダビングさせてもらったんだ。俺はもう見たから、素子ちゃんにあげるよ」

「何? 気持ち悪いわね。何をたくらんでいるの?」

「やだなあ、人聞きの悪い。面白い映像だったから見せてあげようと思ったのに。別にこれは記事になるわけでもないし、何もたくらんだりしてないよ」

「どうかしら……」

 不審に思いつつも、素子はそのDVDを受け取った。何だかんだいっても、その内容には興味ある。

「で、何なのこのDVD」

「去年の県大会予選リーグ。白鳳対蓬原のビデオ」

「蓬原の……?」

 素子は山縣の顔を見上げた。彼の視線はフェンスの向こうに向けられている。

「そう、それ見たらますます蓬原に興味が湧くと思うよ。俺みたいにね……」

 意味深に笑う山縣。素子は透明な薄いケースに収まったDVDへ視線を落とす。

 いったい、このDVDに何が映っているのだろうか。

「このアホーッ!」

 グラウンドから怒鳴り声がした。怒鳴ったのはあの双海とかいう少女のようだ。

「だからそれじゃオフサイドになるっつうの! 何回言えば分かるんだ!」

「だからオフサイドって何よ!」

「それぐらいルールブック読め! 貸してやっただろ?」

「あんな細かい字の本、読んだら三秒で寝る!」

「威張るな!」

 ……本当に、あの白鳳が警戒しているチームなんだろうか。




「だからオフサイドっつーのは、お前の足りない頭でも分かるように一言で言うとだな、『待ち伏せ禁止法』だ」

「待ち伏せ禁止?」

 彼方は首をひねった。

 とにかくサッカーというやつは、専門用語が多くて困る。特に分からないのがこの「オフサイド」というやつだ。名称だけはよく聞くものの、意味はサッパリ分からない。

 双海がイライラしたようすで説明を始める。

「ゴール前にFWが待ち伏せでもしてみろ。ポコポコ点が入って、そりゃあつまらない試合になることだろうよ」

「点が入れば面白くなるんじゃないの?」

「バーカ、点の入り方ってもんがあるんだよ。そんなセコイ方法で点入れたって、見てるほうも、やってるほうもアホらしくてやってらんなくなる」

「そういうもんかなあ」

「そういうもんだ。だから『オフサイド』ってのは、それを禁止するルールなわけ。……小泉! エリカ先輩!」

 双海がりな子とエリカを呼んだ。近寄ってきた二人に指示を出し、エリカはキーパーの定位置、ゴール前に。りな子は彼方の少し前、彼方とエリカのちょうど中間あたりに立った。ゴールに近い順から、エリカ、りな子、彼方と並んだことになる。

「小泉が敵のDFで、エリカ先輩が敵のGKだと思って聞け。この状態であたしがお前にパスを出すとするだろ?」

 言いながら双海が軽くボールを蹴る。

「このパスを出した瞬間に、パスを受けるヤツと相手ゴールとの間に相手チームの選手が二人以上いなきゃ駄目だってことだ。つまり今の状態ならオフサイドにはならないわけ。お前とゴールの間に相手チームの選手が二人、この場合は小泉とエリカ先輩がいるからだ」


 続いて双海はりな子に何事かを告げる。指示を受けたりな子は、彼方の少し後ろの位置に立った。今度はゴールから近い順に、エリカ、彼方、りな子、となる。

「この状態で、あたしがお前にパスを出したとする。パスを出した瞬間に、お前とゴールとの間には敵のGK、エリカ先輩しかいない。これがオフサイドだ。つまり、ラストパスを出した時、相手チームの選手とゴール前で一対一になっちゃ駄目だってことだ。コレはあくまでもパスを出した瞬間の話だからな。パスが出ちまえば、あとは好きにゴール前に飛び出してもいい。いくらでも一対一になって良し、だ。分かったか?」

「まあ、なんとなく」

「……お前にしちゃ、上出来だ」

 渋々といった表情で双海は頷いた。


「そろそろ休憩にしましょ。キリもいいことだし」

 こちらの話がひととおり終わったのを見越し、城野キャプテンがパンパンと手を叩きながら言った。

 今日は練習が始まってからずっと、オフサイドの説明を受けていた。しかしこれが、一度教えてもらったくらいでは理解できない。

 最初、彼方にオフサイドの説明をしていたのは城野キャプテンだったのだが、何度聞いても疑問符を飛ばすだけである彼方を見て、「ま、まあ、オフサイドはサッカーのルールの中でも一番説明しづらいものだしね……」と冷や汗を流していた。そんなキャプテンに……というより、一向に理解を示さない彼方に業を煮やした双海が説明係を交代し、現在に至るのである。

 城野キャプテンの教え方は丁寧で優しいのだが、双海は容赦ない。とにかく言葉が乱暴だし、ときどき手も飛んでくる。そのかいあってか、彼方もようやくオフサイドというものを理解できつつあった。


「あーあ、面倒くさいなサッカーって。ただボール蹴ってりゃいいのかと思ってた」

 水道へと歩きながら彼方はそうボヤく。とにかく頭から水をかぶりたい気分だった。

「そうね。サッカーって見てるよりはるかに大変なスポーツかもね。ずーっと走りっぱなしだし、頭の方も常に回転させてなきゃならないし」

 隣に並んで歩くりな子が言った。

 りな子の言うとおりだった。

 彼方はサッカーと言えば、ただボールを蹴って、ピッチ上をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているだけのスポーツだと思っていたのだ。

 実際には、フォーメーションや戦術などがあって、選手たちはそれに沿って動いているのである。

 彼方は初心者の常として、いつもボールばかりを見てしまうし、ついついボールが転がる方向へと走ってしまう。しかし双海や城野キャプテンが言うには、ボールだけではなく、ピッチ上のあらゆるところに目を配り、いろいろな情報を吸収しながら、状況を素早く判断しなければならないのだそうだ。

 どこに誰がいて、どういうふうにボールを動かせば、相手ゴールに叩き込めるのか。味方の動きを予想してボールを蹴り、敵の動きを読んで、その裏をかく。そう考えればサッカーは、将棋やチェスなどに似ているかもしれない。違うのは、自らも駒のひとつとなって動かなければならないということと、ピッチ上にはマス目がないということだ。さらに言うなら味方といえども必ず自分の思うとおりに動いてくれるとは限らないし、長考は許されない。どうボールを運ぼうか、それをゆっくり考えていたりしたら、すぐに敵にボールを奪われてしまう。

 彼方は双海や城野キャプテンの言うことすべてを理解したわけではない。それでも「何だかややこしくて大変」ということは分かった。

「でも、頑張って。キャプテンはもちろん、双海先輩だって彼方ちゃんには期待してるんだから」

「双海がぁ~? ありえないって。アレはあたしをしごいて楽しんでるだけだね、絶対」

「そんなことないよ。彼方ちゃん、すごく覚えが早いもの。……ルール以外は」

 なんだか引っかかる言い方だが。これは誉めているのだと思っておこう。そうとでも考えなければ、走りっぱなしのキツイ練習に耐えられそうもない。彼方は基本的に体を動かすことは好きだが、それにも限度というものがある。

 まあ、これだけ汗をかけば、ダイエットにはちょうどいいかも。そう己をなぐさめてみた。



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