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第4話 癒しは心に、真実は足元に


……じゃあ、これが三本目。“癒しの雫”の、最後の検証分です」


「ありがとう、真奈。あなたのおかげで、朝から少し楽になった気がするわ」


神殿の私室。ルシアは静かに微笑んで、真奈が差し出した小瓶を受け取った。

色味、匂い、触れたときの感覚――これまでと変わらず安定した仕上がりだった。


「三回とも同じ品質で、体に負担もないって……自分でも、ちょっと感動してます」


「ふふ、錬金術師として、一歩前進ね」


そう言ってルシアが笑う顔は、数日前よりも少しだけ血色がよくなっている。

その変化に、真奈の胸がふわっとあたたかくなった。


(あれから毎日、ちゃんと飲んでくれてたんだ……)


「実はね、次の祈りの儀に、あなたにも同行してもらおうと思ってるの」


「えっ……わ、私が……ですか?」


「ええ。“補佐”というにはまだ軽いけれど、癒しの薬を作れるあなたなら、私のそばにいてくれるだけで、少し心強いの」


ルシアは真奈の手をそっと握った。


「もし辛くなったら、すぐ離れてもいいの。けれど……神獣の祈りは、あなたが“この国でできること”を知る大事な機会になると思う」


真奈は少しだけ迷ったあと、うなずいた。


「……はい、やってみます」


 


◆ ◆ ◆


 


翌日、神殿裏手の馬車乗り場には、神獣の祭壇へ向かう小さな一行が集まっていた。


「真奈さん、こっちこっち!」


ルシアの護衛騎士、カタリナがにこやかに手を振る。

紅色の巻き髪と快活な笑顔が印象的な、凛々しい女性騎士だ。


「えっと……よろしくお願いします!」


「緊張しすぎなくて大丈夫だよ。ほら、あっちにはレオンもいるし」


そう言われて振り返ると、レオンはいつも通り無表情で馬具の点検をしていたが、ちらりと真奈を見て小さくうなずいた。


「よく来たな。……支度は万全か?」


「は、はい! 癒しの雫、ちゃんと持ってきました!」


「それなら安心だ」


レオンの短い返事にちょっとだけ心が落ち着いた。


(補佐って言っても、私にできること……本当にあるのかな)


それでも今は、見届けよう。

自分が“なぜ呼ばれたのか”――その答えが、きっとこの先にあるはずだから。


 


◆ ◆ ◆


 


祭壇は、神殿から馬車で半日ほどの距離にある地下神域。

石造りの回廊を進むごとに、空気がぴんと張り詰め、魔力が肌にざらりとまとわりつくような感覚が強くなっていく。


そして――扉の先、静謐な空間にその姿はあった。


「……あれが……」


真奈は言葉を失った。


白銀の鬣をなびかせ、光の膜をまとったような獅子――

神獣、ファル=ティナ。


その身体は透き通るように輝き、呼吸のたびにほのかな金光が漏れている。

だが、どこか苦しげに目を伏せ、地に伏しているその姿には、威厳よりも“弱り切った生気の薄さ”を感じさせた。


(こんなに……綺麗で、でも、つらそうで……)


ルシアはそっと神獣に近づき、両膝をついて祈りの構えをとる。

その瞬間、空気がびりびりと震えた。


神獣から漏れ出す光の魔力が、ルシアの身体に流れ込んでいく。

それを包み、押し戻すように、彼女は全身から祈りの魔力を注いでいた。


「っ、く……!」


苦悶の息が漏れ、額には玉の汗が浮かぶ。


(こんなに、負担が……)


真奈は後ろで見ているだけだったが、肌に突き刺すような魔力の余波で、足がすくみそうになるのを感じていた。


「癒しの雫を……」


慌てて取り出した小瓶を、ルシアに渡そうとしたとき――


「ダメだ、今は飲ませられない」


「えっ……?」


「魔力干渉が最大になってる時間帯は、外部からの薬効も届かない。

終わった直後の“魔力の反動”を狙って、飲ませるんだ」


レオンの低い声が、真奈の耳元で静かに響いた。


「じゃあ……何もできない、って……?」


「今は、見て、感じておけ。それが、今できることだ」


 


◆ ◆ ◆


 


祈りが終わると同時に、ルシアはその場に崩れるように倒れ込んだ。


「ルシア様!」


真奈は駆け寄り、小瓶の栓を抜いて慎重に薬を飲ませる。

ほどなくして、ルシアの呼吸が落ち着き、頬にかすかな色が戻ってきた。


「……ありがとう、真奈さん」


彼女はかすかに笑ってそう言ったけれど、真奈の手には震えが残っていた。


(“癒す”って……こんなにも、命を削ることなんだ)


翌日から、真奈は調合室にこもった。


「……この素材の組み合わせ、さっきウィンドウが少しだけ反応してた。もしかして……?」


真奈は慎重に、星灯草の精油に加え、新たに調達された“白金苔”と“夢眠樹の樹液”を調合器に加える。

普段なら癒し系としては使わない素材――けれどスキルウィンドウは、淡くきらめいていた。


 


《錬金術:癒し+再生 組成開始》


《合成候補:翠命の雫》

《効果:生命再生/魔力循環促進/光属性適応》


「……出た……!」


ウィンドウがいつもと違う色で輝き、小瓶の中に現れたのは、透明に近い淡緑の液体だった。

光にかざすと、まるで草原の朝露のように優しく光る。


「“翠命の雫”……これなら、もしかして――」


そのとき。


真奈が「翠命の雫」の完成に安堵したその瞬間――


――ふわり、と。


隣の調合器に置いたまま忘れていた瓶が、かすかに紫がかった光を放った。


「え……?」


思わずそちらに視線を移すと、スキルウィンドウが新たに立ち上がる。


思わず見つめると、もう一つの瓶の中で、淡く煌めく液体が静かに揺れていた。

それは翠命のしずくとは違い、透明に近い銀紫色で、ほんのわずかに甘く、花のような香りが漂っている。


ウィンドウが表示される。


《副生成物を確認》

《生成物名:真実の雫》

《カテゴリ:感情拡張型媚薬(高純度)》

《効果:服用者の心情を高揚させ、潜在感情を顕在化させる》


 


「……う、うそでしょ……!?」


真奈は顔を赤く染めたまま、瓶を思わず両手で抱える。


(なんでまた出たの!? 媚薬って……この“翠命のしずく”の副産物!? しかも“真実の雫”ってなに!?)


香りはどこか儚く、でも濃密な甘さを含んでいて、たった一滴で周囲の空気まで変えてしまいそうな気配を持っている。


(どうしよう、こんなもの……またうっかり落としたりしたら……)


脳裏に浮かぶのは、うっかり床に瓶を転がして、レオンと微妙な空気になったあのときの記憶。


「ま、まずは封印! 封印! ……この子は、絶対ふた開けちゃダメ……!!」


慌てて瓶に栓をし、二重に包んだ布でぐるぐる巻きにする。

それでもなお、ふわっと香りが漏れ出しそうな気がして、真奈は戸棚の一番奥に隠すようにしまい込んだ。


「なんで毎回“おまけ”ついてくるの……スキルさん、もしかして悪ノリしてない……?」


とぼけた声で独り言を呟きながらも、心臓はどくどくと高鳴っていた。


(……でも、“真実の雫”って、もしかして……飲んだら、心の奥の気持ちが……?)


脳裏に、一瞬だけレオンの無表情――そして、時折見せるやさしい眼差しがよぎった。


「いやいやいやいや、ないないないない!! ぜったい使わない!! ……たぶん!!」


調合室の片隅で、真奈の顔が真っ赤に染まっていく。


その夜、彼女はいつもより遅くまで、調合室の戸棚を何度も確認しては、きゅっと引き出しを閉じ直すのだった。



地下神域の祭壇。

静寂のなか、再び神獣ファル=ティナとの対面が始まる。


銀白のたてがみをたなびかせた巨大な獅子は、前より少しだけ力強く見えた。けれど、まだその身体には疲弊の色が濃い。


「祈り、始めます……」


そう呟いたルシアは、真奈の隣に立ち、神獣の前へ進み出た。


祈りの儀式が始まると、再びあの空気が変わる。魔力が空間を満たし、光の波が神獣とルシアの間を行き来する。


(やっぱり……これは、想像以上の負担だ)


真奈は見守ることしかできなかった。

神獣の魔力を受け止め、祈りをもって浄化し返す。

その過程で、ルシアの体からは刻一刻と魔力が削られていくのがわかった。


そして――


「……う、くっ……!」


祈りが終わる直前、ルシアの膝が崩れ落ちた。


「ルシア様っ!」


真奈は駆け寄り、すぐに懐から「癒しの雫」の小瓶を取り出す。

慎重にその口元に運ぶと、ルシアはかすかにまぶたを開き、小さくうなずいて飲み干した。


数秒後――呼吸が落ち着き、肌の色もほんのりと赤みを取り戻す。


「ありがとう……真奈さん。……でも、今日は……もうひとつ、あるのよね?」


「はい。これが……“翠命の雫”です」


真奈は、両手でそっと淡い緑色の液体が揺れる小瓶を渡す。

それは“使用者:ルシア”“対象:神獣”――スキルが導いた、特別な条件を持つ再生薬だった。


ルシアはそれを両手に包み、大きく息を吸うと、再び神獣の前に進んだ。


「……ファル=ティナ。あなたに、この雫を贈るわ。私たちの祈りが、届きますように」


彼女が神獣の額にそっと小瓶を傾け、翠命の雫が一滴、黄金のたてがみに落ちた瞬間――


神域に、風が舞った。


神獣の身体がふわりと淡光を放ち、毛並みが目に見えて艶を取り戻す。

尾がわずかに揺れ、伏せていた体をゆっくりと持ち上げた。


「……動いた……!」


真奈が思わず声を上げた。

その瞬間、神獣ファル=ティナは真奈のほうを見て、瞳を細めた。


光の奥に、ほんのわずかにやさしさが宿る――そんな気がした。


「……成功、した……?」


「ええ。あなたの“癒し”は、ちゃんと神獣に届いたわ」


ルシアは微笑みながら言ったが、その額にはなお汗がにじんでいた。


真奈は、そっと手を伸ばしてその手を支える。


(“癒す”って、魔力だけじゃない。……こうして隣にいることも、きっと、力になる)


まだ完全ではない。でも確かに、神獣は回復に向かっていた。


“翠命の雫”は、ただの薬ではない。

誰かの“祈り”と“想い”が宿った、命の再生そのものだった。




カタリナ視点

カタリナはその奇跡を、呆然と見つめていた。


神獣ファル=ティナの巨躯から、ふわりと柔らかな光が立ちのぼる。

それはまるで、長い眠りから目覚めた命が、静かに鼓動を取り戻す瞬間だった。


白銀のたてがみが風に揺れ、潤んだ瞳がわずかに瞬く。


たった一滴の、異界の少女が差し出した“翠命の雫”――


それが、誰も届かなかった神獣の深奥に、確かに作用したのだ。


(これは……本当に……)


カタリナは息を呑んだ。

何度も繰り返された祈りでも届かなかった、神の獣の苦悶。

それが今、たった一滴で、癒え始めている。


神域に立ち込めていた、沈黙の重みがふわりとほどけていく。


(……奇跡だ)


そしてその奇跡を起こしたのは、あの少女――


(錬金術師、真奈)



希望を呼ぶのに、まさに相応しい奇跡だった


重く沈んでいた神域に、ようやく風が通ったようだった。

神獣ファル=ティナの金の瞳が穏やかに細められ、かすかな息が静かに漏れる。


カタリナは思わず胸の前で手を組み、祈るようにその光景を見つめていた。


(これで……ルシア様が、少しでも楽になれる)


そしてあの少女――真奈。

あの小さな背に、どれほどのものが託されているのか。

彼女の差し出した一滴は、たしかに世界の“深いところ”に届いたのだ。


(……あの子、すごいわ)


そう呟こうとした瞬間だった。


「ん? なんだこれ……足が……ぬる……?」


――バキンッ、と控えの台の横で何かが砕ける音がした。


「え……?」


振り返ると、レオンが足元でうっすら銀紫色に光る液体を踏みつけたまま、じっと固まっていた。


「それ……っ!」


真奈が真っ青な顔で飛び出してきた。


「わ、わわわたしの、誤って出ちゃった副産物、で……それ、えっと、“真実の雫”っていって、ちょっと、あの、感情が出る系の……!」


「感情……?」

カタリナは眉をひそめた。何か変な空気を感じる。


レオンがじっと真奈を見つめていた。……いや、見つめすぎている


「……真奈」


「は、はいっ!」


「お前って……かわいいよな」


「………………はい?????」


「いや、なんかこう……健気に頑張ってて、手先は不器用だけど一生懸命で、慌てると耳まで真っ赤になるとことか、ちょっと目を見てると俺が落ち着かなくなるとことか、なんか……うん、可愛い。好ましく思ってる」


「…………っ!?!?!?」


真奈の顔が瞬時にトマト化するのを、カタリナはすでに傍観していた。

あまりにも見事な赤面に、どこか感動すら覚える。


(……なるほど、これが噂の……媚薬系……!)


だが、レオン本人は至って真顔のまま。


「ちょ、ちょっと、レオン!? あんた何言って――」


「俺も、言ってるそばから自分でびっくりしてる……止まらない……」


苦悶の表情で頭を抱えるレオンに、真奈はバタバタと手を振りながら後ずさった。


「ご、ごごごめんなさい! 封印してたのに、まさか……割れてたなんて! しかもレオンさんにぃぃ!」


「落ち着け、俺が一番驚いてるんだ……っ」


神聖な空間に似つかわしくない騒ぎを、カタリナは遠巻きに眺めながら小さくため息をついた。


「……真奈ちゃん、やっぱりただ者じゃないわね」


ファル=ティナが、静かにふにゃあと瞬きした。


(癒しって……奥が深いわね)




真奈視点


ファル=ティナの呼吸が静かに整い、空気がようやく落ち着きを取り戻した――はずだった。


「……ん? ぬる……?」


そんな不吉なつぶやきの直後、パキンと小さなガラスが砕ける音が響いた。


「え……」


振り返ると、レオンの足元に銀紫色に光る液体が広がっていた。


(ま、ま、ま、まさか――!?!?!?)


「そ、それ……っ!!」


思わず飛び出し、声を張り上げてしまう。


「それ、“真実の雫”ですうぅぅっ!!」


レオンがびくりと肩を揺らし、静かに一歩後ずさる。

でも、もう遅い。


「ってことは、さっきの発言……」


「ううううううぅっ!!ち、違うんです、あの、それは、その……!」


――大惨事である。


頭が真っ白になる中、なんとか言い訳を探して口を開いた。


「こ、これは、その、副生成なんですっ、“翠命のしずく”を調合したときに、たまたま一緒に出ちゃって……!

最初はちゃんと机の引き出しにしまっておいたんですけど、でも、でも……なんかに使えるかもって、つい、持ち出しちゃって……!

落とすつもりはなかったんですっっっ!! まさかレオンさんが踏むなんて思わなくてぇぇ!!」


「……いや、落とすって……」


レオンが頭を押さえてぼそりとつぶやく。


「……効能、なんなの?」


エリシアが不自然に笑いながら問うてくる。


「あっ、えっと、それは、その……“感情が顕在化する系の高純度媚薬”で……。服用者の気持ちが高揚して、心の中の本音が出てきちゃうっていうか……」


言った瞬間、自分で口を押さえた。


(ばかばかばか私のばかーーーーーっ!!!)


「……つまり、レオンのあの“可愛い”とか“好き”とかは?」


「ま、まままままさかっ、あれは薬のせいであって! 本心じゃなくて!」


「あーあ、あのクールな騎士様の口から“可愛い”とか“好き”とか、聞いちゃったわけね~」


「やめてくださいカタリナさん! 私もうこの世界で生きていけないぃぃ!!」


顔から火が出そうなくらい真っ赤になった真奈がわたわたしていると、レオンが不本意そうに息を吐いた。


「……正直に言えば、たぶん、半分は……本当だ」


ぼそっと聞こえるか聞こえないかくらいのレオンのボリュームの声。


「え?」


(今なんて?よく聞こえなかった。)


「よりにもよって、こんな形で……っ。

俺にも俺のプライドってものがあるんだが……!」


段々レオンが苛立ち始めているように聞こえた。


「し、知りませんよそんなの! こっちこそ踏まれるなんて計算外で!」


「ふ、踏むなって先に言っとけ!」


「そもそも落とす前提じゃなかったんですうぅ!!」


カタリナが楽しそうにくすくすと笑いながら、二人の間にすっと割って入った。


「はいはい、おふたりさん、喧嘩しない。……でもまぁ、可愛い子には言い訳しながらでも素直になるって、大事よね?」


「カタリナさん黙っててぇぇ!!」


カタリナの腕の中で、神獣ファル=ティナが「にゃふ」と満足そうに鳴いた。


(神様、これが“異世界”ってやつなんでしょうか……)


真奈は、頬を真っ赤に染めながら、心の中でそっと祈った。


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