第3話 転がる瓶と揺れる魔力
第3章転がる瓶と揺れる魔力
朝の陽光が柔らかく差し込む王宮の一室。
真奈は呼び出しの声を受け、少し緊張しながらもどこか好奇心混じりに部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
優しい声が響き、真奈はゆっくりと中に入る。
そこには、清楚な白い衣を纏ったルシアが窓辺に立っていた。
銀色に輝く長い髪が光を受けて揺れている。
「真奈さん、来てくれてありがとう」
ルシアは柔らかな笑みを浮かべて迎えた。
真奈は少し戸惑いながらも、挨拶を返す。
「はい。お呼びいただき、ありがとうございます」
彼女の笑顔はまるで映画のヒロインみたいで、どこか非現実的に感じられた。
まっすぐにこちらを見つめる瞳は澄んでいて、でもどこか遠くを見ているような寂しさも漂っている。
「昨日の調合は順調だったようですね」
ルシアの言葉に、真奈は照れくさそうにうなずく。
「まだまだ試行錯誤の段階ですけど……少しでもお役に立てたなら嬉しいです」
ルシアは静かにうなずき、その瞳に一瞬だけ疲れの色が見えた。
「ありがとう。これからも頼りにしているわ」
真奈はその言葉に少し戸惑いながらも、背筋を伸ばした。
「……はい。がんばります」
ルシアは窓の外を見つめながら、静かにため息をついた。
「王女として、聖女としての役目は重いけれど、こうして支えてくれる人がいることに、私は救われているのよ」
真奈は彼女の姿を見つめながら、こんな綺麗で強い人がいるんだなあ、とただ純粋に思った。
⸻
真奈は案内役のレオンと共にリオネール王国の中央錬金院へ向かった。
そこは聖女ルシアのいる神殿とはまた別に存在する、国家直属の研究機関だった。
「ここが、王国の錬金術師たちの……」
真奈は、石造りの重厚な扉をくぐりながら、緊張と期待を胸に抱く。
中には白衣を纏った研究者たちが忙しく行き交い、魔力測定器や調合器具が整然と並んでいた。
空気は静かだが、どこか張り詰めた緊張感が漂っている。
案内されたのは中核を担う調合室の一角。
そこには、深青の紋章入りローブを羽織った青年・エルマーが待っていた。
「あなたが、異界より召喚された錬金術師、真奈殿か」
彼は冷静な瞳で真奈を見つめる。
「はい。真奈と申します。よろしくお願いします」
「私はエルマー。第三調合班の主任だ」
彼は早速、真奈の作った“癒しの雫”を手に取り、陛下から預かった調合データを見て首をかしげた。
「正直、奇妙な調合法だと思っている」
「奇妙……?」
「王国の錬金術師は甘味と香気の強い銀花蜜を癒し系薬品に使うことはまずない。薬効が不安定になるからだ。だが君の調合では、それが逆に安定化している。なぜだ?」
真奈は自分のスキルが素材の“相性”を教えてくれることを説明し、スキル頼りの調合法を語った。
「薬の精霊にでも導かれているかのような言い方だな」
エルマーの言葉に、真奈は逆に救われた気がした。
王国の錬金術師たちは理論と経験に基づき、寸分違わぬ手順を守る職人のような存在。
一方、真奈のスキルは感覚と直感、魔力の流れと素材の気配を読み取りながら柔軟に薬を導いていくものだった。
(言うなれば、“お料理”と“科学実験”くらい違うのかも……)
エルマーは薬瓶を魔力測定器にかけて言った。
「効果はあるが、再現性がない。偶発的生成なら“魔法薬”に近い。正式な錬金術とは呼べん」
その言葉に真奈は口を閉ざした。
だが胸の中には、自分なりの“癒し”への気持ちが確かにあった。
(私は私なりに、誰かを癒したい)
夕方、神殿の裏庭で一息つく真奈にレオンが声をかける。
「今日はおつかれさま」
「ありがとう……でも、変わり者って言われたみたいで」
「だが“変”は“新しい”でもある」
レオンは静かに微笑んだ。
「君の薬には君の気持ちがこもっている。それを無意味とは思わない」
真奈は少しだけ笑い、胸の中に芽生えた確かな思いを抱いた。
(次は偶然じゃなく、意図して作れるように)
ふと、真奈が持っていた小瓶を見ていたレオンが、軽く顔をしかめて言った。
「……ところで、その“夢香の霧”の瓶、まだ持ってるのか?」
「あ、うん……でももう、間違えて飲ませたりしないから!」
真奈がそう言うと、レオンは目を細めて、
「俺の理性が再び試されることだけはやめてくれよな」
と言いながら、腕を組んでちょっと身構える。
真奈は慌てて、
「ほんとにほんとに大丈夫! ちゃんとラベルも貼ったし!」
と言いながら、小瓶をぴしゃりと閉めてテーブルに置いた。
レオンはそれを見て、「……お前のその“自信”が一番怖い」と呟いた。
二人は顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
真奈が笑いながらテーブルに手をかけた瞬間、つまずいてバランスを崩した。
「あっ!」
慌てて手をついたが、小瓶が手からすべり落ち、床をコロコロと転がっていく。
「わわっ、ごめんなさい!」
レオンがとっさに動いて小瓶をキャッチしたが、二人の視線が一瞬重なった。
「……お前、本当に気をつけろよ」
レオンの声は少し低く、どこかいつもと違う緊張感が混じっていた。
真奈も顔が熱くなり、小さく目をそらす。
「そ、そんなに見つめないでください……」
部屋の空気が急に静かになり、二人ともなんだか恥ずかしさで胸がざわつくのを感じていた。
「媚薬なんてなくても……充分、ドキドキするな」
レオンがぽつりと言うと、真奈は慌てて顔を覆った。
「な、何それ……! もう、勘弁してくださいよ!」
ふたりは思わず笑い合い、少し照れくさそうにその場を和ませた。
数日後。
真奈は集中力を切らさず、3度目の“癒しの雫”を完成させた。
魔力の流れも安定し、瓶の中の淡い青い薬液が穏やかに輝いている。
《スキル:錬金術:癒し 生成成功率98%》
「よし……これで三回連続成功。やっと安定した……!」
回連続で“癒しの雫”が成功して、真奈は小瓶を握りしめながらちょっとニヤリとした。
「やっと安定してできた……これなら、ルシア様に渡せそう」
その時、レオンがそっと近づいてきた。
「調合、うまくいったみたいだな?」
「うん、3回とも失敗しなかったんだよ!」
「それはよかった。ルシア様に渡すのはお前の仕事だぞ」
真奈はちょっとドキドキしながらも、素直に答えた。
「うん、でも正直まだ自分がちゃんと役に立ててる実感はないんだよね……」
「それはみんな最初はそうだ。でも、その気持ちがあれば大丈夫だ」
レオンの言葉に、真奈はふっと肩の力が抜けた。
「ありがとう、レオンさん。なんかほっとした」
「じゃあ、さっそく持って行こうか」
「うん!」
真奈は小瓶を大事に抱えて、ちょっと緊張しながらもワクワクした気持ちで歩き出した。
扉の向こうには、神獣の祈りを終えたばかりで、疲れ切った様子のルシアが座っていた。
深い青のローブが彼女の細い肩にかかり、顔色はまだ少し蒼白だった。
「ルシア様、これを……」
真奈はそっと“癒しの雫”を差し出した。
ルシアは目を伏せながらも、薬液の瓶を受け取る。
「ありがとう、真奈……」
静かに口を開けて薬を口に含むと、すぐに体に温かさが巡り始めた。
疲労感が少しずつ溶けていくように、目の前が明るくなる。
「……ああ、これは……」
ルシアは感嘆の声を漏らし、体を起こした。
血色が戻り、瞳に再び力が宿っていくのを真奈は感じ取った。
「こんなに……楽になるなんて。あなたの錬金術は本当に素晴らしい」
ルシアの微笑みが、いつもより柔らかく、真奈の胸を温かくした。
「これで、神獣の祈りももう少し負担が減らせそう……」
「私も、もっと頑張ります!」
そう言って真奈は小さく拳を握った。
少しずつ、でも確かに――自分の力で誰かを癒せる実感が芽生えていた。