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第2話 はじめての癒しは、あまい霧とともに


リオネール王国の朝は、静かで清らかな祈りから始まる。

召喚された真奈が過ごすこの国では、日の出と共に神殿の鐘が鳴り、人々は手を合わせるのが習わしらしい。


「……うう、早起きは慣れないかも……」


真奈は、広い客間のベッドの上でぼんやりとまぶたをこすった。

異世界に来て数日。毎日が新しいことばかりで、夢のようでもあり、現実味がなくもあった。


着替えを終えると、すぐに扉がノックされた。


「真奈、朝食の時間だ。用意ができている」


「あ……は、はい! 今行きます!」


扉を開けると、そこにはいつものように騎士レオンが立っていた。

凛とした顔立ちと、整った立ち居振る舞い。無口でぶっきらぼうだけれど、真奈にはわかる。

彼はとても優しい人だ。


(この間のこと……まだ怒ってないかな……)


あの、“誤飲事件”からまだ数日。

レオンが媚薬を飲んでしまったことは、なんとか誤解されずに済んだけれど、真奈の中ではまだ少し気まずさが残っていた。


朝食は、パンとお肉が、入ったスープ。優しい味がした。


向かい側に座って食べていたレオンが真奈に神獣について話し始めた。


「……そういえば、神獣のことは、どこまで聞いている?」


「えっ、えっと……“癒す”ってことと、“聖女様が負担を抱えてる”って……それくらいしか……」


レオンは少しだけうなずき、フォークを置いた。


「今代の神獣は、“ファル=ティナ”。白銀の鬣を持つ獅子の姿をしている。

光と魔力を内包する存在で、その加護を受けることで、王国は長年の繁栄を保ってきた」


「……獅子……。加護って、具体的には?」


「ファル=ティナが目覚めている間は、土地は豊かになり、病も減る。

ただし――その目覚めは長く続かない。目覚めてから“七日ごと”に、浄化と安定の儀が必要になる」


「それって、ルシア様が?」


「そうだ。聖女の魔力を“神獣の核”に直接注いで、負の気を浄化する。

……だが、ファル=ティナの魔力が強すぎて、今のルシア一人では支えきれていない」


「それって……危ないじゃないですか」


「実際、何度か倒れた。だが、他に代われる者はいない」


レオンの声に苦味がにじむ。


「だからこそ、お前の癒しの錬金術が必要だ。

薬の効果で、ルシアの魔力消耗を軽減できれば――彼女の命も、神獣の安定も守れる」


真剣なまなざしで、まっすぐにそう言われて。

私は、スプーンを握ったまま動けなくなった。



「……だから、召喚されたんですね」


真奈のスプーンを持つ手が少し震えた。


「まだ、私に何ができるかは分からないけど……できることがあるなら、やってみたいと思ってます」


その言葉に、レオンはふっと目を細めて、小さくうなずいた。


「……そう思ってくれるだけで、ありがたい」


その優しい笑みに、真奈の胸が少しだけあたたかくなった。


食後、真奈は調合室に戻っていた。


(今度こそ、ちゃんと回復薬を作ってみせる……!)


机には、癒し効果が高いとされる素材を並べてある。

星灯草、精霊の雫水、そして調和作用を持つ銀花蜜。すべてレオンが朝、特別に揃えてくれたものだ。


(失敗しないように……魔力を、落ち着かせて……)


 


《スキル:錬金術:癒し 起動》


《素材反応良好。生成物:癒しの雫(小)》

《生成成功率:92%》


光がぽうっと調合器の中に集まり、淡い青の薬液が小瓶の中に完成していく。


「……やった……できた、今度こそ本当に……!」


真奈は胸をおさえ、感動で息をのんだ。


でも――すぐ横の調合器から、ふわりと甘い香りが立ちのぼってくる。


「えっ……また……?」


 


《副生成物:夢香のむこうのきり

《効果:五感増幅・精神鎮静》

《属性:媚薬系 生成回数:残り2/日》


目の前に現れたのは、紫がかった淡い霧を瓶の中にたたえた液体。

甘く幻想的な香りが調合室の空気に広がっていく。


「ど、どうして一緒にできちゃうの……」


しかし夢香の霧は、一応癒し効果もあるとスキルに表示されていた。


(でも……やっぱり、誰かに飲ませる勇気はないかも)


そう思いながら、夢香の霧の瓶に栓をして、回復薬の瓶と一緒に並べたとき―


真奈、少し話が……」


「あ、レオンさん!? ま、待ってください、今ちょっとっ……!」


扉が開き、レオンが入ってきた。

調合机の上を一目見た彼は、何の迷いもなく瓶のひとつを手に取る。


「これは……」


「それ、ちが、違うんです、回復薬の方じゃなくてっ!」


真奈の叫びより早く、瓶の栓がわずかに緩み、

紫がかった淡い霧が、ふわりと室内に広がっていった。


「……っ!? この香り……」


レオンの動きが、ぴたりと止まる。

鼻先をかすめた霧の一筋が、彼の皮膚をくすぐるように流れていく。


「……甘い……? いや、これは……」


次の瞬間――彼の瞳がわずかに細められた。


「……耳が……妙に、ざわつく。声が……くっきり響く……」


「そ、それ、“夢香の霧”って言って、五感が敏感になる副作用があるみたいで……!」


レオンは瓶をそっと置いたが、眉間にはうっすらと苦悩の影が浮かんでいた。


「……お前の足音が、さっきよりも……ずっと近くで聞こえる。

 心音も、服の擦れる音も……妙に生々しくて……」


その目が真奈を見た瞬間、真奈の背中にぞくりと寒気が走る。


「い、いえ、ち、違いますっ、それはたぶん……薬のせいでっ!」


「匂いも……まるで花の中に閉じ込められたような……頭がぼうっとする……」


レオンはゆっくりと一歩、こちらに歩み寄った。

無意識の動作のように、でも、確かに空気が揺れる。


真奈は慌てて二歩後退した。


「ち、近づかないでくださいっ! いや、いえ、そういう意味じゃなくて……とにかく、効いちゃってるみたいだから、ちょっと離れてていただけるとっ!」


彼の頬がうっすらと紅く染まっているのに気づいた。

あの冷静なレオンが、今は呼吸を整えるのに必死で、しかも――なんだか視線が、真奈の唇や首元をさまよっているようにも見えて。


(や、やばい……このままじゃ本当に変な誤解を……!)


「……夢香の霧、か」


レオンがようやく一歩後ずさり、息をゆっくり吐いた。


「次は、間違えないように……気をつける。これは……かなり効くな」


「ご、ごめんなさい……ほんとに、ごめんなさい……!」


そして、しばしの沈黙のあと。

レオンは目を閉じて、深く一息。


「……不本意だ……」


レオンがぽつりとこぼした言葉に、真奈は肩を縮めた。


「ほんとに……ごめんなさい……」


媚薬効果は数分ほどでゆるやかに落ち着き、部屋に流れていた霧も、魔力の揮発とともに薄れていった。


やがて、レオンがそっと額に手を当てて小さく息を吐く。


「……もう大丈夫だ。効き目は短時間みたいだな。深呼吸すればすぐに抜ける」


「そう……ですか……」


「それにしても、お前……今回は回復薬も作ったんだろう? 見せてくれ」


「あっ、はいっ。こっちは“癒しの雫”って名前で出てきたんです」


真奈は小さなガラス瓶を手に取り、レオンに差し出した。中には淡い青の液体がゆらゆらと揺れている。


「飲んで……みてもいいですか?」


「もちろん。成分表示も“安定”になってましたし、癒し系で副作用なしって……スキルが教えてくれました」


レオンは少々ためらったが、瓶の封を開け、一口すすると――


「……口当たりは柔らかいな。喉にすっと入ってくる。冷たいのに、胸の奥が温かくなる感じがする」


「えっ、ほんとに? 成功……ですよねっ?」


「間違いない。“癒しの雫”は、回復薬としての機能を果たしている。体内の小さな痛みや疲労感が、今じんわりと引いていく」


真奈の顔がぱっと明るくなった。


「やった……! ちゃんとした回復薬が、わたしにも作れた……!」


小さな拳を胸元でぎゅっと握りしめた真奈は、嬉しさのあまり小さく跳ねそうになる。


「じゃあ……あっちのは……どうしますか?」


視線の先には、もう一つの瓶――“夢香の霧”。


レオンは小さく眉をひそめた。


「検証するのか……? 今しがた、たっぷり体験させてもらったばかりだが」


「で、でも……スキルには、“癒し効果”ってちゃんと書いてあって……! もしかしたら、魔力鎮静とか、精神安定とか、役に立つかもしれませんしっ」


レオンは少し黙ってから、瓶を手に取ると、慎重にごくわずかだけ霧を吸い込む。


「……前ほどではないが……確かに、目の奥の重さが軽くなる。頭がすっきりしてきた」


「え……本当に?」


「興奮作用より、今は鎮静効果のほうが強く出ているようだな。おそらく、魔力の状態や精神の緊張度で効果が変化するんだろう」


「す、すごい……!」


真奈の目が丸くなる。


「つまり……夢香の霧は、使い方によっては、普通の癒しの薬以上に……!」


「ただし――」


レオンが真剣な目で真奈を見る。


「誰がどう使うか、タイミングと状況を誤れば、また……あの時のようになる」


「は、はいっ……! もう、ちゃんとラベル分けして、間違えないようにしますっ!」


「そうしてくれ。俺の理性にも限界がある」


「……っ……そ、そんなこと、あ、あるんですかっ?」


思わず聞き返してしまった真奈に、レオンはちょっとだけ目をそらして、ほんのわずかに顔を赤らめた。


「……あるんだよ、そういう時も」


「~~っ……」


真奈は、顔をぱたぱたと手であおぎながら小さくうめいた。


「……もう、本当に……」


レオンはそんな彼女を見て、少しだけ微笑んだあと、まじめな声に戻った。


「真奈。さっきの“癒しの雫”だが……薬として使うには、もっと検証が必要だ」


「えっ、検証……ですか?」


「効き目はあった。だが、一度きりの成功で安定性を判断するのは早い。

まして、これを誰かに渡すなら、なおさらな」


「……たしかに、そうですよね……」


「お前がこの薬を“人に使ってもらいたい”と思うなら、まずは同じ条件で、あと三回は成功させてみろ」


「えっ……さんかい……」


「成分も分量も魔力の流し方もすべて同じ。再現できるなら、それは“本物”だ。

その結果を見て、俺が報告書にまとめておく。いずれ……正式に王宮の医師団に提出してもいいかもしれない」


「王宮の……っ。は、はい、分かりましたっ。やってみます!」


少し目を丸くしたあと、真奈はうなずいた。

小さな肩に、ひとつ責任をのせられた気がしたけれど、どこか嬉しくもあった。  


瓶に残った淡い青の薬液を見つめながら、真奈はそっと息を吸い込んだ。



(もし、ちゃんと作れるようになったら……この薬を、誰かに渡すことができるかもしれない)


そう思った瞬間、真奈の視界に――再び青白いウィンドウがひらりと現れた。


――《ステータスウィンドウ:現在表示》


【名前】真奈(Mana)

【職業】錬金術師〈召喚者〉

【レベル】3

【魔力】56/70

【スキル】

・錬金術:基礎合成(使用中)

・錬金術:癒し(Lv1)

・錬金術:媚薬(Lv1)

【生成履歴】

・癒しの雫(小)……成功/安定率92%

・夢香の霧(副生成)……発生条件:癒し素材重複時(回数制限あり)

【注意】媚薬スキル:1日3回まで使用可能/魔力依存


「……やっぱり、ちゃんと記録されてる……」


画面をそっと指先でなぞりながら、真奈は小さく息をついた。


(次は、間違えないように……もっとちゃんと)


そして、ステータスウィンドウをそっと閉じて――


 


夜、ベッドに倒れ込んだ真奈は、クッションに顔をうずめて小さく叫んだ。


「回復薬は成功したのに……また、オマケで妙な薬が……でも……」


それでも、“夢香の霧”にはちゃんと効果があった。

使い方さえ間違えなければ、役立つ場面はきっとあるはず。

“癒しの雫”も、レオンの反応を見る限り、確かな手応えがあった。


そして、思い出す――レオンに言われた言葉。


『とりあえず、“癒しの雫”を、あと三回は同じ精度で作ってみろ。安定性の確認だ』


(よし……やってみよう。次は、もっと丁寧に)


そんなことを思いながら、真奈はそっと目を閉じた。


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