表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縁起外伝~宵待ちの螢~  作者: 熊掛鷹
第七章:天満月の影
21/25

導き

 山霧がほどける。

 声はまだ遠い。

 けれど、その気配が近くをあたためた。


 ――祈りは、魂を見つけるためにある。


 叢雲寺では、信楽様の不在に、兄弟子から退魔を任されることがあった。

 祓うためではない。見つけるための祈りだった。

 山には、己の死を知らぬ魂が彷徨っていた。

 その時、風が名を運んだ。

 呼ばれたように、影が形を結んだ。

 黒衣の行者が立っていた。


「不思議なことよ。延暦寺の焼き討ちで散った魂たち。怨恨の業、容易に導けぬ。だが、そなたの祈りは法を越え、魂に響く」

「貴方は?」

無名(むみょう)とでも呼べ。その術、いずこで?」

「師僧を見て、真似ただけです。震えるところへ、手を置いた……それだけです」

 無名様は静かに笑んだ。

「宵の一門か。天満月の僧とは、そなたか」

 その名に、かすかな影が宿った。

 月はまだ昇らず、風の裏側に、かすかな灯の気配があった。


「横川で修行を重ねよ。そこは境の縁、生と死のはざまにある。そなたの祈りは、角大師の光に通ずる」

 私は俯き、数珠を握りしめた。

「私のような者が、その光に……?」

 無名の眼差しは、未来を透かすようだった。


 その夜、叢雲寺へ戻り、信楽様と叢海様に、無名様との出会いを語った。

 横川への修行を勧められたことも、正直に告げた。

 信楽様は、しばらく沈黙し、穏やかに言った。

「霊命の光は授かりもの。闇をも引き寄せる。祈りの形を見極めるために――行ってきなさい」

 叢海様が続けた。

「良宵、そなたは灯す者。螢雪は待つ者。灯す者と待つ者――時に交わらぬ道となる」

 その言葉が、胸の奥に静かに沈んだ。

 息が浅くなり、喉が固まった。

 沈黙は痛みより深く、呼吸を奪った。


 * * *

 夕暮れの裏山を、螢雪と並んで歩いた。

 木々の影が長く伸び、蝉の声が遠ざかる。

 風の中で、二人の影が一度だけ重なり、やがて離れた。


「観音経の無畏施(むいせ)は、怖れを取り除く施しなんだって」

 螢雪は微笑んだ。「良宵の祈りに似ているね」


 私は立ち止まり、数珠を握った。

 その温もりが、決意と痛みを同時に運んできた。


「螢雪……しばらく別の道を歩こう」

 螢雪は振り返らず、夕陽に染まる輪郭のまま言った。


「分かった。俺は叢雲寺で待つ。兄弟は離れても、心を並べて祈れるさ」

 風が木々を揺らし、数珠が鳴った。

 その音が、祈りの始まりにも終わりにも聞こえた。


 陽が宵に溶け、月が微かに滲みはじめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ