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雑記(1)

明智光秀の出自には諸説あり、実はハッキリしていない。

確からしいことは、織田信長に仕える前の光秀が足利将軍家に重用されていたことくらいである。


出自が怪しい者を将軍家が重用するはずもなく、したがって光秀の出自は明らかになっていて然るべきなのだが、それが後世(つまり現代)に伝わっていないのは何とも不思議である。


後に本能寺の変で信長を討った光秀は、逆賊として名を馳せてしまった事により、彼の歴史は時の権力者あるいはその時代を生きた人たちによって意図的に消されてしまったのだろうか。


歴史とは生き残った勝者の立場によって綴られた記録であるから、敗者の歴史は歪めて貶められたり闇に葬られたりすることは特段珍しいことではない。


勝者に刃向かった敗者の記録を正当に残そうとしようものなら、敗者に寄り添う者と見なされ自らの立場も危うくしてしまう。

これでは敗者の歴史など書きようがない。


敗者の歴史が不当に貶められたり、闇に葬られたりするのはこういった理由からであろう。


はっきりしないと言えば、明智光秀が本能寺の変を起こした理由についても様々な説があり、専門家の間でも意見が分かれている。


果たして彼は、どういう理由で本能寺の変を起こしたのだろうか。


僕は歴史の専門家でも何でもないが、その理由はたぶん一言で表現できる。明智光秀が本能寺の変を起こした理由、それは「ストレス」だ。


まぁ半分は冗談だが、「ストレス」というのは実に便利な言葉で、よく分からない事情に対しては、こう言っておけば大概当てはまる。


ストレスにも色々あるが、現代風に言えば、信長によるパワハラということになるだろうか。


何しろ上司が信長である。

存在自体がパワハラみたいなもので、仕える者にとっては大きなストレスだったに違いない。

光秀以外の武将も、程度の差こそあれ、みなそれぞれ不満を抱えていたはずだ。


さらに光秀の場合は、普段からキンカ頭(ハゲ)と呼ばれていたり、徳川家康を饗応する際の不手際で信長から叱責されたり、信長が刀の先に刺した饅頭を家臣達が集まっている場で食べさせられたりと、虐待とも思えるような様々なエピソードが残されている。

このような扱いは光秀には屈辱的であった。


さらに言うと、光秀は将来的に彼の所領を遠方へ移封されることが確定的であった。信長は、京や畿内を親族で固め、その他の武将たちは各地へ移封する腹づもりだったのだ。


事実、本能寺の変の発生時点で、明智光秀と羽柴秀吉はそれぞれ明智日向守、羽柴筑前守に任命されている。


ちなみに日向は現在の宮崎県に相当し、筑前は現在の福岡県にあたる。まだ中国征伐すらできていない段階で日向守や筑前守を名乗らせるなんて、気が早いにもほどがあるが、こういう所がいかにも信長らしいとも言える。


だがこれもプライドの高い光秀には納得のいかないものだったに違いない。

なぜ俺が田舎に移封されなきゃならないのか、と。


「皆、信長の無茶振りに頭を痛めているのだ。俺が信長を討ったら、きっと皆も同調してくれるに違いない」と光秀は常々思っていたのではないか。

実際、信長配下の武将は、信長が亡くなってホッとした者も少なくなかったであろう。


しかし信長を排斥することと、光秀が信長の後継者になることは明らかに別物だ。

絶対的なトップの座が空けば、またそこから新たな椅子取りゲームが始まるものであり、ましてや裏切りやクーデターなど、正攻法ではなく卑怯ともいえるやり方で手に入れた座であれば、周囲に激しく叩かれるのは必然と言っていい。


前述のとおり、明智光秀が本能寺の変を起こした理由についてはいろいろな説がある。


だが、僕にはこれが用意周到に計画されたものだとは思えない。

本能寺の変の当日に至るまでの根回しが行われた形跡が見られないからだ。


例えば、彼が味方になってくれるものと見込んでいた細川忠興(明智光秀の娘婿で、光秀は細川忠興の義理の父)に力添えをしてくれるよう書状を送ったのは、本能寺の変を起こした後である。

もしも彼が本能寺の変を計画的に実行したのだとすると、自分への力添えを依頼する書状を事後になってからせっせと送りつけているのはおかしい。


もっとも、下手に根回しなどしようものなら、事前に計画が露見してしまうリスクが高い。根回しをしたくても出来なかった、とも言える。


「慎重な性格の光秀がなぜ突然、信長に反旗を翻したのか」などと言われるが、事前に根回しが出来ないのであれば、唐突に自らの軍勢で急襲するより他は無い。


むしろ慎重な性格だからこそ、計画が露見する事を恐れて事前の根回しなどはせず、突如として信長を襲撃したのだと考える方が理に(かな)っている。


しかし、光秀が絶えず目を光らせて信長を討つ好機を伺っていたかどうかは分からない。不満を持つ事と謀反を起こす事との間には、大きな隔たりがある。


もともと光秀は、毛利攻めをしている秀吉に加勢するために中国地方へと出兵するはずであった。

ところがその道中、彼は突如「敵は本能寺にあり」と言い出し、信長が宿泊している本能寺へと行き先を変えている。


彼はギリギリまで迷っていたのではないか。

僕は、彼が本能寺の変の実行を決めたのは、まさに「敵は本能寺にあり」と言ったその瞬間だったように思う。


おそらく魔がさしたのだ。


「今なら信長を討てる」

「俺はこれからもずっと信長に怯え、一生こき使われて生きていくのか」

「これを逃したら、こんなチャンスはもう二度と来ない」


そういった思いや日々の葛藤、積もりに積もっていたストレスなどが彼を迷わせ、本能寺の変へと駆り立てたのだろうと思う。


これは現代で言えば、「期間限定」とか「今だけ大特価」といった言葉に意識を奪われて、つい衝動買いをしてしまう心理と似通ったところがある。


「今しかない」という思いが人を大胆にする。

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