雑記
気付けばあっという間に今年ももう7月になってしまった。
2025年も、もう半分が過ぎてしまっている。
月日の流れは早いものだ。
年々、その感じが強くなってきている。
中学生や高校生の頃は、もっと時間の流れが緩やかだったと思う。
一年という時間は今よりずっと長かった。
中でも極め付けは高3の一年間である。
僕にとってその期間は失恋のどん底で、激しくメンタルをやられて生きる希望を失ったまま過ごした時期であった。僕の人生でこの時ほど一年を長く感じたことは無い。
だが、この時の一年間を特殊な例外として除外したとしても、やはり僕には今よりも昔の方が、時間が緩やかに流れていたように思えてならない。
無論、一年の長さが過去と現在で違っている筈は無く、時計の針が進む速度は昔も今も変わらない。
変わったのは時間が進む早さではなく、経過した時間に対する僕の感覚の方である。
おそらく時間の経過に対する感度が、昔の自分に比べて今の自分は鈍くなっているのであろう。
相対性である。
相対性理論で知られるアインシュタインは、相対性について聞かれた際、「熱いストーブの上に手を置いていると一分が一時間のように長く感じるが、恋人と過ごす一時間は一分のように短く感じる。これが相対性だ」と答えたそうだ。
アインシュタインに言われるまでもなく、苦しい時間は長く感じ、楽しい時間は短く感じるものだ。
僕らはそれを経験で知っている。
この経験を逆手に取ると、僕が時間の経過をあっという間に感じているという事は、それだけ毎日を楽しく過ごしているという事になるのだが、じゃあ僕がそれほど毎日を楽しく過ごしているかというと、決してそんな事は無いのである。
むしろ僕は単調で平凡な日々をつまらなく過ごしているのだが、そのような日々をあたかも大好きな恋人とイチャイチャ楽しく過ごした時間であるかのように短く感じているというのは、何だかすごく理不尽な気がする。
僕がいま感じている月日の流れの早さから逆算すると、僕は週に3日くらいは若くて可愛い女性と情熱的で刺激的な夜を過ごしていないと計算が合わないはずなのだ。
おかしいなぁ。
俺にも若くて可愛い彼女と付き合わせて欲しい。
できれば割り勘で。
理想を言えば、彼女の奢りで。
だって俺、貧乏だから。
まぁ、そんな都合のいい、若くて可愛い彼女なんて、所詮は空想の中にしか存在しないんだけど。(笑)
僕の空想はさておき、桶狭間の戦いの後、織田信長は松平元康(後の徳川家康)と同盟を結ぶことになった。この同盟を持ち掛けたのは、徳川家康から(この時点では松平元康だけど。以下同様)だったようである。
一方の信長にとっても、この同盟は渡りに船であった。
織徳同盟あるいは清洲同盟と呼ばれたそれは、以降、信長が本能寺の変で命を落とすまで、ずっと破られることは無かった。
それだけ双方にとってメリットがあったのだ。
(ただしこの同盟は対等なものとは言いがたく、明らかに信長の方が上位にあった。後に家康は信長から苦渋の決断を迫られたりもするのだが、それはまた後日の話)
時間を桶狭間の戦い直後に戻そう。
必勝を疑いもしなかった今川軍は、大将の今川義元が桶狭間でいきなり討たれてしまい、慌てふためいた。
当然、尾張への侵攻作戦は中止、全軍が意気消沈して駿河へと引き返す。
ここで機敏に動いたのが徳川家康だ。
ここぞとばかりに今川の属国となっていた松平の旧領を奪い返して回った。
この瞬間なら、今川軍は身動きがとれない事を見越していたのだ。
どさくさに紛れて領土を掠め取るさまは、かつてのソビエト連邦を思わせる。
いわゆる火事場泥棒というやつだ。
とはいえ、この時の家康は基本的には、かつて自分の領土であった土地を奪い返しただけだから、泥棒呼ばわりするのは言い過ぎかも知れない。
これに対し、旧ソビエト連邦(現在のロシア)に至っては、これはもう、言い逃れの出来ない火事場泥棒である。
太平洋戦争で日本がアメリカから広島と長崎に原子爆弾を投下され、もはやまともに戦争が継続出来ない状態になった事を知った旧ソビエト連邦は、長崎に原子爆弾が投下されたその日に、それまでずっと日本と結んでいた不可侵条約を突如として一方的に破棄、日本に宣戦布告して、北海道の北東沖に浮かぶ歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島(頭文字をとって「箸食え」と覚えよう)へと侵攻し、これらの島々を次々に占拠していった。
まさに火事場泥棒。
しかも、一方的に約束を破っての泥棒行為である。
日本が降伏寸前と見るや一方的に約束を破り、いきなり牙をむいて襲い掛かってくるという旧ソビエト連邦の所業は、義理人情に厚い日本人の感覚から言えば、到底許せるものではない。
北方領土問題は、このような経緯から生まれたものだ。
その後、旧ソビエト連邦の体制が変わって生まれた国が現在のロシアなのだが、いかに体制が変わろうとも泥棒は泥棒である。
僕はこのロシアという国を信用していない。
ロシアは近年、またしても泥棒の血が騒いだためか、ウクライナへの侵攻を開始し、今もなお戦争中である。
この戦争は当初のロシアの目論みが外れ、思いのほか泥沼化している。
トランプ大統領はなぜかウクライナに譲歩を求め、ロシアが結果的に領土を拡大することを容認しているように見えるが、こんなバカげた話はない。
侵略した側が得をするという前例を作ってしまえば、この泥棒は味を占め、これからも同じような侵略を繰り返すに違いない。
歴史的に見れば、北方領土はその先駆けだったとも言える。
これまで日本政府は粘り強く、旧ソビエト連邦と(崩壊後はロシアと)北方領土を巡って交渉を繰り返してきた。だが、泥棒に向かって「頼むから返してくれ」と繰り返しお願いしたところで、盗んだものを返してくれる泥棒などいない。
根気強くお願いすれば北方領土を返してもらえると本気で思っているのか、それとも北方領土は返ってこないと知りつつ「仕事してます」感を出すためのパフォーマンスに過ぎないのかは定かじゃないが、どんなに粘り強くお願いしたところで、返ってこないものは返ってこない。
ソビエト連邦(現ロシア)という国を少しでも信じてしまった事に対する報いであると受け止めて、「二度と信用するものか」と心に刻むしかない。




