雑記
吉法師の口に何が入っていたのかは次回書くとして、当時はまだ乳母と呼ばれる人たちが実在していた時代であった。
現代のように赤ちゃん用の粉ミルクといったものが無いから、母親の母乳の出が悪かったりすると、産まれてきた赤ちゃんに充分な量の母乳を飲ませることができなかったのである。
この時代の乳幼児は、流行り病など、ちょっとしたことでもすぐに死んでしまう。
そもそも栄養状態が悪い。
さらに衛生状態も悪い。
医療も発達していない。
乳幼児の死亡率は、現代とは比較にならないほど高いのだ。
母親の母乳の出が悪く、充分な量の母乳を与えられずに赤ちゃんが栄養不足に陥ることは、この時代の赤ちゃんにとっては死活問題なのである。
そこで母乳の不足を補うために、誰かに頼んで充分な量の母乳を赤ちゃんに飲ませる必要が出てくる。
このとき、実の母親の代わりに母乳をあげる役割を担ったのが乳母である。
現代風に言えば、授乳のアウトソーシングといったところであろうか。
粉ミルクの代用が他人の母乳だったのだ。
……というのは現代人の感覚で、本当は母乳の代用が粉ミルクなわけだが。
「うば」という言葉の響きが何となく「ばば」とか「ばばあ」に似ているせいか、僕は乳母と聞くとつい、おばあちゃんを連想してしまうのだが、母乳が出るということは育児中の母親ということだから、その実体は、おばあちゃんどころかもっと若くて可愛いママである。(可愛い、というのは僕の勝手な願望&妄想だけどw)
現在では晩婚化が進んでいるから、子育て中のママというと30代の印象だが、当時は10代での結婚も珍しくなかった時代なので、子育て中のママと言えば20代前半であった。(たぶん)
つまり当時の乳母の年齢は、現代で言えば就活中の女子大生だったり、初々しい新卒の社会人女性だったりするわけだ。
「うば」という言葉の響きとのギャップがヒドすぎないか? これ。
語感というのはイメージに直結するだけに重要な要素である。
「うば」は、もう少し別の言い方をしてもいいんじゃなかろうか。
ゴキブリだって「ごきぶり」という語感の悪さがイメージの悪さに繋がっているが、もしも僕らがあのカサカサと動く小さな茶色い虫を「こきぷり」と呼んでいたなら、ここまで嫌われることは無かったんじゃないかと思う。
いや、そんな事はないか。
ちなみに乳母という表現は源氏物語にも出てくるが、そこでは「めのと」と読むのが正解らしい。
平安時代から鎌倉時代にかけてはそのように読まれたということなのであろう。
つまり、時代によって読み方が変わるということだ。
読み方は変わっていくし、変えていいのである。
では、令和のこの時代、「乳母」は何と読むべきか。
これはどこかに書いたような気もするが、僕のお勧めは「ウーママ」である。(何だそれ)
これで「うば」より全然若くて可愛いイメージになる。
そしてこのイメージは実体と合っている。
少なくとも「うば」よりは。
という訳で、これからは「乳母」という言葉を見かけたら「ウーママ」と読むようにしてはどうだろう。
実際に口に出して読む必要は無いけど、頭の中でそう読み変えるだけで、よりイメージは正確になる。
そういえば、ベビーカーも昔は乳母車と呼んでいた。
なぜ乳母車がベビーカーと呼ばれるようになったかといえば、やはり「うばぐるま」という語感が時代にそぐわないからであろう。
もっとも、この乳母車という言葉における乳母は、よその子に自分の母乳を飲ませていた戦国時代の乳母とは意味合いが違い、単に「子育てママ」といった程度の意味でしかないが。
……って、さっきから、もう信長の生涯とかどうでもいいというレベルの話をしている。
前にも少し断りを入れておいたが、たぶん今後も信長そっちのけで、無駄話を書くことになるんじゃないかと思う。
ちゃんとした信長のストーリーが読みたい人は、他を当たって下さい。
一応はそれっぽいストーリーを書こうとしているけれど、相変わらず会話の内容や言葉遣いは、超いい加減である。
これまでの様々な説明も、僕が知ったかぶりで書いているだけで、正確性は保証しない。
ていうか、たぶん間違いだらけだ。
これはもう、何かにつけていい加減な人間が書いているのだから仕方がない。
文章にはその人の性格が表れるというが、実際その通りだと思う。
かつて僕が敬愛していた猫好きのなろう作家様は、幅広い知識を持っているにも拘わらず、何を書くにもきちんと下調べをしてから書くような真面目な人であった(過去形で書いているのは、もう何年も作品投稿が止まっており、今後の作品投稿が絶望的に見込めないからである)が、僕は平気でデタラメを書くような人間なのだ。
くれぐれも話を鵜呑みにしてはいけない。




