乳母の叫び声
やがて天文5年(1536年)になった頃。
「ぎゃーっ!」
「え? 何? 今どこからか叫び声がしなかった?」
「はい。私にもはっきり聞こえました」
「これ、女中たち。どうかしたのか? 何かいま悲鳴が聞こえたようじゃが」
「はい、ご家老さま。確かに叫び声がしました。おそらく、吉法師様がいる部屋から聞こえてきたのではないかと……」
「何? まさか吉法師様の身に何かあったのではあるまいな。急いで見に参ろう」
「はい」
……
……
「い、痛いっ。う、うーん……」
「おい、どうしたのだ。そなたは吉法師様の乳母であろう。吉法師様に何かあったのではあるまいな?」
「あ、ご家老さま。き、吉法師様はご無事です」
「では何があったのじゃ」
「わ、私の……、胸が……痛っ!」
「胸が痛いと申すのか。失恋でもしたのかの。ワシにも若い頃、そのような時期があったのう。ワシが高校3年生になったばかりの時、当時付き合っていた彼女が突然、同じクラスの吉野とかいう男と付き合い始めての。あれは地獄じゃった」
「ご家老様、こんな時にプライベートな話を持ち込まれても困ります。ていうか、何気に実名を晒しちゃマズいと思います」
「うるさい。ワシくらいの年齢になって残りの人生が短くなってくると、だんだん見境が無くなってくるのじゃ。こうなったら実名でも何でも晒しちゃうぞ、このヤロー。ワシはあの時からずっと吉野のことを根に持っておるのじゃからな」
「だからって、リアルな失恋話を無理やりぶっ込まないで下さいよ。そういう話はもっと違う場でなさるべきです」
「もはや見境が無くなってきてるんだから仕方なかろう。ワシの失恋の痛みは未来永劫、消えることは無いのじゃ。詳しい話は拙作『もしも百人一首の歌人が全員同じクラスの生徒で、アタシが57577の歌に77で感想を付け足すことになったら』の中に散りばめて書いてあるから、そちらを読んでくれ」
「作品の宣伝とかも、やめてもらえますかね」
「なぁに、気にするな。こんなしょぼい作品の中でどんなにアピールしたって、何の宣伝にもなるまいて」
「それもそうですね」
「おい。そこは黙って聞き流すところだろ」
「そんなことより、これはいつもの事かと思うのですが、また作者と登場人物の発言がごちゃ混ぜになってますよ。懲りない人ですね」
「……い、痛いっ!」
「おぉ、すまんすまん。そういえば、乳母の様子を見にきたんじゃった。そなたも失恋したクチかの」
「いえ、私の胸の痛みは失恋では御座りません。……うっ!」
「これ、また急に胸を押さえて何と致した。何をそんなに痛がっておるのじゃ。何があったか申してみよ」
「わ、私の……私の……うっ! うーん……」
「どんどん痛みが強くなっているようじゃの。もうよい、口を開くでない。おーい、誰ぞおらんか!」
「はい、何で御座りましょう」
「どうも乳母の様子がおかしい。急いで医者を呼びに参れ!」
「はい。では私が呼びに参りましょう。乳母様、いま医者を呼びに行きますので、もうしばらくご辛抱下さいませ。それでは行って参ります」
「できる限り急ぐのじゃぞ!」
胸を押さえて痛がっている乳母の横には、満足そうに口をもごもごと動かしながら眼光鋭く天井を見上げている吉法師が横たわっていた。
その口に入っていたのは……。