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雑記(1)

今回の話は、豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)が織田信長の草履(ぞうり)を温めたというエピソードである。

かなり有名なエピソードであり、今さら説明するまでもなく、ほとんどの人が知っているに違いない。


もともとの話は、おおよそ次のとおり。


ある雪の夜、信長が女部屋からの帰りに草履を履くと温かくなっていた。

信長は藤吉郎が草履の上に座っていたものと思って問い質すが、藤吉郎は頑として認めず、「寒い夜なので足が冷えていると思い、背中で温めたのだ」と言う。

信長が彼の背中を見ると、そこには下駄の鼻緒の跡がくっきりと残っていた。

信長はいたく感心し、彼を草履取りの頭にしたのだった。


……とまぁ、こんな感じなのだが、今回ネットで調べてみて意外だったのは、草履を背中で温めたという箇所だ。


僕は、草履を(ふところ)で温めたと記憶していたのだが、上に書いたとおり、背中で温めていたというのが、もともとの話だったらしい。

だが調べてみると、草履を懐で温めたという話も、必ずしも思い違いではないようだ。


どういう事かというと、これらは出典の違いなのである。


実は、背中で温めたと書いてある『川角太閤記』と、懐で温めたと書いてある『絵本太閤記』の両方が存在しているのだ。

書かれている内容が違うということは、少なくともどちらか一方が間違っている(わけ)だけど、じゃあどちらの記載が怪しいかといえば、それはおそらく『絵本太閤記』の方である。


『絵本太閤記』は『川角太閤記』を元にして書かれた事が知られており、もともと『川角太閤記』で「背中で温めた」とされていたところを、『絵本太閤記』の作者である武内確斎が、わざと「懐で温めた」と書き換えた可能性が高い。ていうか、ほぼそれで間違いない。


なぜ書き換えたのか、その理由については想像するしかないが、僕の推測では、おそらく「草履を背中で温めた」とするよりも「草履を懐で温めた」とする方が、挿絵として描きやすかったからではないかと思う。(この本は挿絵師の岡田玉山とともに書かれたものだ)


背中に草履が入っている挿絵を描いてくれと言われても、すんなりと描けるものではない。

この絵を普通に描いたのでは、(外から見ただけでは分からないから)背中に草履が入っていることが読者に伝わらない。正しく伝えるためには、このとき背中がどうなっているのかを説明するための絵が別途必要になってしまう。


それよりは、懐に草履を抱き抱えている絵の方が伝わり易く、また藤吉郎が信長の草履を大切に扱っている感じもスマートに表現できて、都合が良かったのであろう。

読む側としても、背中で温めているよりは、懐で温めている方が違和感なく読めるというものだ。


これは、ライトノベルの原作をマンガ化する際、読者受けを狙ってストーリーをちょっとだけ、あるいは大幅に修正するようなものなんじゃないかと思う。(そのせいで、原作のライトノベルしか読んでいない人と、マンガしか読んでいない人とでは、微妙に話が食い違ったりする)


ただし、僕は実際に「絵本太閤記」の中に、秀吉が懐で温めている挿絵がある事を確かめた(わけ)ではないので、もしもそのような挿絵が無かった場合には、上記の推測は全くの見当違いである。

その際は、今の話はキレイさっぱり忘れて頂きたい。


ずいぶんいい加減な推測だなと思われるかも知れないが、もしかすると、マンガの原作であるライトノベルが最初から作り話であるように、絵本の原作である川角太閤記が最初から作り話だったという可能性もあるのだから、ある意味、お互い様とも言える。


結局、秀吉が草履を身体のどこで温めようが、それが事実であろうが無かろうが、我々は秀吉がそれだけ機転の利く人物であり、それだけ信長に傾倒していたのだというニュアンスさえ感じ取れればそれでいいのであって、そこに至る枝葉末節なんて、作者にとっても読者にとっても大した意味は無いだろうと思う。(まったくのデタラメばかりを書かれても困るが)


以前、僕は別の作品の中で、百人一首の歌の中には、語呂合わせや技巧を誇示することがメインで、意味は単なる後付けに過ぎない歌も数多くあるのに、それらの歌の内容を真に受けて物知り顔で解説している事に対して、「西野カナが書いた歌詞を後世の学者が真剣に研究してるようなものだ」と書いたことがある。


それと同様、ここで言えることは、何もかもを真に受ける必要は無いということだ。

そこに書かれた内容が、事実である保証はどこにも無いのだから。


野暮な事は言いっこ無しですぜ、旦那。

こういった武勇伝は、雰囲気だけ伝わればそれでいいんでさぁ。ペケポン!


だが事実はともかく、この時の秀吉に見られるような気配りは、現代人にとっても重要である事に変わりはない。


この秀吉のエピソードを現代に置き換えるとしたら、タバコを取り出した先輩を見て、スッとライターを差し出して火を点けるようなものであろうか。(全然違う)

もっとも、最近では禁煙化が進み、所定の場所以外では喫煙禁止が当たり前になりつつあるので、むしろこのケースでは「先輩、ここでタバコはマズいっスよ」とクールに(たしな)めるのが正解なのかも知れない。


あるいは、これを女性に置き換えると、泣いている女性を見てスッとハンカチを差し出すようなものであろうか。(それも全然違う)


そんなキザったらしい真似をするのは、ある程度イケメンじゃないとなかなかハードルが高い気がするが、泣いている女性を目にするかはさておき、常に洗いたてのハンカチを予備で持ち歩くようにしておけば、いざという時に職場や街中で役に立つだろうと思う。


何より、これは自分がハンカチを忘れた時にも役に立つ。


誰しも年に何回かは、会社へハンカチを持っていくのを忘れてしまう事があるんじゃなかろうか。

ちょっと寝坊して、急いで身支度をして飛び出したりすると、「あ、ハンカチ忘れた」とか「目薬忘れた」なんて事になりやすい。


かく言う僕も、何年か前までは、そういう事を平気でやらかしていたのだ。

ところが今から数年前に、僕はある事に気が付いた。

「最初から全部カバンの中に予備を入れときゃいいんじゃね?」と。(もっと早く気付けよ)


という(わけ)で、僕の通勤カバンには様々なものが入っている。


折り畳み傘、ハサミ、爪切り、風邪薬、頭痛薬、目薬、バイアグラ、タオル、ハンカチ、箱ティッシュ(箱は潰す)、ビニール袋(コンビニ袋)、扇子、ボールペン、シャープペン、消しゴム、印鑑、朱肉、スティックのり……


ざっと思い浮かぶだけでも、これだけのものが常に通勤カバンに入っている。


中でも、特にお勧めしたいのが、箱ティッシュである。

潰した箱ティッシュをカバンに入れている人は、なかなかいないんじゃなかろうか。

でも、一度これをやってしまうと、もう後戻りはできない。


とにかく安心感が半端無い。(花粉の季節は特に)

是非一度やってみて欲しい。


余計なことは言わない。

やれば分かる。

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