雑記(1)
ここでの登場人物も、前回同様、織田信秀と土田御前である。
前にも書いたとおり、二人は夫婦なのだ。
正確に言うと、土田御前は織田信秀の後妻にあたる。
信秀がオードブルの前妻とは離縁してしまったためだ。
あ、一応補足しておくと、今のは前菜と前妻を掛けたものだから。
余計なお世話か。
で、バツイチとなった織田信秀の元へ嫁いで来たのが土田御前であった。
バカリズムで言うところの、「朝起きーの、歯磨きーの、着替えーの、時計見ーの、焦りーの、家を出ーの、トツギーノ」である。
(知らない人は「バカリズム トツギーノ」で動画検索すべし)
まぁ、織田信秀が自分の継室の土田御前を「御前」なんて呼ぶことは無かったに違いない。
もちろん土田御前がヤンキーだったわけもなく、タバコだってこの時代には無い。
すべては想像であり、創作である。
今回の話は、吉法師が凶暴な性格に育ったのは母親譲りだという設定で書こうとしていたんだけど、書いてるうちに土田御前が唐突にヤンキーになるという、何だかよく分からない展開になってしまった。
だったら書き直せよ、って話なんだけどさ。
気が進まないんだよね。
面倒だから。(笑)
さて、ここに出てくる織田信秀は、前にも書いた通り織田信長の父親である。
織田信秀と土田御前との間に産まれ、吉法師と名付けられた子が、後に織田信長になるのだ。
吉法師というのは織田信長の幼名である。
戦国時代は今と違って幼名というものがあり、元服前と元服後とでは違う名前で呼ばれていた。
例えば、徳川家康の幼名は竹千代という。
また、前田利家の幼名は犬千代で、豊臣秀吉の幼名は日吉丸であった。
彼らの話は大河ドラマなどでよく取り上げられているので、知っている人も多いであろう。
こういった昔の幼名のセンスは、現代から見るとずいぶん奇妙な感じがする。
それでも吉法師などはまだマシな方で、例えば豊臣秀吉は自分の子の幼名に「捨」とか「拾」なんて付けている。
なんだかなぁ。
ダビスタで例えると(いつの時代のゲームだよw)、入厩までは「アアイイ」とか適当な名前を付けておいて、入厩時にちゃんとした馬名に変更するような感覚なのだろうか。
戦国大名は子だくさんなので、いちいち真面目に名前を考えていられないのかも知れない。
こういうところもまた、多くの馬を所有する馬主と感覚が似ているんじゃないかと思う。
昔の競馬で、マチカネなんちゃらという馬が数多く走っていた時期があった。(マチカネタンホイザと聞いて懐かしく感じる人は、僕と大体似たような世代だ。まさかそんなジジイがこの作品を読むとも思われないが)
この馬主に至っては、マチカネの後に続く名前を一般から募集していたほどだ。
ファンサービスという見方もあるが、本音を言えば、もう自分で馬名を考えるのが面倒臭かったのであろう。
ダビスタでも、ずっとプレイしていくと似たような感覚を味わうことができた。最初はちゃんとした馬名を考えているのだが、だんだん雑になってくるのだ。
また、僕よりさらに上の世代では、男の子が産まれた順に、一郎、二郎、三郎、四郎、なんて名付けていた親も居たようである。こういういい加減なところも、子だくさんならではという気がする。