雑記(3)
結婚について書いていたら、つい自分の挙式のことを思い出してしまった。
僕の挙式の話なんて誰も興味は無いだろうが、そんな事はお構い無しに書くのが僕のやり方なので、気の向くままに書いちゃうわけだけど、改めて思い返してみると、僕が結婚したのは32歳の時だから、もうかれこれ20年以上も前の話になる。
昔から僕にはまともな友達が居ないので、普通に結婚式を挙げようと思っても家族以外には誰も呼ぶべき人が居ない。
「それじゃあ式が成り立たないだろ」ってことで、結局、新婚旅行も兼ねて、僕と嫁の二人だけでオーストラリアで式を挙げる事になった。(本当はそれだけが理由ではなく、偶然にもこれは嫁の希望でもあったのだ)
挙式の場所はセント・マーガレット教会という教会に決まった。
というか、嫁がそこに決めた。
嫁曰く、その教会には何らかの言い伝えがあって(何かは忘れた)それなりに有名で、ここで挙式したいという事らしかった。
僕は性格がヒネくれているから「そんな言い伝えなんて、客を呼ぶためなら、いくらでもでっち上げるっつーの」などと思っていたが、僕だってその場でそれを口にするほど野暮ではない。
あえて口車に乗ってみるのも一興である。
僕は「教会なんてどこも似たり寄ったりだろ」と思っていたので、挙式場所の選択は全て嫁の希望に任せ、当日を迎えるまでそれがどんな教会かを確認することは無かった。
またこの教会に限らず、僕はその時まで、どこかの教会の中に入ったことは一度も無かった。
(教会なんて、キリスト教の信者か、あるいは誰かの結婚式に招待でもされない限りは、まず行かない場所であろう)
ただ、僕が以前通っていた私立高校がキリスト教の教義に沿った教育をする学校だったため、高校の敷地内には礼拝堂があり、毎週月曜の朝は生徒全員がそこに集まって聖書を読んで礼拝をしたり讃美歌を歌っていたりしたので、僕の中では教会といえばこの礼拝堂のイメージなのであった。
やがて当日。
僕らは現地スタッフに、教会に隣接した駐車場まで車で連れて行かれ、そこで車を降りた。
見上げると、雲一つ無く、どこまでも青空が広がっていた。
そして目の前には、青く澄み渡った空を背景に、そのまま絵葉書にしてしまいたくなるような、小さくて可愛らしい素敵な教会……だったら良かったのだが、僕の第一印象は、「うわ、小っさ。公衆便所か?」というものだった。
高速道路のサービスエリアか何かで、駐車場の近くに外見がオシャレな公衆便所があったりするでしょ?
僕の印象は、まさにそんな感じ。
挙式の前にトイレにでも寄るのかと思っていたら、ここがその教会だと言う。
それがもう、僕の中では絶妙に面白くて、神聖な式だか何だか知らないが、以後の僕は終始ニヤニヤしっぱなしであった。
一方、このときの僕の様子が、嫁の目には僕がとても喜んでいるように映ったらしい。
嬉しい誤算というか、何というか。
事実としては、僕はただ「わざわざオーストラリアまで来て、公衆便所で挙式する」というシュールなジョークに、込み上げてくる笑いを抑えられなかっただけなのだが。
一応、この教会の名誉のために付け加えておくが、これは昔の話であり、また公衆便所というのは僕の個人的な感想である。
おそらく今はリニューアルされているであろう。
そう思いたい。
この時のオーストラリア旅行は僕にとって初めての海外旅行だったこともあり、他にも楽しい誤算が山盛りだったのだが、さすがにこれ以上書くのは怒られそうなので止めておく。
ところで、信長の嫁となった「帰蝶」という人物については、実は色々と呼び名があって、ときに胡蝶と呼ばれていたり、美濃の姫という事で「濃姫」とか「お濃」とも呼ばれていたとも伝わっている。
僕個人としては、帰蝶あるいは胡蝶という名前は優雅でハイカラな感じがする。(今どきハイカラなんて誰も言わないかw)
この時代にしてはセンスがいい。
語感からして、どこかミステリアスな印象を受ける。
つか、キャバ嬢みたい。
あいにく僕はお酒が飲めないので幸か不幸かキャバクラには縁が無いが、仮に僕がキャバクラに行ってこの源氏名を持つキャバ嬢が居たとしたら、僕はその人がどんな人か、すごく気になると思う。
こういう人は、もう名前だけで好きになりそうだ。
だが、この帰蝶という人に関しては、信長の妻となった事は有名であっても、それ以外の事がほとんど分からずじまいである。
例えば、どういう人物だったのか、とか、いつ亡くなったのか、等もよく分かっていない。
言うなれば、帰蝶という存在自体が蝶のように捉えどころがなく、まるで歴史学者たちを嘲笑うかのように、今も彼らの想像のお花畑をヒラヒラと舞っているのである。
……なーんて、綺麗にまとめようとしたら、かえってクサい文章になってしまった。
これじゃあ、蝶どころかハエが寄って来ちゃうな。




