雑記(1)
「これはダメかも分からんね」というのは、1985年8月12日に発生した日本航空123便の墜落事故で、墜落前にコントロールが効かない機体を必死に操縦しながら機長が言ったセリフである。
この事故の重大さを考慮すると、こんなフザけた引用をするべきではないのだが、機長といえば僕はこのセリフを思い出さずにはいられないので、つい書いてしまった。
もちろん僕はこの事故を茶化すつもりはないし、このセリフを言った機長を貶めるつもりもない。
大勢の客を乗せた機体が制御不能となる中、墜落する直前まで懸命に努力した機長は立派だと思っている。
これまでに僕は、流出してYouTubeに上がっているボイスレコーダーの音声を何度も繰り返し聞いているが、当時彼らが置かれた状況を想像すると、何度聞いても胸が痛む。
その一方で、亡くなる直前に経済評論家の森永卓郎が語っていたように、この事故には様々な隠蔽工作があったとされている。
墜落した場所はすぐに分かっていたはずなのに墜落場所の特定に時間がかかったとか、現場には夜間に自衛隊が到着していたのに乗客を救助せずに何かを探していたとか、証拠隠滅のために生きている乗客ごと焼き払ったとか、自衛隊の不祥事を隠蔽するために米国ボーイング社の修理ミスということにし、その代わりに米国からプラザ合意を押し付けられたとか、まぁいろいろだ。
原因究明のために完全なボイスレコーダー音声の公開を求めて遺族が訴訟を起こしたが、なぜか敗訴となってその中身が公表されなかったり、吹き飛んだ垂直尾翼を海中から回収すれば正確な原因を調査できるのにそれをしなかったり、それ以降、事故の原因となった修理ミスをしたはずのボーイング社の機体ばかりが購入されていたり、といった状況を考えると、これが普通の事故じゃないことは確かだろうと思う。
これに関してはネットに色々な動画が上がっているから、興味があればぜひ見て欲しい。
話を信長に戻そう。
織田信長は、斎藤道三の娘の帰蝶と結婚している。
天文17年(1548年)あるいは天文18年(1549年)の頃の出来事だ。
もちろん政略結婚である。
加納口の戦いを経て、信長の父の織田信秀と帰蝶の父の斎藤道三は同盟を結ぶ事になった。
信長と帰蝶は、同盟の証として縁組みされたのだ。
このとき信長は14歳、帰蝶は15歳であった。
同盟を結ぶ際、それぞれの子供同士を縁組させて互いの結束を図るというのは一般的な事であった。
やがて二人の間に子が産まれれば、それはお互いにとっての孫となる。
「子はかすがい」と言われるが、この時代では「孫がかすがい」になったのであろう。
いつの時代も、祖父や祖母が孫を可愛く思う気持ちは変わらないということか。
また話が逸れるが、昔、大泉逸郎という演歌歌手が『孫』というタイトルの演歌を歌って一躍有名になった。
これも、孫を可愛く思う世代の共感を呼んで支持された結果であろう。
(その一方で、この歌のヒットに触発されて、悪知恵の働くヤツがオレオレ詐欺を思い付いたとか付かないとか……)
ところで、相変わらず僕には演歌の良さが分からない。
若い頃は「たぶん歳を取ったら演歌の良さが分かってくるのだろう」なんて思ったりもしていたが、50代となった今でも、やっぱり演歌のどこがいいのか分からない。
そういえば、あの大物歌手の淡谷のり子も演歌嫌いで有名だった。
感性が僕と似ているのかも知れない。
だいたい僕には演歌なんて、どれをとっても似たような曲にしか聴こえない。
なんて言うか音階の移行が予測できるし、サビの盛り上げ方も歌い終わりの締め方も、どこかで聞いたような曲ばかりだ。
パターンが少ない分、AIに演歌を学習させるのは簡単であろう。
ついにAIが演歌を無尽蔵に作曲する時代が来たのだ。
一応僕も、演歌の作曲だったら即座に出来る自信がある。(売れるかどうかは別問題だが)
いや作曲どころか、演歌っぽく歌うだけなら歌詞を見ただけで即興で出来る。
いっそ、履歴書の肩書きに「演歌の作曲家」と書いてしまおうかと思うくらいだ。
残念ながら、誰も作曲を依頼しては来ないが。
何ならついでに作詞も出来る。
つーか、作詞なんて誰でも出来るだろ。




