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雑記

織田信長は天文3年(1534年)5月に尾張(おわり)の国(現在の愛知県相当)で産まれた。

会話をしているのは、織田信秀と、彼に仕えている平手政秀である。


この織田信秀が織田信長の父なのだ。

「信長」というくらいだから、信長が信秀の長男なのかと思いきや、実はそうではなく、信長の上には信広という兄がいた。


ただ、この信広は側室(妾)の子であったために、家督継承における地位は低く、お世継ぎとしての見込みがなかったのである。


一方、信長は信秀の継室(正室の後妻)の第一子である。

信秀は正室(正式な妻)との間に子が無かったために、彼が産まれた時点で家督継承位の筆頭となった。


つまり、織田家のお世継(よつぎ)がここで誕生したのだ。


このように、正室の子と側室の子との間には雲泥の差があり、また、長男と次男との間にも雲泥の差があった。


基本的には、先に産まれた者勝ちである。


僕がまだ小さかったころ、「双子の兄弟の場合、先に産まれた方が弟で、後に産まれた方が兄になる」とどこかで聞いた事があって、これまでずっとそう思ってきたのだが、今ネットでググッてみると、どうやらこれは間違いで、やはり先に産まれた方が兄になるということのようだ。


昔はネットが無かったので、このような迷信めいたデマが出回っても(ダジャレかw)、その真偽を誰もすぐに確かめられずに、広まってしまったのかも知れない。


もう一方の登場人物である平手政秀は、織田家の家老を務めた人物だ。織田家のブレーン的な存在であり、信長の教育係という側面も持っていたようだ。


現代で言えば、織田信秀が社長なら、平手政秀は専務といった感じであろう。昔の新日本プロレスで言えば、社長がアントニオ猪木なら平手政秀は坂口征二か山本小鉄といったところであろうか。


話がマニアック過ぎて(しかも古過ぎて)伝わらないだろうが。


ちなみに、会話に出てきた「ツッチー」は、織田信長の実母(信秀の継室)の土田御前を指している。


土田御前は「つちだごぜん」ではなく、「どたごぜん」と読むという説もあるらしいが、僕としては「つちだ」と読む方がしっくりくるので、勝手に「つちだごぜん」だと思い込んでいるが、まぁ読み方なんてどっちでも構わない。


僕は、歴史上の人物名は表記がすべてであって、読み方なんてどうでもいいと思っている。

なぜなら(これは時代にもよるが)、当時その表記がどのように読まれていたかなんて、誰にも断言はできないからだ。


結局は推測でそのように読んでいるに過ぎない。


「織田」だって当時は「おだ」ではなく「おた」と読んでいたという説もある。

「浅井」にしても、昔は「あさい」と読んでいた気がするが、今では「あざい」と読むのが正しいとされているらしい。


だったら「浅野」は「あざの」じゃねーのかよ、とツッコミを入れたくなる。


なぜ「浅井」を「あざい」と読み、「浅野」を「あさの」と読むのか。

どの教科書にも、その根拠は書かれていない。


まぁでも、だからと言って土田御前が平手政秀から「ツッチー」なんて呼ばれていたはずは無いのであるが、どうせこの作品は史実を題材にした創作なのだから、何でもアリである。


僕はいつも、デタラメばかり書いている。

話を鵜呑みにしてはいけない。

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