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変食さんと私  作者: 黒月水羽
第一幕 席に着く
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1-1 空腹

 連れてこられた小さなガキを見て、最初に抱いた感想はこれは長生きできないだった。せっかくの新入りだが期待外れ。顔色は悪いし、体は小さい。ろくに食べていないのが見ただけで分かる。気も小さいのかこちらを見る目は怯えきっている。

 すぐ死ぬと分かっている奴の面倒を見るほど暇ではないし、さっさと帰してしまおうか。そうも思ったが、こんな成りで大成する可能性もないとは言い切れない。念のため。そんな軽い気持ちで眺めた未来に、笑う自分の姿を見つけた俺は、柄にもなく動揺したのだ。

 


※※※



 ぐるきゅぅ〜。という大きな音に、教室中の視線が集まった。中学生の子供達だけでなく、黒板に文字を書いていた教師までもが音のした方を振り返る。


 視線の先にいたのは大人しそうな印象の少女。周囲のクラスメイトと比べても小柄な体型。額を開けていることではっきりと見える瞳はねむたそうで、守ってあげたくなるような愛嬌がある。

 そんな少女は自分のお腹をじっと見つめたまましばし固まり、顔をあげると同時に片手を上げた。


「先生、お腹がすきました」

「お腹の音でわかります」


 大人しそうな印象に反してハキハキとした物言いに教師は額をおさえた。途端に教室は笑い声に包まれる。先程までの静かな光景が嘘のように沸き立つが、このクラスではこれは日常風景と言えた。


「藤堂さん……もう少し我慢できないの?」

「これでも我慢したんです。限界です」


 少女こと藤堂千春とうどう ちはるは教師の言葉に形の良い眉を寄せ、お腹を両手で抑えた。千春の言葉を補足するようにお腹が空腹を主張する。それにクラスメイトたちはさらに笑い、一人の女の子が手をあげた。


「先生、藤堂さんをこれ以上我慢させるのは可哀想です。それにうるさくて授業に集中できません」


 長い髪を巻いた女の子――森田がフォローしているのか貶しているのか分からないことをいう。その言葉に教師は顔をしかめたが、言われた千春はなに食わぬ顔で頷いた。


「先生、私もこれ以上我慢できませんし、みんなの授業を邪魔できません」

「……あなたは食べたいだけでしょう……」


 真剣な顔で千春は主張しているが、教師には本音がバレバレだ。大人しそうな外見と小柄な体躯からは想像できない千春の食欲はこのクラスでは常識であり、教師の悩みのタネでもある。だからといって我慢させると森田のいう通り、ずっとお腹がなり続けて授業にならない。


「いいわ。食べてらっしゃい。食べたらすぐ戻ってくるのよ」


 教師は諦めた顔でそういうと額に手を置いてため息をついた。新学期に比べてやつれたように見える教師に申し訳無さを覚えつつ千春は机の脇にかけている食料袋を持って立ち上がる。


「先生、いつもすみません」

「……藤堂さんも厄介な体質ねえ……」

「お医者さんがいうには、今まで食べられなかった分を取り戻そうとしてるみたいです」


 教室のドアに手をかけながらいった千春の言葉に教師は動きを止めた。哀れみと困惑の混ざった視線を千春に投げるが、千春はそれを軽く受け流して教室を後にする。背後からクラスメイトの文句が聞こえた気がしたが、それも聞こえないふり。


「お腹すくのはどうにもできないもの」


 ドアを閉めた千春は自分のお腹をひとなでした。自分でも食べたものがどこに入っているのか不思議に思うほど薄い体。伸びない身長。それでも体は食事を欲して、お腹がすいたといつも千春を急き立てる。我慢しようとしたって無理なのだ。食べることは生きるための本能だから。


「食べられない奴は死ぬだけだ」


 ポツリと千春はつぶやいた。昔誰かに、何度も言われたような気がする言葉。しかしそれを誰に言われたのか千春は思い出せない。思い出せないけれど、いつも自然と千春の口からこぼれ落ちる。お腹がすいている時は特に。


「どこで食べようかな」


 気分を入れ替え千春は歩き出す。

 トイレは嫌だ。でも目立つところでのんきに食べていたら他の教師になにを言われるか分からない。担任は千春の事情を知って大目に見てくれるが、すべての人が同情してくれるわけではない。


 藤堂千春は生まれつき体の弱い子供だった。小学校には通ったことがなく、病院から出たことも数えられるほど。ずっと病院食ばかり食べていて退院するまで普通の子供が好むものを一切食べられなかった。

 お菓子もダメだし、ジャンクフードもダメ。テレビで特集されるような甘いスイーツなんて実物を見たことすらなかった。


 そんな状況が一転したのは数ヶ月前。ある朝目覚めると体が妙に軽いことに気づいた。動かしにくかった手足も自由に動き、顔色もよくなっていた。検査してわかったのは一夜にして体に巣くっていた病魔が消え去ったこと。

 これには医者も驚いた。原因は分からず、最後まで首を捻っていた。それは奇跡としか表現できないことだった。


 おかげで千春は一生出られないと思っていた病院から出ることができ、諦めていた学校にも通うことができるようになった。これからは健康な普通の子供として生活ができる。

 そう思っていたのだが、病気の弊害は意外なところで現れた。


 異常な食欲。それが今、千春を悩ませている。


 これに関しても原因は不明。いくら調べても千春の体は長く病気を患っていたとは思えない健康体。精神的な影響かとも言われたがこれといった心あたりもない。

 最終的には病院にずっと閉じ込められ食事を制限されていた影響から心身共に食べることを欲しているという非常に曖昧な結論に落ち着いた。それで納得する他なかったともいえる。


 それでも病院のベッドから出られないよりはマシである。両親もたくさん食べられるようになったことを喜んで嫌な顔一つせず、千春にたくさんの食べ物を用意してくれる。

 治療費にお金をかけるよりずっといいと笑った両親の顔を思い出して、千春は親孝行せねばと思った。

 

 そんなわけで、今日も両親が用意してくれた大量の菓子パンを人通りのない階段に座って食べる。授業中なのにという罪悪感は何度も繰り返すうちに消えた。お腹が空くものはどうしようもないのである。


 もぐもぐと口を動かす。表面はサクサク、中身はふんわりなメロンパンを頬張りながら、少しずつ満たされるお腹を撫でる。空腹から解放された満足感で千春は息を吐く。

 しかし……。


「足りない……」


 お腹を撫でる。たしかに食べたものがお腹に入っている感覚がする。しっかりとお腹は満たされているし、もうお腹だってならない。それなのにいつも思う。なにかが足りないと。


「お腹すいたなあ……」


 授業中、人気のない階段に座ってお腹を擦りながら千春はつぶやいた。弱々しいその声は反響することもなく消えてなくなる。それに千春は顔をしかめた。


 食べても食べてもなにかが足りない。満たされない。違う、これじゃないと心の奥のなにかが訴える。もしかしたら自分が求めているのは食べ物ではなく、もっと別のなにかなのかもしれない。そう千春は思っても、それが何なのか分からない。

 ため息をつくと膝を抱えて顔を埋める。食べたら早く戻ってきなさいと言われたけど、教室に戻る気にはなれない。


「お腹すいたなあ……」


 こぼれ落ちた言葉が自分が思う以上に寂しそうで、千春は少しだけ泣きたくなった。

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