6話 その提案をお受けしたく存じます
まるで呼吸でもするかのように彼がサラリと告げた言葉は、私の理解の範疇を超えていた。
「け、結婚? 私と公爵様がですかっ……?」
聞き間違いではないだろうか。
激しく動揺しながら尋ねる。
すると、公爵様は間違いではないと強調するかのように、私から目を外すことなく頷いた。
先ほどの口調とは正反対の、深く重い頷きだった。
「どうだろうか?」
「どうと言われましてもっ……。なぜ、その結論に?」
まったくもって分からなかった。
彼は冷徹な人だと聞く。もしその話が本当ならば、落ち着いて物事を見通せる人のはずだ。
しかし、今の彼の発言は血迷った人の言葉としか思えなかった。
すると、私のその戸惑いを察したのだろう。
公爵様は長い足を組み直し、落ち着き払った様子で口を開いた。
「白い結婚とはいえ、あなたは夫である侯爵と7年も同居していた。よって、恐らくルースティン侯爵家より良い嫁ぎ先には巡り会えない可能性が高いだろう」
確かにその通りだった。
いくら白い結婚が保証されるとはいえ、結婚歴が無い同年代の令嬢の方が、配偶者として求められやすい。
それに、問題が無い家ほど高い理想基準を設けるのだ。
否が応でも、己の立ち位置を実感せざるを得なかった。そんな私は、焦燥に駆られながら彼の話にさらに耳を傾けた。
「一方、私も婚約破棄をしたことで婚約者を失った。だが、その代わりとなる令嬢もいない。よって、クローディア公爵家が他家門よりも良い嫁ぎ先とは断言できないが、あなたに結婚を提案したのだ」
つまり、余り者同士で結婚しようということよね。
確かに彼からすると、元婚約者と同い年の侯爵令嬢の私は、結婚相手に都合がいいのかもしれない。
彼女の穴を埋める代替として、私はまさに手っ取り早くうってつけだったということなのだろう。
「そういうことだったのですね……」
彼の提案は非常に合理的だった。
結婚をして家門を存続させることも、貴族の大事な義務の1つだ。それを、私たち2人で果たす方法を彼は提示したのだ。
正直なところ今の私が結婚できる人は、かなり上に年が離れた人か、家門の資金繰りが厳しい人というのが無難な結論だった。
もしそれがどうしても嫌ならば、私に残された道は修道女になること……。
そう考えると、彼と私が結婚することは非常に理に適った良い手段のように思えた。
公爵様は厳しい人だとは聞くが、後ろ暗い噂は1つも聞いたことが無い。
それに、利害の一致による結婚だから、公爵様も利を損なうようなことなどしないはずだ。
背に腹は代えられない。
最終的に、私は自身の本能的な判断力にかけてみることにした。
「っ……その提案をお受けしたく存じます。ですが……」
もしそうするのであれば、私にはなおさら解決せねばならぬ問題が立ちはだかっていた。
「だが、どうした?」
「実は、父が離婚を認めてくれず、離婚状にサインをもらえていない状態なのです。そのため、未だに離婚できずにいまして……」
冷静に伝えるつもりだったが、やはり悔しさが込み上げ奥歯を強く噛み締める。
すると、公爵様は片眉を上げる以外は表情を一切変えず、淡々とした様子で声をかけてきた。
「もう一度確認するが、私との結婚を受けてくれるのだな?」
「は、はい……? 可能であればですが……」
どうして再びそんなことを? と首を傾げる私に、公爵様がこれまた真顔のままで言葉を続けた。
「それならば私が侯爵家に赴き、メルディン侯爵を説得しよう」
◇ ◇ ◇
――本当にお父様を説得できるのかしら?
私は落ち着かない気持ちを抱え、隣に座るその人の言葉に耳を傾けながら、正面の人物に目をやった。
「つまり、離婚したら公爵様がうちの娘と婚姻を結んでくださるということでしょうか?」
お父様は権力者センサーが働いた様子で、公爵様の話を食い気味に聞いている。その姿は、本当に恥ずかしく情けないものだった。
しかし、公爵様は気にする素振りすら見せず、理路整然と応答した。
「はい、左様です。そのため離婚状にメルディン侯爵のサインをご一筆いただきたいのです」
すると、公爵様の話にうんうんと相槌を打っていたお父様が、突然満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「もちろん書きますとも! 何なら今ここで書きましょう。ほら、レオニー。早く持ってきなさい」
そう告げられ、私は本当に離婚状を部屋に取りに行った。そして離婚状を持ち談話室に戻ると、あんなにいつも険しく眉間に皺を寄せていたお父様が、満面の笑みで私を出迎えた。
「レオニー。さあ、それをこちらに」
「はい」
離婚状を差し出したところ、お父様は奪うかのごとくめいっぱい腕を伸ばして手に取り、それはご機嫌な様子でサラサラとサインを綴った。
どれだけ頼んでも書いてくれなかったのに、それはもう呆気なく。
――こんなにすんなり書くなんて……。
安心の反面、ただただショックだった。
実の娘である私の人生がかかった切願よりも、お父様にとっては体裁や利益の方がずっと大事だと分かったからだ。
このことは、お父様にはこれから一切期待してはならないという、大きな学びにもなった。
「クローディア公爵、これでいいですかな?」
「はい。ありがとうございます」
「いえいえ、とんでもない。では、この離婚状を教皇庁に提出し次第、すぐにでも結婚を――」
「ちょっと待ってください」
私はお父様が言わんとすることを察し、言葉を続けた。
「私たちは少なくとも半年は結婚できませんよ」
「は? どうしてだ!?」
私の言葉にお父様は疑問の声を漏らした。目を見開いて、驚愕している様子だった。
まあ、無理もない。
私も今回離婚するにあたって、家の蔵書室にある法学書を読んで調べるまで知らなかったもの。
女性の離婚に縁の無いお父様が知らないのも、ある意味当然だった。
「女性は離婚後、一律半年は再婚が禁じられているのです」
「聞いたことが無いぞ? 男は離婚した次の日でも――」
「だから、女性はと言っているのです」
私がそう告げるも、お父様は未だに信じ難いと訝しげな眼差しを向けてくる。
だが、そんなお父様に対し公爵様が補足を加えた。
「彼女の言う通りです。離婚後半年間、女性は一律再婚を禁じられております。そこである提案があるのですが……」
公爵様の視線が、お父様から私に移ろった。
私への提案ということだろうか?
「どうされましたか?」
「その半年間、我がクローディア公爵家で過ごすのはいかがですか? もちろん任意ですが、いずれともに暮らすことになりますので」
突然の提案に何と答えようか考えていると、そのわずかな隙にすかさずお父様が口を開いた。
「よろしいのですか!? いやぁ、助かります! 実のところ、兄夫婦もいますし、皆、この出戻り娘の存在が煩わしく困っていたのです。ぜひ、よろしくお願いいたします!」
今日一の笑顔を浮かべるお父様を見て、虚しさとともに涙が込み上げそうになった。
私がいったい何をしたというのだろうか。
どうして、これほどまでの言い方をされないといけないのだろうか。
怒りや悲しみとともに涙が溢れそうになる。
しかし、私はそれを表には出さず、必死なアルカイックスマイルで平気なフリを続けた。
そのとき、顔色一つ変えずにお父様と話していた公爵様が、私を見つめ続けていることに気付いた。
そして、私と目が合うと同時に公爵様が声をかけてきた。
「あなたはどうしたい?」
……初めて私を見てくれる人がここに居ると思った。
すると、自ずと私の口から言葉が零れ落ちた。
「その提案をお受けしたく存じます」
私のその答えを聞くと、公爵様はほんのわずかに口元に笑みを湛えて一度深く頷いた。
かと思えば、彼は再びお父様に視線を戻し、ゾッとするほど冷ややかな眼差しを向けて告げた。
「それは良かった。ここに居ては彼女に毒ですから。……この家の誰よりも、彼女を大切にすると約束しましょう」