5話 届いた手紙
私が家に戻ると、メルディン侯爵家は騒然とした。
「レオニー、どうしてここに!?」
「連絡も無しに来るなんて、今までなかっただろう?」
「何かあったの?」
完全に日が沈みきると同時に家に着いた私に、出迎えたお母様とお兄様、お兄様の妻のセシリー様が、驚きと心配の両方が混じった声をかけてきた。
だが、ここで説明するわけにはいかない。
私は彼らの質問に答える代わりに、最重要人物の居場所を尋ねた。
「お父様はどこかしら?」
「書斎にいるはずだけれど……」
良かった。
3人には、お父様に話してから説明しよう。
「お父様に話があって来たの。急いでいるから、悪いけど3人への説明は後にさせてちょうだい」
私はそれだけ伝えて、何ごとかと混乱している様子の3人を背にお父様の書斎へと向かった。
――サイン……してくれるわよね。
この国の貴族女性は、夫のほかに出身家門の領主の許可が無ければ離婚は出来ない。そのため、私が離婚するにはお父様の離婚承認サインが必須だった。
だからこそ、私はこんなにも急いでメルディン侯爵家に帰ってきたのだ。
しかし数分後、私の期待は見るも無惨に砕け散った。
「サイン? するわけないだろう。政略結婚なんだぞ?」
「でも、プリムローズ嬢は妊娠しているのよ? それに、政略的意義はほぼ無いも同然じゃない」
「はあ……。後見人を任せられたのに、放棄する奴と見なされるじゃないか。トル公爵家には抗議をしておく。とにかく、私は離婚には反対だ。認知を拒否して、結婚生活を続けたらいいじゃないか」
お父様はどこまでも利己的な人だった。
娘がこんな状況に置かれていると知ってもなお、この態度なのだ。
少しでも期待した私が馬鹿だった。
よく考えたら、10歳の娘の結婚を勝手に相談もなく決めてきた人だ。
最初から期待するだけ無駄だった。
「そんなの絶対に嫌よ。お父様がサインをくれるまで、私はここに居ますから」
「滞在は許可するが、ほとぼりが冷めたら帰りなさい」
「いいえ、絶対に帰りません。サインをもらいます」
私が負けじと言い切ると、お父様は面倒くさそうに感じ悪くため息を吐いた。
「誰に似てそんなに頑固なんだ? 優しいその顔のような性格だったら良かったのに……」
「顔はお母様似ですが、きっと頑固さはどこかの誰かさんに似たのでしょう」
私がそう言うと、お父様は困り果てた表情になり、しっしと手を払って私に退室を促した。
「明日また来ます」
◇◇◇
――どうしてこんなにもサインをしてくれないの?
私は帰って来た日から、毎日お父様に承認のサインを頼んでいた。
しかし、お父様は頑なにサインをしてくれなかった。
お母様たちも私が帰ってきた理由を知ると、最初こそ味方をしてくれた。
だというのに、1週間も経てば私が実家に居続けることに、微妙な顔をするようになっていた。
どうも、私が居ない7年間に慣れていること。3年前に結婚してから同居しているセシリー様に、気まずい思いをさせていることがその理由のようだった。
確かにセシリー様には申し訳ないと思う。
だけど、私だって人生が懸っているのだ。
彼女の気まずさを理由に、簡単に折れることなど出来なかった。
「そんなに私が間違っているというの? 私が離婚しようとすることは、そんなにもいけないこと?」
ついに今日、私はお兄様に呼び出されて離婚を諦めろと言われた。政略結婚なのだから割り切って考えろ、あちらの使用人たちも困るだろうとも。
確かに、一理ある言葉だった。
しかし、どうしても私はその言葉を受け入れられなかった。
「私が皆を困らせているの……?」
誰の返事も返ってこない実家の客間の椅子に座り、私は目に溜まる涙が流れぬよう天を仰ぎ両手で顔を覆った。
カシアス様の相手が平民や流浪の踊り子ならまだしも、歴史ある公爵家の令嬢が母で、しかも産まれてくる子どもは当主の第1子。
そうとなれば、いくら正妻の子でなくとも、認知していなかったとしても、トラブルの元になるのは明白だった。
そんなトラブルが生じるのを分かったうえで、その苦労を私のまだ生まれぬ子どもに強いるようなことはしたくなかった。防げるのなら、防ぎたかったのだ。
それに、私の想いを知りながら、私との初夜を迎える前にプリムローズ嬢と不貞を働いた彼が、今はとても気持ち悪い人のように思えて仕方なかった。
――それなのに、どうやって彼とこれから夫婦生活を送れというの?
絶対に嫌よ。
「はあ……希望が無さ過ぎる……」
あまりの味方のいなさ加減を痛感し、思わず独りで嘆き声を上げた。
私の抱える問題に対して、味方でいてほしい人たち皆が他人事すぎるのだ。
「……私自身も、どうしてこんなにも非力なの?」
そう呟くとほぼ同時に、小気味よく扉をノックする音が聞こえた。誰だろうか。
「お入りください」
「失礼いたします。お手紙をお届けに参りました」
入室してきたメイドの言葉を聞き、嫌な予感が過ぎった。この家へ私宛の手紙を届ける人なんて、1人しか思いつかない。
「カシアス様からでしょうか? 捨てておいてください」
一封の手紙を手に持ったメイドは、私の言葉を聞くと慌てた口調で訂正を入れた。
「ルースティン侯爵様からではございません」
「えっ、では誰からです?」
「送り主の名はありませんが、この蝋封の紋章は……クローディア公爵家のものです」
「クローディア公爵家?」
クローディア公爵といえば、プリムローズ嬢の婚約者の家門だ。
もしかして、公爵様からの手紙なのかしら?
「では、受け取ります。ありがとう」
私はキュッと口角を上げて笑うメイドから手紙を受け取り、彼女が退室してから封を切った。
すると、中から美しい字体で綴られた手紙が出てきた。
【重要な話があるため、一度会って話す機会を設けてほしい】
ざっくりまとめると、そんな内容だった。
手紙の文末には、これまた流麗にクローディア公爵であるシャルリー・クローディアの名が綴られていた。
いったい彼は会って何を話すつもりだろうか。
私と彼の共通点と言えば、この不貞の被害を受けたこと。
きっと、それに関する話だろうということだけは、予想を立てることができた。
――一度だけなら、会ってみましょうか。
私は先ほどのメイドに頼んで手紙を用意してもらい、彼へ了承の返信を送った。
◇◇◇
私はクローディア公爵邸に向かっていた。
公爵様が、わざわざメルディン侯爵家に馬車を遣わせてくれたのだ。
その道すがら、私は今から会う公爵様に関する情報を、脳内でかき集めていた。
私が知っている公爵様の情報は、仕事の手腕は素晴らしいものの、冷血、冷酷、冷徹の三拍子が揃った性格がゆえに、氷の公爵という異名を持っているというものだった。
あとは、銀世界を溶かし込んだかのような美しい銀髪に、紺碧の瞳を持つ綺麗な顔立ちの人という情報を持っているくらいだろうか?
同じ社交の場に参加していたこともあったが、話す機会など無かった私は、情報といえるほど公爵様の情報を持っていなかった。
「今日はどういったご用件で私を呼んだのかしら?」
公爵様からの大事な話というものに未だ見当がつかず、私はずっと考え事をしながら馬車に揺られていた。
そうしていると、いつの間にか私はクローディア公爵邸に到着していた。
馬車を降りると、背が高く物腰柔らかいアルベールと名乗る男性が出迎えてくれた。
そして、私はその彼の案内に従い、公爵邸のある一室の前へとやって来た。
「そんなに緊張なさらなくて大丈夫ですよ。シャルリー様は面白い方ですから」
「そうなのですか?」
「はい。このアルベールが保証しましょう!」
――保証も何も初対面でしょう?
そう思いながらも、私は胸を張り調子の良い発言をする彼に少し救われた気分になりながら、公爵様がいるという部屋に入室した。
「よく来てくれた。そこにかけてくれ」
部屋に入るなり、カシアス様よりも背の高い美麗な面立ちの男性が私を出迎えた。
「し、失礼いたします」
私はその顔を見て少し背筋を伸ばしながら、言われるがまま椅子に腰かけた。
すると、公爵様も椅子に座り口を開いた。
「私は決して面白い人間ではないが、先ほど案内をしていた男が言っていた通り、緊張する必要はない。どうか楽にしてくれ」
「は、はい……」
聞こえていたのかと内心ひっそり驚きながら、私は改めて公爵様に向き直り声をかけた。
「公爵様、大事なお話があると伺いました。お聞かせ願えますでしょうか?」
「ああ、その話をしたいところだが……その前に、互いが知っている情報の擦り合わせをしたい」
公爵様の提案は、至極真っ当なことだった。
こうして、私たちは互いに情報のすり合わせをし、2人の不貞と妊娠を知っていることと、私が実家に戻っているという情報を共有した。
すると、ほぼ無表情に近い公爵様が、不思議そうに首を傾げて訊ねてきた。
「ところで、離婚状を教皇庁にまだ提出していないようだが、本当に離婚するつもりはあるのだろうか?」
すごい。公爵様となれば、情報収集の伝手もレベルが違うのね。
「はい、もちろん離婚するつもりです。絶対に離婚します」
今の状況でこう答えるのはどうかとも思ったが、曲げない意思があると誰かに知ってほしくて、公爵様に断言しきる形で伝えた。
もっとこの本気度が伝われという思いで、彼の目をジッと見つめる。
すると、公爵様が真顔のまま再び口を開いた。
「そうか、あなたの離婚の意志は十分に伝わった。なら本題に入れる。実は今日、あなたを呼んだのはある提案があったからだ」
「提案……ですか? どういったものでしょう」
もしかして、彼らへ一緒に復讐しようとでも言われるのだろうか。
それなら死んでもごめんだ。
私はどんな形であろうと、もう金輪際2人に関わりたくなかった。
――もし復讐目的だったら断ろう。
何を言われるのかと、自ずと膝上で重ねた手に力が入る。彼はそんな私の手を軽く一瞥した。
その後、真っ直ぐな瞳で私の目を見つめながら、その提案とやらを口にした。
「私たち2人で結婚しないか?」