19話 父と子の秘密の約束
陛下の命により、兄であるレグルスがメルディン侯爵の座に就いた。
そのことが正式に認定された明くる日、本人からもその旨を綴った手紙が届いた。
かつては私を守ってはくれなかった兄。
だが、守るべき者が増えて、彼の心にも何らかの変化があったのだろう。
再び交流を深める気などは毛頭ないが、今回ばかりは兄に感謝する場面もあった。
私は兄宛てに建前上の感謝の手紙を綴り、侍女のリタに頼んで送ってもらった。
「ふう……。騒動が一段落ついて良かったわ」
しかし、ふと脳裏に別の思いが過る。
――シャルリー様には、本当に迷惑をかけてしまったわ……。
私の家のことに、こんな形で彼を巻き込んでしまうなんて。
過ぎたことはどうしようもできない。
だからこそ、これからの働きで彼に報えるよう私は今以上に頑張らなければ。
私は気合を入れ直して、溜っていた執務に手を付けたのだった。
◇ ◇ ◇
レオニーが仕事に打ち込み始めたその頃、シャルリーは仕事の合間を縫ってフェリックスの部屋にやって来ていた。
椅子に座り、出迎えてくれたフェリックスを自身の膝上に乗せる。
すると、フェリックスが不思議そうにシャルリーに訊ねた。
「ねえねえ、パパ。なんだかママの元気がないの。どうしてか知ってる?」
息子の鋭い指摘に、シャルリーは顔には出さないながらも軽く動揺した。
心当たりはあるが、その理由は息子に到底言えるものではない。
それに話すつもりもない。
そのため、シャルリーはとりあえず当たり障りのない言葉を返してみることにした。
「どうしてそう思ったんだ? パパにはママが元気に見えるぞ?」
気のせいだったと思わせる印象操作のような返答になり、若干の申し訳なさを感じてしまう。
だが、今回ばかりは致し方ない。
そう思っていたのだが、フェリックスはシャルリーに予想外の言葉を返してきた。
「ママが泣きそうな顔でため息吐いてたんだ。だから、元気ないのかなって」
ちょっと待ってくれ。
今の言葉はあまりにも聞き捨てならないだろう。
シャルリーは息子の言葉に、内心では酷く驚きながら口調だけは冷静に問いかけた。
「いつそんなお母様を見たんだ?」
「こないだアルベールとかくれんぼしてるとき!」
「お母様の部屋に行ったのか?」
「うん! だけど、悲しそうにしてたから入らなかったんだ……」
レオニーはフェリックスの前だけは笑顔を絶さず、明るく振舞っていた。
だが、こうして見抜かれていたとは。
子どもは大人たちの心の機微に鋭いとも聞く。
ここで下手な嘘を吐くことは、フェリックス相手には得策ではないだろう。
シャルリーは瞬く間に考えを張り巡らせ、ひとつの結論を叩き出した。
「フェリックス、教えてくれてありがとう。その時、確かにお母様は少し元気がなかったみたいだな。そっとしてあげたのは、とても賢明な判断だったと思うぞ」
「けんめい……?」
「賢いお利口な子ということだ」
たちまち、フェリックスが誇らしげな顔になる。
その表情が消えぬうちに、シャルリーはさらに続けた。
「ところで、フェリックス。この間、お父様と一緒に話したことを覚えているか?」
「パパとのお話……?」
しばらく忙しくしていたから、フェリックスも忘れてしまったのかもしれない。
シャルリーは切なさを覚えつつ、フェリックスにヒントを与えた。
「ふたりだけの秘密の話だ。約束したことがあっただろう?」
そう言うや否や、フェリックスは瞬く間に目を輝かせ、小さな声で叫んだ。
「あっ! ママの誕生日!」
「フェリックス、よく覚えていたな」
「うん! パパと一緒にお祝いしようってお話したよね!」
嬉しそうに微笑むフェリックスの頭を優しく撫でる。
ふわふわとした羽毛のような髪の毛の感触に、たちまち浄化されるかのように心が癒えていく。
レオニーはいつも、フェリックスはシャルリーに似ているという。
だが、シャルリーが見るフェリックスには、自身に似ながらも、しっかりとレオニーの面影が感じられた。
気付けば、フェリックスが生まれてから早四年も経つ。
その月日の中で、レオニーの誕生日をフェリックスと準備するのは今回が初めてのことだ。
愛する妻との間に生まれた子どもの成長を、こうして傍で見守れることに、シャルリーの心には何とも言えぬ幸せが込み上げる。
――これも何もかも、全部レオニーがいてくれるおかげだな。
改めてレオニーの存在の大きさを痛感すると同時に、シャルリーの心には彼女を励ましたいという想いが溢れた。
「フェリックス。ふたりでお母様を元気にしてあげよう」
「まかせて! ぼくとパパの力を合わせて、ママを驚かせようね!」
「ああ。じゃあ、さっそく今からお父様とふたりで買い物に行こう」
「本当に!? やった~!」
フェリックスはそう言うと、シャルリーの顔を見上げながら、屈託のない太陽のような笑みを浮かべた。
こうして、クローディア家の男ふたりのレオニー生誕祭の準備が幕を開けたのだった。
◇◇◇
「ママ! ぼく満点とったよ!」
フェリックスが部屋にやって来るなり、嬉しそうにいつもの報告会を始めた。
その後ろから、微笑ましげに目を細めるシャルリー様が現れる。その姿を見ると、ホッと気持ちが軽くなった。
父との関係を断ち切ったあの日から、気付けばおよそ半月が経った。
シャルリー様はあの日以来、仕事が落ち着いたこともあり、フェリックスと日中をともに過ごす時間を増やしてくれている。
私が何か用事をしている時に、ふたりで何やら楽しそうに過ごすことも多くなったみたいだ。
私は親とそのような時間を過ごしたことなど一切ない。
だからこそ、こうしてフェリックスと向き合ってくれるシャルリー様に、心から感謝していた。
「最初は難しそうだったけれど、あっという間にできるようになったのね! 諦めずに挑戦してえらいわ」
よく頑張ったわね、と付け足してフェリックスの頭を撫でる。
すると、嬉しそうにはにかむフェリックスが「そうだ!」と何かを思い出したように声を上げ、シャルリー様に駆け寄った。
かと思えば、シャルリー様からとある紙を受け取ったフェリックスは、それを私へと差し出した。
「ママ、これ受け取ってくれる?」
「何かしら? これはお手紙?」
フェリックスが促すまま受け取ると、彼は慌てた様子で続けた。
「それはぼくとパパが出て行ってから見てね!」
「そうなの? わ、分かったわ……」
「うん! じゃあもう行くね!」
そう言うと、フェリックスは無邪気な笑みを浮かべ、シャルリー様の手を取り去っていった。
ふたりが出て行ったということで、私は早速渡された封筒を開ける。
中には、何やら文字が書かれたカードが入っているようだ。
――さてさて、何が書かれているのかしら?
カードを取り出し視線を落とす。
すると、そこには意外な言葉が綴られていた。
「しょうたいじょう……?」
おそらく招待状と題されたカード。そこには、私の誕生日が書かれていた。
シャルリー様とフェリックスのふたりで、私の誕生日を祝おうとしてくれているのかしら。
もしそうだとしたら、フェリックスにお祝いしてもらえるのは初めてのこと。
そう意識した瞬間、曇り空のような私の心は、魔法にかけられたかのように一気に華やいだ。
――こんなことを考えていてくれたなんて。
楽しみだわっ……!
誕生日まで、あと三日。
私は期待に胸膨らませて、その日が来るのを一日千秋の気持ちで過ごしたのだった。