18話 断ち切るしがらみ
私の言葉を聞くと、陛下は顔色を戻し、寛容にも頷きを返してくれた。
「うむ……申してみよ」
「ありがとう存じます。早速ですが、こちらをご覧いただけますでしょうか」
私は側に控えていたアルベールから紙を受け取り、陛下に見えるよう差し出した。
「これは契約書か」
そう呟くと、陛下は黙々と内容を読み進める。
陛下が視線を運ぶその動きに合わせ、内容を知らないはずだが、父の顔色はどんどん悪くなっていく。
――大方の予想がついたんでしょうね。
この契約書は、父とクローディアの接触禁止に関する取り決めについてまとめられたものだった。
業務外にクローディア公爵家にかかわらないこと。
特に、フェリックスには絶対に接触しないこと。
加えて、私が手切れ金として突き返したルースティンからの慰謝料を返すという内容が綴られている。
もとより、慰謝料は手切れ金としたつもりだった。
しかし、一切その機能をはたしていないため、それなら本来の持ち主が慰謝料を手にするべきだと、シャルリー様が契約書の内容へと強制的に捻じ込んだのだ。
陛下は読み進めるたびに、徐々にその顔を険しくしていった。そして、読み終えるなりギロリと厳しい眼差しを父に向けて言った。
「娘の慰謝料も私物化していたのか」
「あれはレオニーが良いと――」
「だとしても、それを断るのが親だろう。そなたは特段、金に困っているわけでもあるまいっ!」
陛下のその一喝に、父上の顔色が一層悪くなる。
だが、私はその様子を無視して陛下に話しかけた。
「陛下の前で、父にこちらの契約書にサインさせたいのです。また、恐れながら陛下にはこのサインの証人になっていただきたく存じます。お願いできますでしょうか?」
「もちろんだとも」
陛下はそう言って秘書官にペンを持ってくるよう指示を出すと、受け取るなり証人の欄にサインを綴った。
「これをメルディン侯爵に持って行きなさい」
陛下が指示を出すと、秘書官が父のところに契約書を持って行った。
「メルディン侯爵、こちらにご署名ください」
秘書官が父に声を掛ける。その背後から、シャルリー様が言葉を加えた。
「署名と併せて血判もお願いします」
この言葉に、私とアルベール以外の皆は硬直した。
その中で、最初に口火を切ったのは陛下だった。
「血判させるのか」
「はい。誓約の強さを証明するためには、この手法が最適かと」
シャルリー様のその言葉に、陛下は納得するように頷いた。驚いてはいるが、受け入れてくれたようだ。
一方、父は陛下から自身を蔑むような反応を向けられ、まるで奈落に突き落とされたかのような表情になり、泣く泣くサインの後に血判をした。
――これで第一関門はクリアね。
心の中でホッと胸を撫で下ろす。折しも、はたと目が合った陛下が声をかけてきた。
「願いはふたつあると言っていたな。クローディア夫人、もうひとつの願いは何だ?」
「私のもうひとつのお願いは、父の逮捕です」
「レオニー! お前は自分の父を犯罪者にするつもりか!?」
どこにそんなにも声を荒らげる力が残っていたのだろうか。
どん底まで落ち込んだ様子だった父が、バッと立ち上がり叫んだ。
しかし、私はごくごく冷静に父に返答した。
「犯罪者にするも何も、犯罪者なのですから当然です」
会場の中、父がひゅっと息を呑む音が響く。直後、父は悲愴に顔を歪めて非難するように叫んだ。
「そうなればお前は犯罪者の娘で、お前の子どもは犯罪者の孫になるんだぞ!? 本当に良いのか!?」
呆れたものね。この期に及んで言うことがこんなことだなんて。
みっともない父に恥ずかしさを覚えつつ、私は平静を装って答えた。
「ご安心ください、あなたの被害者は私たちなので誰も気にしません。むしろ、犯罪者を野放しにする方が、後ろ指を指されることになるでしょう」
「なんだと!? 親相手に、こんな薄情な娘――」
「私はクローディア公爵家に嫁いだ身です。この状況において、私とあなたを一括りに考える人は誰もいないでしょう」
私は会場にいる人達に視線を運んだ。
目が合うたびに、人々は私に頷きを返してくれる。
陛下も、もちろんそのうちのひとりだった。
そのことが、父は余程ショックだったのだろう。
耐え切れなかったのか、再び崩れ落ちるように両膝を床に突いた。
荘厳な場に似つかわしくないその姿は、まったくもって無様以外の何物でもない。
――ここまで落ちぶれるなんて……。
私は陛下に向かって言葉を続けた。
「陛下、どうかメルディン侯爵に相応しい罰をお与えくださいませ」
「ふむ……」
考え事をするように、陛下が腕を組む。その読めない瞳は、ジッと目の前の父を見据えている。
場に静寂が広がり、時間感覚がおかしくなってしまいそうだ。
長いようで短い、そんな時間が経った頃、ようやく陛下は口を開いた。
「メルディン侯爵。そなたは誘拐未遂の罪を犯した。よって、半年間の投獄を命ずる。加えて、当主の座を剝奪し、社交界から永久に追放することをここに宣言する」
陛下はそう言うと、私に確かめるように声をかけてきた。
「これで良いな?」
「はい。願いを聞き届けてくださり、心より御礼申し上げます」
粛々と陛下に向かい、深々と一礼をする。
毅然さを意識して顔を上げると、眉一つ動かさず父を見つめるシャルリー様が視界に映った。
目の奥に揺らいでいた炎は、私の心の写し鏡かのように、徐々に鎮まりを見せ始めている。
その後ろには、この世の終わりのように絶望に塗れた表情を浮かべた父がいた。
憐れなその姿を見ても、私は可哀想とは思わなかった。
自分が酷いことをしたという罪悪感も湧かない。
子どもと愛する家族を守るために、しかるべき手段を取って己の剣を振るったのだ。後悔などするわけがなかった。
「此度の事件については、これを以って結論とする」
この陛下のその言葉を最後に、父の断罪は幕を閉じた。
父とのしがらみを断ち切った今日のことを、二度と忘れることはないだろう。
私はシャルリー様と視線を交わし、この結末を静かに心に留めたのだった。