16話 作戦決行
「奥様、お手紙が届いております。ご確認くださいませ」
いつもはニコニコと微笑んでいるアルベールが、硬い面持ちで手紙を差し出してくる。
「ありがとうございます。差出人は……お兄様から?」
先日、私は王宮でお兄様を待ち伏せして、捕まえたお兄様にお父様の暴走を止めるように頼んだ。
すると、背に腹は代えられないと真剣に頼み込んだ結果、お兄様から私に協力するという言質を得られた。
どこまで当てにして良い返事かは分からない。
ただ、何もせずに後悔したくはなかったのだ。
「手紙の内容は何かしら?」
もしこの内容が協力の一環であるならば、かなり重大な情報が綴られている可能性がある。
私は緊張しながら手紙を取り出し、その内容に目を通して絶句した。
――お父様がこんなことをっ……!?
読み進めるにつれ、目の前が真っ白になっていくようだ。
頭から血が引きそうな感覚の中、手紙を読み終えた私は、くらりと眩暈に襲われこめかみを抑えた。
「奥様! いかがなさいましたか!?」
私の様子を見て、アルベールが心配そうに顔を覗き込んでくる。その彼に、私は手紙を差し出して読むように促した。
「失礼いたします」
手紙を受け取ったアルベールが、受け取った手紙に視線を落とす。
やがて読み終えると、彼は額に血管を浮き上がらせ、微かに震える声で私に問いかけてきた。
「メルディン侯爵が、坊ちゃまを誘拐しようと計画なさっているということですか?」
「……はい。アルベール。シャルリー様に緊急で報せを出してください」
「承知しました」
アルベールは理性的に返事をすると、早足で部屋を後にした。
その瞬間、残された私は思わず両手で顔を覆った。
――なんて最低な人なの!
これが人の、それも親の考えることっ……!?
申し訳なさや情けなさ、底知れぬ父への嫌悪感に苛まれ、心がもうめちゃくちゃだ。
何が何でも絶対に許さない。
果てしないほどの憤怒の情が心に宿り、私の中で抑えの効かぬ炎となって吹き荒れた。
それから半刻後、アルベールから報せを受けたシャルリー様が外部の仕事は後回しにして、公爵邸に戻ってきた。
私は隠すことなく、兄から来た手紙をシャルリー様に見せ、父が計画したという内容について話した。
「レオニー、すまない。さすがに君の父だとしても、もう野放しにする気はない。フェリックスに手を出そうと考えただけで、俺は侯爵を赦せない」
表情に怒りを滾らせたシャルリー様のその言葉に、私もすかさず返した。
「当然です。父などこの期に及んで関係ありません。私は彼を再起不能にするつもりです」
鋭さが宿るシャルリー様の瞳が、こちらを見てゆらりと光る。
私は彼に決意を表すように、そのまま続けた。
「シャルリー様、ご協力いただけますか?」
軽く目を見開いたシャルリー様は切なくも厳しい、何とも言えぬ表情を浮かべる。
しかし、彼は既に答えは定まっていたというように答えた。
「当然だ。計画は明日実行される。早速、作戦を考えよう」
こうして、私たち夫婦はアルベールも交えて、三人で父親の計画を阻止すべく動き始めたのだった。
◇◇◇
次の日、クローディア公爵邸にはひとりの男がやって来た。
注文してきた食料を配達してきた業者。その人物を装った男は、受取手続きを担当しているのであろうメイドを発見した。
「随分と大柄なメイドだな」
遠くに見えるメイドは、下手したら自分よりも背が高いかもしれない。
そのことに気付いた男の口から、つい小さく独り言が漏れる。
続けて、メイドの顔がはっきりと見える位置まで近づいた男の口から、またしても本音が漏れ出た。
「めちゃくちゃ美人じゃねーかっ……。この子を気絶させるのかよ」
そこまで呟いて、男は自分が今ここに何をしに来たのかを思い出し、ハッと口を閉ざした。
ボスに見られていたら、また喋り過ぎだと怒られる。
ふぅと深く息を吐き、男は気を取り直してメイドに近付いた。
「あら、こんにちは。いつもありがとうございます」
高すぎることのない艶っぽい声を掛けられ、男の心臓がトクンと軽く跳ねる。
「ど、どうも。あの、本日の食料についてですが……」
「どうかされましたか?」
メイドが悩まし気に眉を曇らせる。
あまりに美しいその相貌を向けられ、男はほんのりと罪悪感を覚えた。
しかし、目的が揺らぐことはなかった。
「すみません。今日は諦めてください」
言い放つと同時に、男はメイドの後頚部に手を回した。
そのはずだったのだが、男の手は後頚部に届く前にメイドに掴まれていた。
「えっ……!」
びくともしない自身の手に、男は焦り声を上げる。
直後、男はメイドに取り押さえられ、背後に手を引っ張り上げられたまま、気付けばうつ伏せの形で地面に身体を抑えつけられていた。
わずか三秒にも満たぬ時間で起きた事態に、男は理解できず驚きに目を見開く。
すると、メイドは男の後頭部の髪を鷲掴みにして、先ほどとは別人のような低い声で言った。
「坊ちゃまに手を出そうとは、お前には重罰が必要だな」
「お前、まさか男――」
言いかけた言葉を聞くことなく、メイドに扮した男ことアルベールは掴んだ髪を引っ張り上げた後、勢いよく地面に男の顔面を叩きつけた。
「今すぐ吐け。坊ちゃまをどこの森に運ぶつもりだった」
すると尋問の末、男は計画のすべてを洗いざらい話した。
アルベールはその情報を受け、すぐにレオニーとシャルリーに計画の全容を知らせに向かった。
◇◇◇
「ヴィルヘンの森に連れて行くつもりだったのか」
報告を受けたシャルリー様はそう呟くと、すぐに用意していた紙をアルベールに渡した。
「騎士団の警邏部門にこれを持って行ってくれ」
出動要請が綴られた紙を託されたアルベールは、素早く着替えて颯爽と出発した。
その背を確認し、私とシャルリー様もさっそく準備に取り掛かった。
三分後、食品配達業者の格好に扮したシャルリー様が、麻袋を片手に苦々しい表情を浮かべて口を開いた。
「レオニー、本当に君が入るのか?」
「はい。これは私がやれねばならぬ役ですから」
そう言って、私はシャルリー様に顔が隠れるようフードを被せ、フェリックスが入るはずだった麻袋に足を入れた。身を縮こまらせると、一気に閉塞感が襲う。
「シャルリー様、締めてください」
「ああ」
シャルリー様は痛ましげな表情で一言返すと、彼を見上げる私の額にキスを落として麻袋の口を締めた。
薄く光が透けるものの中は薄暗く、動きづらさも相まった麻袋の中は、不快そのものの環境だった。
――フェリックスにこんな思いをさせようとしたなんて。
ただでさえ止まらない怒りに、更なる拍車がかかる。
折しも、私が入った麻袋がシャルリー様によって持ち上げられた。
シャルリー様が一歩踏み出すたびに、振動で身体全体が揺れる。景色が見えない分、すぐに酔ってしまいそうだ。
そう思った矢先、私の身体は板張りのどこかに降ろされた。
きっと、誘拐犯が持ってきた荷台に載せられたに違いない。
「レオニー、今から森に向かう。悪いが、しばらく辛抱してくれ」
「はい」
返事をすると同時に、荷台が持ち上がるような動きを感じる。
やがて、ゆっくりと動き出した荷台を通じ、ゴトゴトという振動が全身に伝ってきた。
ヴィルヘンの森は、クローディア公爵邸から最も近い森だ。
出発から十分ほど経った頃、突然進行による振動が止まった。
――到着したのかしら?
妥当な時間だと思いながら、念のため息を押し殺す。
その瞬間、麻袋越しに淡々としたシャルリー様の声が耳に届いた。
「約束の通り、連れて参りました」
ドクンと心臓が震える。誰に向けてその言葉を言っているのか。
分かっているが、どうしても現実であってほしくなかった。しかし、現実は私に容赦ない残酷を浴びせた。
「よくやった」
本能が間違いないと囁いてくる。
この声は、紛れもない私の父のものだった。