15話 衝撃的な計画
「どうしてこうも上手くいかないんだ!」
自室に籠ったメルディン侯爵は、頭を抱えながら叫んだ。
何とか秘書官として舞い戻るため、娘の夫であるシャルリーに対し、ありとあらゆるアプローチを試みた。
タイミングを見計らっては毎度話しかけ、毎日毎日手紙を送った。
それなのに、義父である自身を、あの公爵はにべもなく突き放したのだ。
「この手紙も義父相手にあんまりだろう!」
強く掴むあまり皺が付いた手紙に視線を落とす。
そこにはシャルリー・クローディアの直筆であろう文字で、二度と手紙を寄越すなと綴られていた。
氷の公爵といわれる所以は、このような冷酷な言動から来ているに違いない。
メルディン侯爵はそう考えながら鼻で笑う。しかし、ほどなくして顔を苦々しげに歪めた。
「手紙はそろそろ限界か……」
何をしたって無駄骨を折ることになる。ここのところ、その連続だったため、さすがに悟り始めていた。
こうなれば、もう実力行使しかないだろう。
何か良い方法はないだろうか。
メルディン侯爵は目を瞑り、ジッと考え込む。
それから数分後、彼はひらめきが降りた様子でハッと目を見開くと、独りで空に叫んだ。
「いっそのこと、レオニーに直接働きかけよう!」
レオニーに関わって公爵の怒りを買わないようにと妻に忠告され、律儀に公爵から攻略しようと試みた。
結果、公爵は冷たくにべもない手紙を返してくるものの、それ以上のことは何もしてこなかった。
その理由はきっと、レオニーとの関係を拗らせたくないからだろう。
あの公爵は随分とレオニーに惚れ込んでいるようだった。
ということは、レオニーに嫌われたくない公爵は、レオニーの父である自身に対し、ある一定以上は強く出られない可能性が高い。
もしそうならば、いきなりレオニーに働きかけた方が、なし崩し的に関係の再構築を図りやすいのではないだろうか。
「我ながらなんて名案なんだ!」
誇らしげに独り言を言うと、メルディン侯爵は吹っ切れた様子になり、思いついたままの計画を紙に書き出した。
そして、その中のとある計画を実行することに決めた。
「クローディア邸に訪問して、レオニーに会おうじゃないか!」
◇◇◇
クローディア邸に行こうと思いついてから二日後。
メルディン侯爵の計画は大失敗に終わった。
「どちら様でしょうか?」
「私はレオニーの父――」
「さあ? 存じ上げませんね。そのようなお客様が来るとは知らされていないもので」
「何だ、その態度は。私を知らないとでも言うのか!? いいから今すぐ娘のレオニーを呼んで来い!」
「申し訳ございませんが、お呼びすることはできません。大切な奥様を不審者の前にお連れするなど、私にはできかねます」
そう言って、長い青髪をひとつに束ねた長身の男に、なすすべもなく突き返されたのだった。
「くそっ! 覚えてろよ! 公爵夫人の父親である私に、このような無礼な振る舞いが許されてなるものか!」
押し込められた馬車の中で、メルディン侯爵は悔しさのあまり座面に自身の拳を叩きつけた。
憎々しさが胸を蝕む中、遠ざかっていくクローディア邸を睨みつける。
そのときだった。
「あの子は誰だ?」
クローディア邸が有する広大な庭園のとある一角に、小さな人影が見えた。
目を凝らしてよく見ると、三、四歳くらいの子どものように見える。
しかも、顔こそよく見えないが、その子の髪はこの国では珍しい白雪で染め上げたかのような、美しい銀の輝きを放っている。
このような髪色を持つ人物を、メルディン侯爵はひとりしか知らない。
「あれは、レオニーと公爵の息子か」
このような形で、初めて孫の姿を見ることになるとは。
ふと、侯爵の心に妙なざわめきが広がる。
出産したことや、フェリックスという名前であることは、貴族たちが広める情報のひとつとして知っていた。
しかし、こうして生で見る機会など無かった侯爵は、孫の存在について、どこか現実味を感じていなかったのだ。
だが、こうして直接この目で孫の姿を確認した。
その瞬間、メルディン侯爵は悪魔のような計画を思いついた。
「ふっ……もっと簡単な手があったじゃないか。くっ、ははっ、ははははっ!」
ひとしきり笑い声を上げた後、ようやく落ち着いた侯爵はほくそ笑みながら、上機嫌でメルディン侯爵家に戻ったのだった。
◆◆◆
ある男は、縁を切られたはずの妹から切実なる願い事を受けた日のこと思い出し、困惑していた。
「まさか、父上がクローディア家に喧嘩を売っていたとは」
自分の知らないところでの父の所業を知り、メルディン侯爵邸の庭を歩きながら、レグルスは頭を垂れる。
まさか、本当に例の計画を実行しているとは思ってもみなかったのだ。
そんな素振りを、父親は家で一切見せていなかった。
レオニーが言っていた、クローディア公爵ことシャルリーがレグルス宛に送ったという手紙の存在も、当の本人であるレグルスは知らない。
「きっと父上が先に見て捨てたんだな」
レオニーがルースティン侯爵夫人だった時は対等な家柄だったが、今やレオニーは公爵家の女主人。
敵に回すには悪手過ぎる相手だ。
それに、レオニーがシャルリーと結婚して以降、自身にも子どもができたレグルスは、以前は気にならなかった父親への違和感を感じ取り始めていた。
その矢先で、父親がシャルリーやレオニーたちにかけた迷惑の数々を知った。
この事態に対し、レグルスは父を止めるにはどうしたものかと、今もひとりで考えていた。
「あの父上を、俺だけの力でどうやって止めれば……」
はあ、と力なくため息を吐く。
同時に、知らない男の声が不意に耳に飛び込み、レグルスは瞬く間に硬直した。
どうやら、声の主は垣根の向こうにいるようだ。
いつもだったら庭師が会話しているだけと思うが、どうにも妙な胸騒ぎがする。
恐る恐る垣根に近付き、レグルスはその会話に耳を傾けてみることにした。
「それで、業者に扮して邸宅内に入れば良いのですか?」
「ああ。食品配達の業者なんかだと簡単に入れるだろう。裏口でメイドが対応するはずだ。殺しはせず気でも失わせて、その隙に邸宅内に入れ」
「承知しました。それで、そのままあなたの孫を攫って森に連れて行けばいいんですね?」
あまりに衝撃的すぎる会話に、レグルスはハッと息を呑んだ。
このまま気付かれるわけにはいかないと、より一層息を押し殺し、そのまま続きに集中する。
「私と森で合流したら、あの子が入った麻袋を置いていけ。そして、私があの子を助けたことにするんだ」
「悪い人だ。娘に恩を売るためにここまでするとは」
「仕方ない。復職するにはこうするしかなかったんだ。これが上手くいけば、フェリックスに私が恩人として刷り込まれて、娘たちも私を見直すことだろう!」
そう話すメルディン侯爵は、息子が聞いているとは気付きもせず、「実に完璧だ!」と隠そうともしない様子で高笑った。
耳を疑いたくなるような父のその言葉を聞き、レグルスの心臓がバクバクと音を立てて鳴る。
この音が垣根の向こうにも聞こえてしまうのでは……。
そんな焦りがレグルスの心に生じる中、父であるメルディン侯爵が謎の男に続けた。
「じゃあ、明日はよろしく頼んだぞ」
「はい、お任せください」
こうして最後に約束を交わしたふたりは、それぞれ何事も無かったかのように、別々の方向へと歩き出し、その場を後にした。
一方、取り残されたレグルスは、地面に座り込み呆然としていた。
だが、風が吹き葉擦れの音がしたことでハッと我に返る。
そのまま、レグルスはガクガクと震える足で何とか立ち上がり、転びそうになりながらも、急いでその場から駆け出した。
自身の執務室に到着するなり、レグルスは引き出しから慌てて一枚の便箋を取り出す。
そして、ある思いひとつで、殴り書くように手紙を綴り始めた。
――レオニーに知らせなければっ……!