11話 割り切って
シャルリー様が地方総督に任命された日から、およそ一カ月が経過した。
ただでさえ広大なクローディアの領地経営で忙しいにも関わらず、彼は地方総督になったことにより、管轄する地域がさらに六つも増えた。
それぞれの地域には領主がいるため、領地経営の必要は無い。
しかし、着任したばかりのシャルリー様は、今ある仕事と並行して管轄地域についての情報を仕入れなければならず、寝る間がないほど多忙を極めていた。
私はというと、これまでシャルリー様が手掛けていた業務の一部を請け負い、全力で取り組んでいる。少しでも、彼の負担を軽減できればとの思いからだ。
慣れない仕事もあるが、アルベールという心強い味方もいるため、私は試行錯誤を重ねながら、新たな業務を黙々とこなしていた。
そんなある日のこと、私たちが仕事をしている書斎に、突然小さな来訪者が訪れた。
「ねえねえ、アルベール」
「いかがなさいましたか、坊ちゃま」
「ぼく、何日もパパと会ってないんだ。どこにいるの?」
「シャルリー様は、現在は王宮におられますよ」
フェリックスはその答えを聞くと、残念そうなに肩を落とした。そして、彼は同じ長椅子に腰掛ける私に、コテンと頭を預けた。
「そっか。今日は帰ってくるかな?」
ポツリとフェリックスが零した言葉に、私はすかさず声をかけた。
「毎日帰って来ているわよ。フェリックスが寝ている時に、いつもお部屋に行っているわ」
「寝てたらぼくわかんないよ」
そう言うと、フェリックスはサッと姿勢を戻し、ぴょんっと長椅子から飛び降り駆け出した。
やがて、その足は本棚に本を戻しているアルベールの足元で止まった。
「アルベールも知ってた?」
「ええ、存じておりますよ」
最後の一冊を棚に戻し、アルベールがフェリックスと目線を合わせるように床に片膝を突いた。
「フェリックス様。やはり……お寂しいですか?」
先ほどのフェリックスの言動から、アルベールは何か思うところがあるのではと考えたのだろう。
眉目秀麗なその顔には、心配を隠し切れず微かな翳りが漂っている。
しかし、フェリックスはアルベールに対し、ケロリとした様子で答えた。
「さみしくないよ。だってパパ、ぼくのこと大好きだもん」
――ん? どういうこと?
いや、その通りではあるのだけれど……。
フェリックスの口から繰り出されたのは、可愛すぎると同時に奇妙な発言だった。
想定外の返しに、私もアルベールも困惑の表情を浮かべる。
一方、発言者のフェリックスはあっけらかんとした様子で、なおも言葉を続けた。
「こないだパパが言ってたの。会えなくても、ずっと大好きだからさみしくならなくていいよって」
「シャルリー様がそのように……」
アルベールが独り言のように呟く。直後、それは安心したという様子で優しく目を細めて、フェリックスに声をかけた。
「シャルリー様は素敵なことを教えてくださいましたね。私もその通りだと思いますよ」
「うん! だから会いたいなって思うけど、さみしくないんだよ」
そう言いながら、フェリックスはこちらに顔を向けて口を開いた。
「それに、パパと約束したんだ!」
「どんなお約束をしたの?」
素直に尋ねると、フェリックスは羽毛のような純白の髪の毛をふわりと揺らし、茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべて答えた。
「うふふ! ママにはまだ内緒なの~!」
この天使のような子は、シャルリー様との間にいったいどんな秘密を隠しているのだろうか。
気にならないわけでは無いが、まだということはいずれ教えてくれるのだろう。
「じゃあ、話してくれる日を楽しみに待っているわね」
私がそう言うと、天真爛漫なフェリックスは「うん!」と愛らしい声で弾むように返事をした。
その元気いっぱいな様子に、私とアルベールの口からは思わず笑みが零れたのだった。
◇◇◇
同時刻、シャルリーは王宮のとある一室にいた。
その部屋には、シャルリーが地方総督として割り当てられた地方の、六人の現当主が顔を揃えている。
シャルリーは彼らの面々を一瞥すると、冷然たる口ぶりで業務説明を始めた。
静まり返った部屋にはシャルリーの声だけが響き、息が詰まりそうなほど気まずい雰囲気が充満する。
集められた当主のうち、四人は内心でとんでもない場に来てしまったと辟易していた。
ここにいる当主のうち、ひとりはシャルリーの妻であるレオニーの元夫であるカシアス。
もうひとりは、レオニーの実父であるメルディン侯爵だったからだ。
あからさまではないものの、バチバチとした空気が感じられる空間において、彼らが望むのはいち早い解散であった。
それから四半刻が経過した頃、思ったよりも早くその望みが叶う時はやって来た。
「――これにて説明を終えます。何か質問がある方はいらっしゃいますか?」
シャルリーの問いかけに続くのは沈黙のみだ。その反応を受けると、彼は再び口を開いた。
「では、本日の集まりはこれにて終了といたします。何かありましたら、私の方までご一報ください」
この言葉が締めとなり、集まりは早くも終焉を迎えた。
領主たちは手短な挨拶を口にすると、一目散に部屋から退室していく。
目障りなカシアスも図々しいメルディン侯爵も、他の四人に合わせて部屋を後にする。
こうして皆が出て行ったことを確認し、シャルリーは深く溜息を吐いた。
「はあ……。仕方はないとしても、どうにも胸糞悪いな」
静かに座っていただけではあったが、カシアスの存在はこれでもかというほどシャルリーの心を逆撫でた。
あえて見ないようにしていたが、それでもなお気に食わない存在に、彼が出て行った今もなお、胸の不快なざわめきは収まらない。
――いい加減割り切らねば。
己の心にそう言い聞かせつつ、シャルリーはこの不愉快な場から去ろうと部屋の外に出た。
その時だった。
「クローディア公爵!」
呼び止められたシャルリーは踏み出そうとした足を引っ込め、ゆっくりと背後に振り返った。
「何の用でしょう、メルディン侯爵」
絶対零度のごとき冷たく低い声を発するシャルリーが、自身を呼び止めた侯爵をギロリ睨めつける。
とても義父に向けるとは思えない威圧感。その迫力に呑まれそうになるも、侯爵は何とか屈することなく続きとなる言葉を発した。
「ほ、本日はご説明をどうも……。ところで伺いたいことがありまして――」
「先ほど質問はないかと確認しましたが?」
「いえ、その話とはまた別の個人的なことなのです」
「……」
「レ、レオニーは元気にしておりますでしょうか? 何年も顔を見ていないので、つい心配になって……」
いかにも娘想いの父親のような表情を浮かべる彼を見て、シャルリーは身体中を巡る自身の血が沸騰したかのような感覚を覚える。
だが、ここは周りの目がある王宮。そして、目の前の男はどれだけ認めたくなくても、自身の最愛の妻の実父だ。
グッと怒りを収めたシャルリーは、代わりにその口から棘を纏わせた皮肉を吐いた。
「よりにもよって、あなたが妻を心配ですか? ふっ、いつかの彼女とはまるで別人のように、それは愛らしく元気に過ごしておりますよ」
唇の笑みは深めるも、目はまるで笑っていない。
蔑むかのように昏く光るシャルリーの厳しい双眸は、侯爵も場を繕おうとする乾いた笑いを封じた。
だが、さすがは厚かましい侯爵。これしきのことで、彼がやすやすと引き下がることはなかった。
「さ、さようですか! じ、じつはレオニーに折り入って話があり、それで公爵様に――」
「では、その話はなかったことにしてください」
「……へ?」
シャルリーはそう吐き捨てると、目を丸くして驚く侯爵に粛々と伝えた。
「レオニーは侯爵と縁を切った。すなわち、彼女の人生に侯爵は不要ということだ。関わろうなどとは、ゆめゆめ考えることのなきよう」
「なっ……」
シャルリーの容赦のない辛辣な言葉に、メルディン侯爵が口元をはくはくと戦慄かせる。
その様子を尻目に、シャルリーはうんざりとでもいうように小さく溜息を吐いて場を後にしたのだった。