4話 氷の公爵
秘書のアルベールから婚約者の不貞の報告を受け、シャルリーは苛立つ気持ちで独り言ちた。
「はぁ……また面倒なことを……」
シャルリーは皆が社交界の華としてもてはやす婚約者の顔を脳裏に映し出し、苦々しい表情で眉をひそめた。
シャルリーにとって、プリムローズは非常に厄介な存在だった。
彼女はいつもシャルリーの愛を欲しがっていた。
それも、自分という人間が愛されるのは当然という態度で。
だが、彼から見たプリムローズは決してその価値があるほど、魅力的な人間ではなかった。
人々が口を揃えて言うだけあって、確かにシャルリーから見ても彼女の美貌には卓越したものがあった。
しかし、その彼女以上の美貌を持つシャルリーにとって、彼女の見目は愛する理由になるほどの魅力ではなかった。
そもそもシャルリー自身、自他ともに見目への興味関心が薄いのだ。
じゃあ性格はどうか?
彼にしてみれば、プリムローズの性格は顔よりももっと魅力がなかった。
彼女には二面性があり、シャルリーはそのことに最も手を焼いていたのだ。
貴族たちの前にいるときの彼女は、愛嬌がありながらも平身低頭で、まさに見本のような令嬢だった。
しかし、留守の間に勝手に公爵邸に来ては、あたかも女主人のように使用人に高圧的な態度をとるといった裏の顔も持ち合わせていた。
せめて来るなら、使用人への態度を直せと彼女に指摘すると、「私よりも使用人が大事なの?」と金切り声を上げられる。
だが使用人の方が大事なことは事実のため、「ああ、そうだ」と答えれば、彼女はさらに怒って泣き出してしまい、シャルリーとしては非常に面倒くさい存在だった。
その彼女が今度は浮気、しかも既婚者とだから不倫をしでかしたのだ。
頭が痛くならないわけが無かった。
「シャルリー様、婚約は破棄されるのでしょうか?」
「当然だ。少なくとも、お前が買収した医者の妊娠の話が本当なら絶対にな」
秘書のアルベールの問いかけに、シャルリーは疲れ切った様子で答えた。
すると、そんな彼にアルベールは更なる言葉を続けた。
「ですが彼女と婚約破棄なさった場合、クローディア公爵家に釣り合う未婚の令嬢はおりません。それはどうなさるおつもりで?」
「それについては、改めて検討だ。いざとなれば、養子も考えねばな……」
シャルリーは前髪をかき上げると、たまらず重い息を吐いた。
目を閉じる彼は、脳内で様々な計算をしていた。
そして再び目を開くと、彼はアルベールにある指示を出した。
「ルースティン侯爵夫妻について調べてくれ。あちらに対する対処も考えねば」
◇◇◇
それから数日後、クローディア公爵家の談話室で、シャルリーは強張った表情のカシアスと、今にも泣き出しそうな顔で震えるプリムローズと対面していた。
真っ先に口を開いたのは、カシアスだった。
「クローディア公爵。実は、あなたに謝らねばならぬことがあり参りました」
口を開いたカシアスに、シャルリーは鋭い眼差しを向けた。
氷の公爵、無慈悲な冷血漢――そんな異名を持つシャルリーの視線を受けたカシアスは、たったの2歳しか変わらぬ彼のその瞳だけでさらに委縮した。
しかし、それでも彼は何とか捻り出すように言葉を発した。
「あなたの婚約者であるプリムローズ嬢と、私は不義を働いてしまいました。その結果、プリムローズ嬢が私の子を宿しました……」
シャルリーはその言葉をただただ淡々と聞いていた。アルベールから既に聞いていたため、特に驚くことも無かった。
それに、プリムローズが自分を裏切ったと知っても、悲しみや傷付いたという感情は一切湧かなかった。
「そうか」
シャルリーがただ一言、それだけを返すと2人は目を見開いた。
「シャルリー様……怒ってないのですか?」
プリムローズが上擦った小さな声を発する。それに対しても、シャルリーは感情の起伏なく淡々と返した。
「怒った方が良かったか?」
「い、いえ……」
プリムローズは何とかそれだけ口にすると、怖がるように顔を伏せた。
カシアスもシャルリーの言葉に完全に呑まれ、話せなくなってしまった。
だが、シャルリーは暇ではない。
彼はもうすでに決めてあった決定事項を、2人に告げた。
「分かっているだろうが、婚約破棄は確定だ」
「はい……」
プリムローズが返した返事に、シャルリーは違和感を覚えて片眉を上げた。
少しは抵抗すると思ったのに、彼女があまりにもあっさりと婚約破棄を受け入れたからだ。
いや、抵抗されない方がいいのだが……。
「今日はえらく素直なのだな」
探りを入れるべくシャルリーがそう尋ねると、彼女は横目でチラッとカシアスを一瞥してから口を開いた。
「実は、カシアス卿が離婚することになったのです」
その言葉を聞き、シャルリーはカシアスに視線を戻した。
「カシアス卿、それは本当か?」
「はい。妻がそう申し出たもので。また、私たちに再婚するようにと妻が願い出たのです」
願い出ただって?
シャルリーはカシアスの言葉に、つい鼻で笑いそうになった。
頭の中が花畑という言葉があるが、まさにこの2人を指すのにうってつけな言葉だと思った。
だが、いちいちそれを言葉にはせず、シャルリーは別のことを返した。
「そうか、ちょうどいい。私も願い出たいことがあったのだ。いや、守ってもらうべきことと言った方が正しいか」
シャルリーの意味深な言葉に、カシアスがピクリと反応して尋ねた。
「どういったことでしょうか……」
カシアスは、敵の攻撃に構えるかのようにシャルリーの言葉を待った。
そんな彼に、シャルリーは淡々と口を開いた。
「それは――」
◇◇◇
「そのように生温い対応でよろしかったのですか?」
2人が帰った後、同席していたアルベールが、書類に目を通しているシャルリーに声をかけた。
「結婚前提に貸した財産の返却と、子どもの月齢を偽らないこと? もっと仕返してやればよかったんですよ。そしたら、使用人たちの溜飲も下がったでしょうに」
「いいんだ。やり返し過ぎたら、逆に面倒が増える可能性が高い。あと、もう1個忘れてるぞ」
「何ですか?」
「俺もあの2人同士で再婚するように言った」
シャルリーはそう答えると、ふと何かを思い出したように顔を上げてアルベールに視線を向けた。
「ところで、調査結果はまだか?」
調査結果とは、ルースティン侯爵夫妻のことについてだ。でも、カシアスについては大体把握できた。
そのため、彼が今知りたかったのは妻レオニーの情報だった。
長年シャルリーの右腕を務めるだけあって、アルベールはすぐにそれを察した。
直後、コホンとわざとらしく咳をして後ろ手を組み、彼は暗記済みの調査結果を諳んじ始めた。
「妻のレオニー夫人ですが、髪は灰茶色、目は天色で、貴族たちからは凛とした品がありながらも、柔らかく甘美な面立ちの方だという評判が――」
「そんな見目の情報なんかはどうでもいい。家門と今の状況と、せめて性格についてのみ話せ」
「ああ、そうでしたか」
アルベールはそう告げると、今度こそレオニーの置かれた状況と、メルディン侯爵家について説明をした。
もちろん、噂としてある彼女の性格についても漏れなく伝えた。
「そうか、分かった」
一通り聞き終えたシャルリーは考え事をするように、こめかみに指を添えて目を閉じた。
そして、再び開くと一枚の便箋を取り出した。
「どなたにお手紙を?」
アルベールが黙々と手紙を書き綴るシャルリーを見て、不思議そうに尋ねる。
そんな彼に対し、シャルリーは手紙を送る相手の名を口にした。
「レオニー・メルディンだ」