8話 努力が繋いだ未来
シャルリー様に取引交渉を依頼された次の日。
私たちはさっそく準備に取り掛かり、今日帰る予定の夫妻に昼間のうちに取引交渉を持ちかけた。
《砂糖と羊毛の取引ですか……。我が国は基本的に輸出入が行われておりません。ただ、ごく希少な羊毛の取引となると話は変わります。しかし、今すぐの回答は……》
《はい、もちろんでございます。本日ご帰国されるので、もしご検討いただける場合は、文書でのやり取りでも問題ございませんよ》
私がそう言うと、ドルチ伯爵はあんぐりと口を開けた。
同時に、隣に座っていた夫人が前のめりになって尋ねてきた。
《カステリオ語の文字も分かるのですか!? でしたら、貿易取引のハードルも下がるはずです!》
そう言うと、彼女は夫である伯爵に続けた。
《前向きに検討しましょう! 私たちの領地が最も砂糖の生産量が多いんだから、反対意見も少ないはずよ》
その言葉を聞き、私は何とか顔には出さなかったが、心の中で驚愕した。
――ほとんど鎖国状態だから知らなかったわ。
まさか、伯爵がカステリオ王国内で、最も砂糖の生産量が多い領地の主だったなんてっ……!
改めて、伯爵を見つめる。
目を伏せた彼は私の視線に気付くことなく、夫人の言葉を聞きながら眉を顰め、じっと黙って考え込んでいた。
しばらくして、ついに伯爵の顔に決意の色が浮かんだ。彼は姿勢を正すと、私の顔を真っ直ぐに見つめながら、下した結論を口にした。
《承知しました。では、国単位ではなく、ドルチ領とクローディア領限定の取引という案はいかがでしょうか?》
《もちろん問題ございません。では、ドルチ領と私が領地間における、羊毛と砂糖の特恵待遇について取り決めを――》
こうして、私とドルチ伯爵夫妻の相互貿易の取引交渉は、あれよあれよという間に進展していった。
そして最終的に、それぞれの領主が国王の許可を得られたと確認した後、改めて本日取り決めた内容で契約を交わすことになった。
証書という形で言質をとった上、夫妻はかなり乗り気な様子だ。カステリオ国王の許可さえ得られれば、この契約の成立は間違いないだろう。
――こんな大型の取引で、私が代表となって契約を進められるなんてっ……。
私は誰にも気づかれないように、こっそりと拳を握り締めた。
◇◇◇
話し合いの終え、晴れやかな表情になった夫妻が馬車に乗り込む。
シャルリー様と肩を並べた私は、その彼らに手を振りながら、去り行く馬車の背を夢うつつで見送った。
やがて、馬車が点になり視界から消えた頃、ふと私の耳奥にシャルリー様の囁き声が広がった。
「だから言っただろう、信じてくれと」
バッと彼を見上げると、微かに片方の口角を上げ、満足げな顔をしたシャルリー様と目が合う。
直後、彼はこの結果が当然とばかりに、さらに続けた。
「レオニーはいつも俺を褒めてくれるが、レオニーがいなければ今の俺はいない。君は強くて賢い女性だ。これを機に、もっと自分を誇ってくれ」
クローディアの女主人として、シャルリー様の隣に立つ存在として、私は本当に相応しい人間なのだろうか。役に立てているのだろうか。
そう、心のどこかでずっと思っていた。
――だけど、今日だけは自分を誇っても良いのかもしれない。
「……ありがとうございます。自信が一つ増えました!」
まだ契約が完了しきったわけでは無いが、今日だけは自分を褒めてあげてもいいだろう。
私は胸を張り、シャルリー様に思いきり笑って見せた。
すると、シャルリー様は目を細めて、自分のことのように嬉しそうに微笑んでくれた。
その数日後、両国の国王からの承認が下り、クローディア領とドルチ領における相互貿易の契約が成立した。
それにより、我がクローディア領は砂糖取扱業において、シトリア王国内で圧倒的に優位性を手に入れることに成功したのだった。
◇◇◇
――あれは運もあったけれど、カステリオ語を学んでいたからこそ掴めた機会でもあったのよね。
ミュラー夫人にカステリオ語の話題を振られ、あの時の出来事を思い出す私に、夫人は微笑ましげな表情を浮かべて続けた。
「クローディアの羊毛とカステリオの砂糖、互いの特産品を交換する形で安価な取引を可能にしたのはレオニー様だと、私の領地でも専らの噂なのよ」
「そんなにもお話が広まっているのですか?」
「ええ、そうよ。同じ立場の人間として、心からあなたを尊敬するわ」
まさか、デビュタントの時から私がずっと憧れていた夫人に、尊敬していると言われるなんて。
熱いものが胸に込み上げ、思わず口元が緩んでしまう。
虚飾に塗れた笑顔が飛び交い、見せかけの優雅さの裏に、嫉妬と陰謀が渦巻く貴族社会。
その中で、こんなにも人として出来たミュラー夫人と親しくなれるとは、なんて幸運なことだろうか。
「ふふっ、ありがとうございます」
普段、他家の貴族たちとのお茶会では気が抜けず疲れてしまう。
しかし、今日は終始和やかさに包まれた、久しぶりに楽しいお茶の時間を過ごすことができたのだった。